報酬は払えないけどお願いと言われた日僕は少し壊れた
ある日突然のお願い事
それは、特に変わり映えのしない平日だった。いつものように机の上の書類を睨みながら、事務員さんと手分けして登記申請の準備をしていた昼下がり。一本の電話が鳴った。内容はこうだ。「報酬は払えないんですけど、ちょっとだけお願いできませんか?」と。…その「ちょっと」が実に重たかった。声の調子から察するに、本気でこちらの善意を当てにしているようだった。
相手の言葉が突き刺さる瞬間
電話口の向こうで語られたのは、ごく個人的な家庭事情と、「無料でやってくれる司法書士さんを探してるんです」という一言だった。まるで行政サービスとでも思っているのかもしれない。こちらは税金で運営されてる機関じゃないし、誰かの善意のボランティアではない。そう伝えても、「そうですかぁ…残念です」と呟かれ、罪悪感だけがこちらに残る。「そういう世の中ですよね」って、こっちのセリフだよ、と思った。
その一言で空気が変わった
「助けてもらえたら嬉しいなって思って…」という言葉に、心のどこかでカチッと音がしたような気がした。それまでなんとか丁寧に対応していた自分の声が、少しだけ冷たくなったのを自覚した。思い返せば、僕は昔から「頼まれたら断れない性格」だった。野球部時代も、雑用係ばかり押し付けられていた。それでもなんとかこなしてきたけれど、報酬すらないのに全力で期待されると、人ってこんなにも無力感に苛まれるのかと思った。
断り方すら考えられなかった
その時は「考えておきます」とだけ返して電話を切った。でも、本当はもう答えは出ていた。引き受けられない。けれど、はっきりそう言えなかった自分にも、ちょっと嫌気が差していた。夜になってもその電話の内容が頭から離れなくて、缶ビール片手にひとり、机に突っ伏していた。結局、こちらが傷つくだけなのに、どうしてこうも断るのが下手なのか…。優しさって、時には自分を追い詰めるものなのかもしれない。
ボランティアか仕事かの境界線
「士業」という言葉に、社会貢献や公的な役割を感じる人も多い。でも、僕ら司法書士も生活している。ただの一人の自営業者だ。誰かの人生を背負うような案件だとしても、それが「無料」であるなら、こちらの人生は誰が背負ってくれるのだろう。理屈ではわかっていても、感情が揺さぶられる場面は多い。
報酬があるかないかで変わる責任の重さ
報酬がある場合、責任の所在は明確になる。もし何かあっても、そこには「契約」がある。でも、無償だとそうはいかない。「やってくれたじゃないか」と言われればそれまでだ。責任感はあっても、法的な線引きはあいまいになる。つまり、善意が仇になることすらあるということだ。僕はその境界をこれまで何度も見誤ってきた。だからこそ、もうこれ以上自分を壊したくないという気持ちも、年々強くなっている。
善意と業務のあいだで揺れる心
「やってあげたい」という気持ちは確かにある。目の前で困っている人に、できることなら手を差し伸べたい。でも、そのたびに心のどこかがすり減っていくのもまた事実。善意と業務のはざまで、僕らは毎日のように揺れている。本来ならプロとしての線引きを保つべきなんだろうけど、人間だからね、感情が先に動くときもある。
何でも屋にはなりたくなかった
独立してしばらく経って気づいたことがある。「ちょっとしたこと」を頼まれるときって、本当に多い。でも、そういうときほど感謝されないし、むしろクレームになることすらある。僕は司法書士として独立したつもりだったけど、気がつけば何でも屋のような扱いをされていた。自分の専門性はどこにあるのか、何のために資格を取ったのか、ふと分からなくなることがある。
独立してからの変な依頼ランキング
開業して十数年。いろんな依頼を受けてきたが、中には「これは司法書士に頼むことか?」と思わず聞き返したくなるものもあった。好意で応えたつもりが、あとで面倒になるケースも少なくない。
一番多いのは無料相談依頼
電話や飛び込みで来て、「ちょっと聞きたいだけなんですけど」と始まるやりとりが一番多い。簡単な話なら…と対応すると、気がつけば1時間話し込まれていたなんてこともある。しかも最後に「じゃあ他にも当たってみますね」なんて言われた日には、何のために時間を使ったんだろうと空しくなる。これをやめたくて、最近は予約制と時間制限を設けるようにしている。
次に多いのはちょっと見て案件
「この書類、ちょっと見てもらえますか?」と言われると、なんだか簡単そうに聞こえる。でも、その「ちょっと」が、場合によっては根本的な見直しや法的判断を要するケースだったりする。以前、軽い気持ちで見た書類が、後々トラブルになって巻き込まれかけたこともある。それ以来、書類を見るだけでも「責任」が発生するという意識を持つようにしている。
地元だからって何でも受けられない
地方で開業していると、「地元のよしみで」「顔見知りだから」といった理由で無理を押しつけられることがある。だけど、それに全部応えていたらこっちが潰れる。人付き合いの濃さが裏目に出ることも多くて、正直、都会の匿名性が少しうらやましくなることもある。僕だって人間だから、全部に笑顔で応えられるほど強くない。