疲れてないつもりでいた自分に気づいたとき
ある日ふと、いつものようにパソコンを立ち上げてメールチェックをしていたとき、急に肩が重く感じて「なんだろうこれ」と思った。決して体力的に限界だったわけじゃない。睡眠もそこそこ取れていたし、体調も特別悪くなかった。ただ、なんというか、「やる気」みたいなものがゼロだった。その瞬間、ああ、自分は疲れていたんだなとようやく理解した。忙しい日々に慣れすぎて、疲れていることにすら気づかない。それが日常になっていたのだ。
気づけば笑う回数が減っていた
昔はもっと、何気ない話に笑っていたはずだ。テレビのバラエティ番組でひとり声を出して笑ったり、事務員との会話でクスっとする瞬間もあった。でも最近は、笑っている「ふり」をしていたことに気づいた。本当におかしくて笑った記憶が思い出せなかった。笑いの反射神経も鈍っていて、心のどこかにブレーキがかかっているようだった。「余裕」がなくなると、まず最初に削られるのが笑顔なんだと思う。
朝の支度中にため息が出るようになった
朝、洗面所で歯を磨きながらふと「はあ」とため息をついている自分がいた。特に理由もないのに、体が勝手にため息をついている。昔の自分なら、朝は「よし今日も頑張るか」なんて声に出していた。でも今は、その代わりに無言で立ち尽くす時間が増えた。顔を洗っても、気分がリセットされない。むしろ、その日の重さを先に予感してしまっているような、そんな感じだった。
鏡の前の顔が他人のようだった
ある朝、ふと鏡を見たときに、自分の顔がなんだか「他人事」に感じた。目が死んでるってこういうことかと苦笑したが、その表情すら作り物だった。たるんだ頬、無表情の口元、何かに耐えるようなまなざし。「これが俺か」と思ったら、急に悲しくなった。若い頃の自分なら、ここまで無理して働くことはなかったかもしれない。でも今は止まることも許されない気がして、そんな顔のまま事務所へ向かっていた。
事務員との会話ですら面倒になるとき
長年ひとりで事務所をやってきて、数年前に初めて事務員を雇った。頼れる存在であるはずなのに、最近はその彼女との会話すら億劫になるときがある。何か話しかけられても、心の中で「今じゃない」と思ってしまう。別に彼女に問題があるわけじゃない。ただ自分に余裕がない。心のキャパシティがすり減っていると、誰の声も負担になる瞬間がある。それを気づかせたのは、彼女の一言だった。
返事だけで精一杯だった日のこと
「先生、これどうしますか?」と聞かれた日、僕は「うん」「あとで」とだけ返した。そのまま視線も合わせず、PCの画面に逃げた。あとで自分でも後悔した。「ちゃんと返事してあげればよかった」と思うのに、それができなかった。脳が反応するスピードも、言葉が出てくるまでの力も全部鈍っている感じ。そんな日が週に何回もあると、自分がどんどん小さくなっていくようで辛くなる。
「元気ないですね」と言われて初めて気づく
ある日、事務員が何気なく「最近元気ないですね」と言ってきた。はっとした。自分の中では「普通」だったのに、他人から見れば明らかに変化があったのだ。それを言われて初めて「そうか、俺は今、元気じゃないんだ」と理解した。言われるまで気づけないくらい、自分を押し殺していたのかもしれない。こんなふうに、周りの人の言葉でしか自分の状態が分からないのって、結構危ないと思う。
本当はもう限界だったかもしれない
毎日毎日、登記や書類作成に追われていて「忙しい」なんて言葉を何回口にしたかわからない。でもそれは本音じゃなかった。「忙しい」という言葉に本当の疲労や不安を全部包んでしまって、心の声を誤魔化していた気がする。今思えば、「忙しい」は「助けて」の裏返しだったのかもしれない。
「忙しい」の一言で全部済ませてきたけど
「最近どうですか?」と聞かれて「忙しいですねぇ」と返すのが口ぐせになっていた。本当は「ちょっと限界です」と言いたかった。でもそんな弱音は吐けない。司法書士という肩書きが、自分を強がらせる鎧になっていた。だからこそ、余計に疲れが溜まる。自分を守るはずの言葉が、自分を追い詰める言葉に変わっていった。
登記の締切に追われる日々が当たり前に
登記の期限に追われる日々。それ自体はこの仕事にとって当然のことだし、最初はそれが心地よい緊張感だった。だけど、それが「終わりのないレース」みたいに感じ始めた瞬間から、おかしくなってきた。終わっても、次の締切が待っている。達成感よりも「間に合ってよかった」という安堵だけ。それが続くと、達成感という感情自体がどこかへ行ってしまう。
土日も気が休まらないことに慣れてしまった
かつては「土日は休む」と決めていた。でも、今は電話一本で一気に仕事モードに戻るのが当たり前になってしまった。スマホを見ないようにしても、どこかで依頼の連絡が気になってしまう。気が休まらない土日が積み重なって、それが「普通」になっていた。慣れって怖い。ちゃんと休むことに罪悪感を感じてしまうのは、完全に心が麻痺してる証拠だと思う。
なんのために働いてるのか分からなくなる瞬間
ふと、「俺ってなんのためにこんなに働いてるんだっけ」と思うことがある。依頼人のため?生活のため?自分のため?答えはその日によって変わるけど、どれもしっくりこない。こういう問いが浮かんだときは、たいてい心がすり減ってるサイン。目の前の仕事に意味が感じられなくなると、何もかもが重たく感じてしまう。
依頼人の笑顔にも素直に喜べなくなっていた
「ありがとう、助かりました」と笑ってくれる依頼人。以前なら、その言葉に本当に救われていた。でも最近は「やっと終わったな」という感情の方が先に来る。これはまずいなと思った。自分が誰かのために仕事をしているという感覚が、単なる作業にすり替わってきている。心がすり減ると、喜びの感度も鈍ってしまう。
頑張った日のご褒美がコンビニスイーツだけ
一日中頑張った帰り道、ふとコンビニに寄ってスイーツを買う。これが唯一のご褒美。でもそのスイーツを食べながら「これで報われたことにしていいのか?」と思う自分がいる。心の底では「もっと休みたい」「もっと人と話したい」「もっと笑いたい」って思ってる。でもそれを自分で封じて、小さな甘さでごまかしてる。そんな日常の積み重ねが、気づけば心を削っていたのかもしれない。