地目変更登記で役所と揉めた日土地の呼び方ひとつで心が折れる

地目変更登記で役所と揉めた日土地の呼び方ひとつで心が折れる

あの日役所に呼ばれた理由

朝からなんとなく嫌な予感がしていたんです。案件は地目変更登記、依頼人は近所の農家の方で、畑を宅地に変えたいとのこと。よくあるケースなので気軽に受けたのですが、役所に書類を提出した途端、担当者の顔色が変わりました。「これは地目が“雑種地”では?」と一言。いや、依頼人からも現地確認もして、宅地で間違いないと思ったんです。けれど、役所の言い分は「現況と合っていない」。頭の中が真っ白になりました。

たかが書類ひとつされど書類ひとつ

地目変更登記の書類は、ある意味で“土地の履歴書”のようなもの。そこに何が書かれるかで、固定資産税も売買時の価値も変わる。だから慎重に扱うのは当然なんですが、役所の対応があまりに機械的すぎて、思わず「人としてもうちょっと…」と口に出そうになりました。たかが一文字、されど一文字。事実に基づいて記載しても、それが“役所の目”で正しくなければ認められないという壁に、心が折れそうになりました。

「この地目では受け付けられません」から始まる悲劇

「この地目では受け付けられません」という一言は、まるで門前払いのような響きでした。こっちは現地に行って、地元の地権者とも話をして、しっかり調査してきた。なのに、現況写真一枚と職員の“主観”で「宅地ではない」と切り捨てられる。そんなことがあるんです。しかも口調は丁寧でも態度は壁。役所の「正しさ」に真正面からぶつかった気がしました。

役所の担当者との温度差と空気の読めなさ

担当者は30代前半くらい。事務的な対応を貫いていて、正直こちらが感じている「ズレ」に気づいていない様子。現場で働く我々司法書士が、どれだけ依頼人の要望と制度の間で板挟みになっているか、想像もしていない。こちらは笑って耐えているけれど、内心では「なんでわかってくれないんだ」と何度も叫んでました。空気が読めないというより、空気が別の層にある感じでした。

誰のための登記なのかという空しさ

本来、登記は依頼人の利益を守るためのものです。でも、現実には“制度を守るための登記”になってしまう場面が多い。依頼人が求めているのは、今の土地の使い方に合った登記。でも、制度が求めているのは、“形式的な整合性”。このギャップが大きすぎるんですよね。「依頼人のため」と思って動いても、その思いが制度の前で空回りする。その虚しさに、膝から崩れ落ちたくなる日もあります。

依頼人の希望と制度のすき間に挟まれて

依頼人は「登記を変えたらいいだけなんでしょ?」と簡単に言います。それも当然です。でも、その“いいだけ”の部分に、制度の壁や役所の判断が立ちはだかることを説明しても、なかなか理解してもらえない。「先生、それが仕事でしょ?」と笑顔で言われると、つい黙ってしまいます。わかってるんです、これが仕事。でも、挟まれる側の苦しさも知ってほしいと思うんですよ。

融通が利かないとは聞いていたけどここまでとは

正直、ある程度は予想していました。公務員って融通が利かない。でも「ここまでか」と思ったのは、担当者が“現地を見に行こう”ともしなかったこと。写真と書類だけで判断される土地の現況って、本当に正確なんでしょうか? こちらは泥だらけの靴で現場に立って、風に吹かれながら確認してきたのに。その汗も、努力も、帳消しにされる気がしました。

自分の正義と制度の正義のずれ

何が正しくて何が間違っているのか。この仕事をしていると、そんな問いにぶつかることが増えてきました。特に今回のようなケースでは、「自分は間違ってない」と思っていても、それが通らない場面がある。制度は制度で大切なものだとはわかっている。でも、それが人の感情や事情を無視して押し付けられると、どこかで何かが壊れるんです。たとえば“やる気”とか“誇り”とか。

野球部出身の根性ではどうにもならない

昔の自分なら、「よし、もっと頑張ろう!」って切り替えられたと思います。高校時代、野球部で鍛えた根性があると信じてた。でも司法書士という仕事は、根性論だけじゃ通じない。誠意や行動力だけじゃ突破できない壁がある。今回はまさにその典型で、打席に立ってもバットを振らせてもらえないような、そんなもどかしさを感じました。

正面突破の限界を感じた瞬間

役所とのやり取りで、何度も食い下がりました。でも相手は淡々と「前例がないので…」「指導要領に基づいて…」。こちらの熱量とは裏腹に、まるで水を打ったような冷たさ。最終的には「上司と相談します」と言われ、それっきり。正面突破どころか、門前払い。自分のやり方に限界を感じた瞬間でした。

「言い方って大事ですよね」と言いたかった

結局、やりとりの中で一番辛かったのは、相手の言葉の選び方でした。「ダメです」ではなく「こちらでは対応が難しいのですが、こういう方向性もありますよ」と言ってくれれば、少しは救われたかもしれない。でも、役所の言葉はとにかく硬くて冷たい。「制度ですから」で終わらせるのは、あまりにも無情。思わず「人としての言葉、ありませんか?」と呟いてしまいました。

事務所に戻ってひとり反省会

午後の陽が差し込む事務所で、一人椅子にもたれてため息。事務員は先に帰っていて、誰もいない静かな空間に、自分の足音だけが響く。何を間違えたんだろう、どうすればよかったんだろうと反省しながら、机の上の書類を見つめる。無性にコーヒーが飲みたくなるのは、決まってこういう日です。

事務員の「大変でしたね」の一言に救われる

次の日、事務員が出勤してくるなり、「昨日、大変でしたね」とぽつり。何気ないその一言が、思った以上に沁みました。誰かに話を聞いてもらえる、それだけで気持ちはずいぶん違う。司法書士は一人仕事が多いから、こういうささやかな共感が心の支えになります。たった一言でも、言葉の温度は心を温めてくれるんですね。

誰かが共感してくれるだけで気持ちは変わる

その日一日、特に大きな案件もなく、静かに書類整理をしながら「昨日のこと」を何度も思い返していました。どうせまた似たようなことが起きるだろう。それでも、事務員がぽつりと共感してくれたことで、「よし、また頑張るか」と思える。不思議なものですね。共感というのは、エネルギーなんだと実感しました。

それでも仕事を辞めない理由

嫌になることはたくさんあります。それでも仕事を辞めようと思ったことは一度もないんです。なぜかと聞かれれば、答えは一つ。「必要としてくれる人がいるから」。どんなに制度に押し潰されそうでも、感謝の一言で立ち直れる。だからこそ、この仕事を続けられているんだと思います。

依頼人の笑顔に報われることがある

後日、地目変更の依頼人に事情を説明し、別の方法を提案しました。「あんたがそこまでやってくれるなら信じるわ」と笑ってくれた顔は、忘れられません。制度に負けても、人に勝てた気がしました。結果として登記がすぐ通らなくても、依頼人にとっての“味方”でいられることが、やっぱり嬉しかったんです。

「助かりました」の言葉が沁みる日もある

登記が完了したとき、「本当に助かりました」と何度も頭を下げられました。その言葉ひとつで、役所でもらった冷たい視線も、理不尽な制度も、少しだけ許せた気がしました。司法書士という仕事は、見えないところで多くの感謝をもらっている。気づきにくいけど、それが確かに自分を支えているんだと、改めて感じました。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。