たまには誰かに甘えたくなる夜がある

たまには誰かに甘えたくなる夜がある

強がっているのがバレないように生きている

「先生はしっかりしてますね」と言われるたび、心のどこかで笑ってしまう。しっかりして見えるだけだ。毎日、気を張って生きているだけ。地方の司法書士として、たった一人で事務所をまわしていると、強がりでもなんでもなく「自分がやるしかない」という現実がある。だけどその強さは、誰かに甘えることを知らないだけかもしれない。夜、ひとりになって、ふと自分の気持ちに目を向けると、「本当は誰かに頼りたい」と思っていることに気づく。

今日も一日誰にも弱音を吐かずに終わった

朝から登記の相談、午後は法務局、夕方には依頼人との電話。そして、夜は事務作業。気づけば今日も誰にも「疲れた」とさえ言わずに一日が終わった。誰かと雑談する時間もないまま、弁当をかき込んで、書類に目を通し、あっという間に夜。昔は「誰かに愚痴をこぼすなんてカッコ悪い」と思っていたけど、今はただ、「そんな場所があってもいいのにな」と思う。

「ひとりで大丈夫」は習慣でしかない

いつの間にか、「大丈夫です」が口癖になっていた。風邪をひいても、大事な契約が立て込んでも、「ひとりで大丈夫」と自分を奮い立たせる。だけど、それは本当に大丈夫だからじゃなくて、「頼れる人がいない」と思い込んでいるから。野球部だった学生時代、根性と我慢が美徳だったのがそのまま大人になった感じだ。

それでも人は誰かに頼って生きている

人間は、社会的な生き物だ。誰かに頼り、頼られながらバランスを取っているはずなのに、自分だけはその輪から外れている気がする。実際には、事務員さんの存在も、周囲の専門家とのネットワークも、支えになっているのに、それに甘えることにすら罪悪感がある。でも本当は、ちょっとでも「助かった」と言えたら、それでいいのかもしれない。

司法書士という肩書きが弱さを隠してしまう

司法書士という職業は「頼られる側」だ。人に安心を与える立場。だからこそ、自分の弱さはなかなか見せづらい。悩みがあっても、心が疲れていても、プロとしての顔を守らなければいけない。それが看板であり、信頼でもある。でもその分、心の内側では“誰かに甘えたい”という気持ちが膨らんでいく。

頼られる仕事ほど孤独になる不思議

「頼りにしてます」と言われれば嬉しい。でも、その分「頼る」側にはなりにくくなる。助けを求めると「そんなに大変だったの?」と驚かれてしまうから。いつも“平気そうな顔”をしていたツケだと思う。昔から、誰にも弱音を吐かないキャラだった。今さら変えられない自分の立ち位置が、たまに苦しくなる。

「先生」と呼ばれることで甘える場所が減った

「先生」と呼ばれるたびに、どこか距離を感じてしまう。敬意を持ってもらえるのはありがたいけれど、同時に“人間味”を失っていく気もする。「先生なんだから頑張らないとね」と自分に言い聞かせているうちに、どこで手を抜いていいのかもわからなくなった。

専門家という鎧の中の正直な気持ち

「何でも知ってるでしょ?」と言われても、正直わからないことの方が多い。「なんとかします」と口にするたび、内心はプレッシャーとの闘い。けれど、そんな気持ちを打ち明ける場所がない。専門家としての鎧を脱いだとき、そこにいるのは、不器用で臆病な自分だけなのだ。

忙しさに逃げてしまう日々

予定がぎっしり詰まったカレンダー。電話はひっきりなし。正直、全部投げ出したくなる日もあるけれど、忙しいからこそ“甘えたい気持ち”を後回しにできる。その逃げ方に、どこか安心してしまっている自分がいる。でも本当は、ほんの少し、誰かに「大丈夫?」って聞いてほしいだけなのかもしれない。

誰かに心配されるより仕事を優先してしまう

友人に「最近どう?」と聞かれても、つい「まあまあかな」と返してしまう。本音は「しんどいよ」なのに。心配されたら泣いてしまいそうで、それならいっそ、心配されないようにしてしまう。仕事を理由に会わない、話さない、感情を出さない。そんなことを繰り返しているうちに、甘えることを忘れていった。

一人事務所の責任は軽くはない

自分が止まれば、すべてが止まる。それが個人事務所の現実。だからこそ、自分にムチを打ち続けてしまう。誰かに頼れたら楽なのに、その“誰か”をつくる余裕すらない。事務員さん一人を守るだけでも、プレッシャーは重たい。それでも毎日、事務所の灯りをつける。

「ひとりで回すこと」に疲れてしまった

効率化や時短とか、そんなことは百も承知。でも、結局全部自分でやってしまうのは、「甘える」ことへの恐れがあるから。自分が頼んでうまくいかなかったら、申し訳ない。そんな気持ちが勝ってしまう。だからこそ、誰かに少し寄りかかることは、自分にとって大きな一歩なのだ。

本当は誰かにただ聞いてほしいだけ

特別なアドバイスや励ましなんていらない。ただ、黙って「うんうん」って聞いてくれるだけでいい。子どもの頃、悩みを親に話していたように、大人になってもそんな場所が必要だと思う。でもそれを「甘え」と片づける社会の空気が、結局また自分を無言にさせてしまう。

アドバイスなんかいらない夜もある

「こうすればいいよ」とか、「前向きに考えよう」とか、正論で返されると余計に苦しくなるときがある。ただ聞いてくれるだけで、心が軽くなる夜もある。だから、そんな夜は「今日ちょっとだけ疲れたな」と呟ける相手がいてくれたら、それだけで救われる。

居場所と居心地は違うという話

事務所という「居場所」はあっても、「居心地がいい」と思える時間は少ない。どこにいても、誰かに見られている気がする。自分を演じなければいけない。そういう意味では、本音で話せる相手がいる場所こそが、本当の「居場所」なのだと思う。甘えられる空間。それは、心の避難所でもある。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓