あの一枚の書類が、今でも頭から離れない
司法書士になりたての頃、初めて自分で作成した登記申請書類。あの一枚のミスが、いまだに頭から離れない。もう20年も経つのに、時折ふと思い出しては胃がキリキリする。その書類が直接的に誰かを傷つけたわけではない。けれども、自分の未熟さ、そして当時の無力感をあれほど痛感した瞬間はなかった。あれがあったからこそ今の自分がある…なんて美談には、なかなかできないのが正直なところだ。
誰もが通る「初めての登記」
新人の頃、先輩から「この案件、やってみるか」と言われたときは、正直うれしかった。自分が一人で書類をまとめ、法務局に提出するというプレッシャーもあったが、「ついに一人前として認められた」と舞い上がっていた部分もある。とはいえ、今思えば準備も甘かったし、確認不足だった。とにかく「早く終わらせなきゃ」「ミスしたら怒られる」と焦る気持ちばかりが先行していた。
先輩の目が怖くて、確認を怠った
その頃、事務所には厳しい先輩がいて、ミスをすると冷たくため息をつかれた。僕はそのため息が怖くて、つい「これで大丈夫だろう」と確認を省いてしまった。特に登記原因証明情報の内容、いわゆる委任日と実行日が食い違っていたのだが、「まぁ、通るだろう」と甘く見た。今となっては、自分の未熟さと怠慢の合わせ技だと思う。あのとき、怖がらずに聞けていたら、と思っても遅い。
「これ、出し直しです」地獄のような一言
案の定、法務局からの電話。「書類に不備がありますので、出し直してください」。あの声の冷たさは、今でも耳に残っている。出し直しになるということは、依頼人にも迷惑がかかるということ。慌てて先輩に報告したが、開口一番、「だから言っただろ」と吐き捨てられた。自分の存在価値が一瞬でゼロになったような気がした。帰り道、夜風が妙に冷たくて、何度も書類を見返しながら歩いた。
ミスの重みは、時間が経っても軽くならない
月日が流れても、あの時の書類ミスの重みは心に残り続けている。何かにつけて「またやらかしたらどうしよう」と考えてしまう癖が染み付いている。業務において慎重になるのは悪いことではないが、過度な不安は時に判断を鈍らせる。新人時代の失敗は、単なる一過性の出来事ではなく、その後の仕事観や人との向き合い方にまで影響を与えている。
書類の向こうにある“人の人生”を実感した瞬間
登記書類一枚の中には、その人の人生の一部が詰まっている。家を買う、相続する、会社を立ち上げる…。何か大きな節目の場面だ。だからこそ、ミスがその人の大事な節目に水を差すという現実を受け入れるのがつらかった。書類を作るという行為に、そんな重さがあるとは、あのミスをするまでは思いもしなかった。あれ以来、手が震えるような感覚を何度も味わっている。
依頼人の一言が胸に刺さる:「プロなんですよね?」
ミスをしたことを伝えに行ったとき、依頼人の口から出たのは、「でも、司法書士さんってプロなんですよね?」という言葉だった。その一言がグサリと胸に刺さった。信頼を裏切ることの重み。どんなに謝っても、その言葉の残像はずっと残った。その瞬間、プロとしての覚悟が問われたように思う。「資格がある=安心」ではない。むしろ、資格があるからこそ、失敗は許されない。
夜中にこっそり泣いた帰り道
その日の帰り、電車を乗り継ぎながら、ずっと下を向いていた。誰もいないホームでふと涙が出てきた。「なんでこんな仕事選んだんだろう」「自分には向いてなかったんじゃないか」。そんなことを考えながら、コンビニで買った缶チューハイを飲んで帰った。誰にも言えない悔しさと、自分への怒り。これが“働く”ってことか、と妙に納得した夜だった。
あれから何年も経って
新人時代のあのミスから、すでに20年近くが経つ。今では自分の事務所を構え、事務員を一人雇っている。あの頃と比べれば、ずいぶん偉くなったように見えるかもしれない。けれども心の奥底にある「あの感覚」は、今も変わらず残っている。どんなに経験を積んでも、過信した瞬間がいちばん危ない。そのことを、ずっと肝に銘じて仕事を続けている。
自分が“教える側”になって初めて気づいたこと
事務員に仕事を教えるようになってから、昔の自分をよく思い出す。つい「なんでこんな簡単なことができないんだ」とイラッとしてしまうが、よく考えると自分もまったく同じだった。だからこそ、きつい言葉をぐっと飲み込むことにしている。あの頃の自分に厳しかった先輩の態度を、繰り返したくないのだ。「怒られるからじゃなく、意味がわかるからミスしない」そんな教え方を心がけている。
「ミスはする。でも、逃げるかどうかが違いだ」
何度か事務員がミスをしたときに、僕が言ったのはこの言葉だった。「ミスは誰でもする。でも、それを他人のせいにしたり、隠したりしなければ、ちゃんと前に進める」。自分が新人のとき、ミスを隠したことで事態が悪化した経験があるからこそ、そう伝えたかった。逃げなかったことで、今の自分がある。言い訳や誤魔化しでは、プロにはなれない。
新人の頃の自分に、いま言いたいこと
もしタイムマシンで新人時代の自分に会えるなら、「もっと堂々としてろ」と言いたい。失敗を恐れて縮こまっていたあの頃の自分を、少しだけ励ましたい。ミスをしても、それをちゃんと認めて、謝って、改善すれば、ちゃんと次に進める。大事なのは、失敗をしたあとどう動くかだ。司法書士は完璧を求められるけど、人間なんだから失敗するのは当たり前なんだと、伝えたい。
完璧を目指すより、報告と相談を忘れるな
新人の頃の自分を見ていると、「一人でなんとかしなきゃ」と思い込んでいた。けれども、仕事って本来はチームでやるものだ。特に登記業務は、法務局、依頼人、銀行、他士業と多くの人が関わる。だからこそ、報告・連絡・相談が命。完璧にこなすことよりも、きちんと伝えることの方が、はるかに大事だったんだと今ならわかる。
ミスを糧にした先に、司法書士の本質がある
ミスをしない司法書士が良い司法書士だと思っていた。でも、本当に信頼される司法書士って、「万が一のときにどう動けるか」を見られているんじゃないかと思うようになった。僕が依頼人として接するなら、ミスを隠さず、ちゃんと謝って、最短でリカバリーしてくれる人にお願いしたい。つまり、ミスを糧にしてきた人のほうが、きっと強い。
誰にも言えない悩み、でも誰もが抱えている
司法書士という職業は、孤独だ。事務所で一人きり、依頼人のために粛々と書類を整える日々。ときには「誰にも相談できない」気持ちになる。けれど、そんな思いを抱えているのは自分だけじゃない。たぶん、多くの司法書士が、同じような夜を経験している。だからこそ、こうやって文章にして残す意味があるんじゃないかと、思っている。
司法書士だって、人間です
人からは「しっかりしてる」とか「ミスしなさそう」とか言われるけれど、そんなことはない。人間だから、ミスもするし、落ち込むこともある。でも、それを乗り越えて、次の日もまた依頼人のために働く。それがこの仕事のしんどさでもあり、やりがいでもある。ミスを引きずって夢にまで見る日があっても、それが“プロであること”の証なんじゃないかと思いたい。
“できるフリ”をやめたら、仕事が楽になった話
一時期、「なんでも完璧にこなせる司法書士」を演じようとしていた。依頼人にも、銀行にも、事務員にも、そう見せたくて。でも、それは本当にしんどかった。ある日、事務員に「先生って、悩まないんですか?」と聞かれて、思わず「悩みっぱなしだよ」と返してしまったとき、ふっと肩の力が抜けた。“できるフリ”より、“正直でいる”ことのほうが、ずっと楽だった。