雨の日の朝に待っていた絶望
朝から土砂降りだった。天気予報は見ていたはずなのに、そんなに気にせず玄関を出た自分を、あとから殴りたくなる。傘を差していても横殴りの風、そして両手には郵送用の書類と法務局提出分の束。まさか、ほんの数十歩の移動でここまでの損害になるとは。この日を境に、天気を「ただの天気」と見てはいけないと心に刻んだ。水濡れした書類が、文字ごとにじんわり広がっていくあの光景。仕事の信用も、何か大事なものも、一緒に滲んで消えていった気がした。
封筒から滴る水滴とため息
車に乗り込んだ時にはすでに遅かった。封筒の隙間から入り込んだ雨が、見事に書類を直撃。中でインクが滲み、印鑑の朱肉はどろりと流れ、ページ同士はくっついてはがれない。助手席でそれを確認した瞬間、無意識に「やってもうた」と声が出た。声に出さなければ現実にならないと思っていたのに、声に出したところで現実はもっと厳しかった。急ぎの案件だった。書類の再発行には時間もかかるし、依頼人に迷惑がかかる。そして何より、自分の無力さに腹が立った。
たった5分の油断が招いた地獄
実際には自宅の玄関から車までのほんの5分の移動だった。でも、その5分が仕事の信用を崩壊させるには十分だった。玄関先で、荷物が多くて傘が斜めになったのが最初の失敗。封筒をトートバッグの上に載せたのが次のミス。あとになって考えれば、ファイルに入れて防水袋に入れておけばよかった。でも「まあ大丈夫だろう」が頭を支配していた。地方の一人事務所、朝はやることが多すぎて、そんな細かいところにまで気が回らない日もある。けど、それが甘えだった。
濡れた書類は乾かせば戻るのか
戻らない。物理的にも、精神的にも。書類をティッシュでそっと押さえたが、にじんだ文字は戻らなかった。ドライヤーを当ててみたが、波打った紙は余計にボロボロになった。結局すべてやり直し。依頼人への連絡、事務員への謝罪、そして自分への叱責。乾いた紙のようにパリッと戻るならいいが、現実はそうはいかない。こういう時、自分の仕事の脆さを思い知る。たった一滴の水に、これだけ負ける自分が情けない。
依頼人への謝罪が一番辛い
書類は再作成できる。でも、信頼は一度失えば戻すのに時間がかかる。電話越しに「そっか、また今度でいいよ」と笑ってくれた依頼人の声が逆に胸に刺さる。怒られるよりも、こういうやさしさが一番応える。あの日の自分を責める時間より、これから信頼を回復する努力の方が大切なはずなのに、頭ではわかっていても気持ちがついてこない。謝っても許されるとは限らないし、信頼は修復不可能なこともある。
「プロなんだから」と言われたあの一言
別件で言われた言葉だけど、頭をよぎった。「プロなんだから、言い訳は通じないでしょ」。その通りだ。どんなに忙しかろうが、疲れていようが、雨が降っていようが、結果として仕事にミスがあればそれは全部プロの責任。でも、そのプレッシャーに押し潰されそうになる時がある。誰にも見えない場所で、ひとり静かに崩れそうになる時がある。今回もそうだった。
自分の中の信用残高が減っていく
「またやってしまった」という記憶が、自分の中にじわじわと蓄積していく。依頼人にどう思われたかより、自分が自分を信用できなくなる。これは本当に厄介な感情で、一度沈むとしばらく浮き上がれない。仕事を続ける中で、自信の残高が日々減っていくように感じる。通帳が見えたら、たぶん残高はもう赤字だ。
地方の事務所ゆえの脆さ
都会の事務所なら、スタッフも設備も整っているかもしれない。でもこちらは地方、しかも少人数。何かあった時にすぐにフォローできる体制なんてない。天候ひとつで仕事が止まる。電車の遅延より、農道のぬかるみに足を取られる方が多い。そういう意味では、自然との闘いすら日常業務のひとつなのかもしれない。
紙中心の業務がまだまだ多い
電子化だなんだと世間では言われているが、司法書士の世界では紙がまだまだ主役。特に地方では、依頼人も高齢の方が多く、紙の方が安心されることも多い。そうなると、どうしても物理的に「濡れる」「破れる」「紛失する」リスクはついて回る。それでも紙をやめられないのが現実で、もどかしい。
デジタル化が追いつかない現実
クラウドやスキャン保存も使ってはいるが、全ての案件に使えるわけじゃない。法務局の手続きもまだ紙ベースが多いし、クライアントが「紙で欲しい」と言えばそれに従うしかない。こちらがいくら工夫しても、システム全体が変わらないと何も変わらない。そういう意味では、自分だけがアップデートしても意味がないのかと思ってしまう。
田舎のネット回線事情に泣かされる
動画配信どころか、PDF一枚送るのにも時間がかかるような日もある。たまにリモート会議を開こうにも音声が途切れる。セキュリティ上の問題もあるから、光回線を導入していても不安は尽きない。都会での司法書士業とは別世界。ICT化という言葉が、田舎ではまだ夢物語に近い。
一人の事務員に頼る限界
うちの事務員さんは本当に優秀だ。でも一人。自分と合わせてたったの二人で、すべてを回すのは無理がある。ミスが出るのも当然といえば当然。だけど依頼人には関係ない。誰がやったかじゃなく、結果だけが問われるからこそ、日々の重圧がつのる。
優秀だけど万能ではない
事務員さんにも生活がある。家庭があり、子育てがあり、体調不良もある。それなのに「明日までにこれを」などと頼まざるを得ない自分が嫌になる。無理をさせていると分かっていても、自分も余裕がない。誰も悪くない。でも誰も楽じゃない。そんな職場が、この業界には多い気がする。
忙しいときほど頼れなくなる
「これ以上負担をかけたくない」という気持ちが強くなると、余計に自分だけで抱えてしまう。そしてその結果、今回のような失敗を引き起こす。チームワークとは何か、信頼とは何か、そんなことを考える暇もなく、今日も明日も過ぎていく。
結局、自分でやるしかない病
誰かに頼るより、自分でやったほうが早い。そう思ってしまう時点で、もう病気だ。でも一人事務所の代表って、たぶんみんな似たようなものじゃないだろうか。自分が壊れなければ、まわりは守れる。そんな幻想を抱いているうちに、気づいたら壊れてる。そういうものだ。
同業の誰かへ向けた小さな吐露
たかが書類が濡れただけ、そう思う人もいるかもしれない。でも、そこに詰まっていた信用や努力や気配りが消えたと思うと、やっぱりただの紙ではなかった。この日がきっかけで、自分の働き方や弱さと改めて向き合った。誰にも言えない愚痴を、ここにだけこぼしておく。
みんなもきっと一度はやらかしてる
完璧な人なんていない。少なくとも私は、ミスだらけの人生を歩んでいる。だけどそれでも、今日もこうして働いている。それでいいじゃないか。そう思える瞬間が少しでもあれば、また明日も頑張れる。
それでも仕事は続けなきゃいけない
悲しくても、悔しくても、反省しても、また次の案件は待っている。だから前を向くしかない。ミスを糧にするなんて綺麗事かもしれないけど、ミスに潰されないための術でもある。
自分だけがダメなわけじゃない
この業界で頑張っている人たち、特に地方で孤独に耐えてる人たちに伝えたい。ダメな日があってもいい。書類がぐちゃぐちゃになった日があっても、あなた自身がぐちゃぐちゃなわけじゃない。私もそうだから。