ひとり言に返事がなくても生きていくしかない日々

ひとり言に返事がなくても生きていくしかない日々

誰もいない部屋に向かって話す癖

朝一番に出勤して、事務所の鍵を開ける。机に向かってPCを立ち上げながら、つい「さて」とか「よし」とか声に出してしまう。これがもう完全にクセになっていて、自分でもちょっと引く。誰も聞いてないのに、ひとりで喋ってる。だけど、それが無音の空間を埋めてくれる。最近では、誰かに話しかけるというよりも、自分自身を落ち着かせるために喋ってるんだと気づいた。たぶん、誰かと過ごす時間が減ったことへの反動なんだと思う。

会話じゃなくて確認作業になってる気がする

例えば書類を確認しながら「これで合ってるよな」と言ってるとき、誰かの返事を待ってるようで、実は自分の耳で自分を納得させてる。昔は事務所にもう一人か二人いた時期もあって、そういうときは自然に会話が生まれてた。でも今は、事務員さんも席を外してる時間が多くて、完全に一人の空間。だから、声に出して確認するようになったんだろうな。無意識に「ひとりでやってるんだぞ」と自分に言い聞かせてる。

「そうだよな」で終わるやり取りの虚しさ

書類の内容を声に出して確認して「うん、そうだよな」って独り言で締める。これ、誰かに同意を求めるようでいて、結局自分で自分に返事してるだけなんだよね。で、ふと気づくと、返事を待ってた自分がいたりして、急に空しくなる。人と話すって、ただの情報のやり取りじゃないんだなと思う。肯定されるとか、笑ってくれるとか、そういう温度のある反応が恋しくなる瞬間だ。

返事がほしいわけじゃないと言い聞かせてる

誰かに話しかけたいわけじゃない。ただ、黙ってると潰れそうになるから、声を出してるだけ。そうやって自分を守ってる。だから返事がなくてもいいんだと、そう言い聞かせてる。でも本音を言えば、やっぱり「うん」とか「そうだね」とか、ひと言ほしいときもある。人と一緒に働いてた頃の、なんでもない会話のありがたみを、ひとり言でごまかしている毎日だ。

ひとり言は心のバランス調整

この仕事は基本的に黙々とした作業が多い。お客様と接する時間より、書類とにらめっこしてる時間のほうが長い。だからなのか、ふと気づくとひとり言が増えてる。まるで体のどこかにたまった圧を抜くための呼吸みたいに、ポツリポツリと独り言が出る。無理して出してるわけじゃない。ただ、出さないとバランスが崩れそうになる。そういう意味では、自分なりの防衛本能なんだと思う。

孤独というより、空間の音がほしい

寂しいっていうより、音がないのが怖いんだ。静かな事務所にひとりでいると、時計の針の音がやけに大きく聞こえてきて、それがプレッシャーになる。そんなとき、ひとり言っていう「音」を発することで、空間が少しだけやわらぐ。BGMを流せばいいじゃないかとも思うけど、それだと今度は仕事に集中できない。だから、自然に出る自分の声がちょうどいい。「あーしんど」とか「腹減った」とか、誰に向けてるでもない言葉が、空間を埋めてくれる。

音のない時間に耐えられない瞬間

年を重ねるごとに、静寂が好きになるかと思ってたけど、現実は逆だった。若い頃のほうが黙ってられた。今は、無音に耐えられない。誰かと一緒に住んでるわけでもないし、仕事も一人。家でも事務所でも、とにかく音がない時間が長い。だから、ひとり言っていう「小さな音」が、自分の生活において大きな存在になっている。

事務員さんの足音が癒しになることもある

うちの事務員さんは静かに仕事をしてくれるタイプなんだけど、それでも机を引く音や、お茶を入れる音が聞こえるだけでホッとする。誰かが近くにいるだけで、精神的に安定するんだと思う。だから、たまにその音が止まると、自分でも驚くくらい落ち着かなくなることがある。ひとり言が出るのって、たぶんその不安を紛らわせるための手段でもある。

事務所の空気と私の独りごと

築年数の古いこの事務所には、妙な安心感がある。壁紙も少し剥がれてるし、エアコンの効きも悪い。それでも、ずっとこの空間にいると自分の居場所だと思えてくる。そんな空間で、独り言を繰り返す日々。慣れたようで、どこかで「これでいいのか?」と疑問も湧く。だけど、その疑問にも答えるのは自分自身しかいない。独り言が、そんな自問自答のきっかけになっている。

忙しいときほど口数が増える不思議

不思議なことに、バタバタしてるときほど、口に出して確認したり、状況をつぶやいてる。誰かとチームで動いてる感覚が抜けないのかもしれない。元野球部だった頃のクセだろうか。「俺ショート押さえるから、任せろ!」みたいな声かけを、仕事でもやってる感じだ。誰も聞いちゃいないのに、ひとりで確認、ひとりで決断。声を出してると、心のスイッチが入る気がする。

誰にも聞かれてないと気が緩む

声を出しているのは、ある意味で自分を律するためでもあるけれど、逆に「誰も聞いてないからこそ適当でいいや」と気が緩むこともある。だから、ひとり言を言いながらヘラヘラしてる自分にハッとすることがある。「ちゃんとやってんのか?」と、ひとりで自分にツッコミを入れながら、なんとか気持ちを保っている。

「間違ってないよな」と壁に聞く日常

最終的に、「これでいいよな?」と壁に問いかけてしまう。それが今日も一日を締めくくるルーティン。返事はもちろんない。でも、その無言の返答に、何かしら自分なりの答えを見出して、また明日もこの仕事を続けていく。そんな日々が、今の自分をつくっている。

返事がないことに慣れるという感覚

誰かと一緒にいるときに感じる安心感を、今は自分の中で作り出そうとしている。ひとり言は、そのための手段でもある。返事がないことに最初は寂しさや不安があったけど、今ではもう慣れた。むしろ、返事がないからこそ、自分で考えて進めるようになった気もする。そう考えると、ちょっとだけ自分を誇ってもいいのかなと思える。

一人で決めて一人で動く仕事

司法書士という仕事は、最終判断を自分でしなきゃいけない場面が多い。相談する相手がいないことも多いし、仮にいても責任は自分が取る。だからこそ、ひとり言を使って思考を整理してるんだと思う。表面的には独り言でも、内面では必死に整理しながら進んでる。これはもう、この職業の性かもしれない。

元野球部だった自分が、チームを忘れていく

かつては声を掛け合うのが当たり前だった。ミスしても「ドンマイ!」って言ってもらえた。でも今は、ミスをしたら全部自分に返ってくる世界。誰も「ドンマイ」なんて言ってくれない。だから、自分で「大丈夫、大丈夫」って言い聞かせる。少しずつチームプレーの感覚が薄れていくことに、寂しさを感じる。

それでも誰かと働くことの意味

そんな中でも、事務員さんの存在は大きい。一言「お願いします」と伝えるだけで、自分の中の緊張が少しほどける。声を掛け合うことの価値を、今になって痛感する。独り言では埋めきれない何かを、人とのやり取りが支えてくれることもある。

それでも話す、心が崩れないように

今日も事務所で「さて、やるか」と声に出す。誰かに届くわけじゃない。でも、それで気持ちのギアが入る。返事がないことにはもう慣れたし、独り言が返ってくる世界なんてきっと怖い。でも、心が壊れないように、今日も声を出す。自分を支える、そんなひとり言とともに。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。