独身を笑える日は本当に来るのか俺はまだ笑えない

独身を笑える日は本当に来るのか俺はまだ笑えない

笑い話にできるほど独身生活は軽くない

「独身って気楽でいいよね」と言われるたびに、どう返せばいいのか分からなくなる。確かに自由かもしれない。でも、その自由は「孤独」という代償の上に成り立っている。誰かに気を遣う必要がない代わりに、誰にも気にされない夜がある。司法書士という仕事は、そもそも孤独に向き合う時間が多い。依頼者との会話はあるが、あくまで仕事。プライベートの会話ではない。ふと気づけば、自分の話をちゃんと聞いてくれる人なんていないじゃないかと思うときがある。笑い飛ばせるほど軽い人生なら、こんなにも息苦しく感じることはなかった。

「自由でいいね」と言われるたびにモヤモヤする

飲み会の席で既婚者に「独身はいいよな、自由で」と言われたとき、思わず箸が止まった。いや、自由なのは事実なんだけど、その自由をどう扱っていいか分からない日もあるんだよ。休日にふと思い立って一人でドライブに行けるのは確かに楽だ。でも、車の中でラジオを聞きながら、心に浮かぶのは「この景色を誰かと共有できたらな」という虚しさ。誰にも縛られず、誰にも期待されず、誰にも待たれない。そんな自由が続くと、人間はだんだん「どうでもよくなる」危険がある。自由と孤独は紙一重なのだ。

寂しさと静けさは違うと言い聞かせている

自宅に帰ると、電気を点けた瞬間に感じるのは「静けさ」だと思っていた。でもある日、電球が切れて真っ暗な部屋で立ち尽くした時、「あ、これ寂しいんだ」と気づいた。静けさは心地よい時間。けれど、それが長く続くと「誰かにそばにいてほしい」と思ってしまう。部屋の中で独り言を言ってみたり、意味もなくスマホを見てみたりする自分が、どうしようもなく人恋しい。静けさは選べる。でも寂しさは、選ばずとも勝手にやってくる。司法書士としての仕事が終わった後のこの感情に、名前をつけるなら、それはやっぱり“寂しさ”なのだ。

帰っても話し相手がいないという現実

仕事終わりの帰宅。テレビをつけて、冷蔵庫から缶ビールを取り出す。この時間が一番好きだったはずなのに、最近は虚しさが勝るようになってきた。誰かと「今日こんなことがあってさ」と他愛のない話をするだけで、きっと気持ちは軽くなる。でも今の僕にはその相手がいない。話し相手がいないというのは、思った以上に心にじわじわと効いてくる。話さないことで気持ちの整理がつかず、どんどん思考がこじれていく。そんな自分を、最近ようやく自覚できるようになった。

テレビの音だけがやけに大きく感じる夜

テレビの音量を少し上げてみる。ニュースキャスターの声、バラエティの笑い声。でも、笑っているのは僕じゃない。部屋の中に反響するその音だけが、なんだかやけに大きく感じられる。そんな夜は決まって寝つきが悪い。音が鳴っていても、それは自分に向けられた声ではないから、心はどんどん乾いていく。テレビの中の「誰か」に救われたいと思っている自分が、ちょっと情けない。でも、それが現実だ。

仕事があるから独身でも何とかなると思っていた

司法書士という仕事は、独立してしまえば基本的に自分の裁量で進められる。最初の頃は「一人でも回せるのがこの仕事のいいところ」と思っていた。事務員を一人雇いながら、あとは自分でなんとかする。日々、登記や相続の書類に追われ、時間はあっという間に過ぎる。だから独身でも平気だった。…いや、平気なふりをしていたのかもしれない。ふとした瞬間に、「この生活、あと何年続くんだろう」と思う時がある。

朝から晩まで書類と向き合うだけの日々

朝8時。パソコンを立ち上げて、昨日の依頼分を整理し、メールに返信する。昼ご飯を食べながらも、頭の中は「次の登記は何から準備するか」でいっぱい。夕方になれば法務局や銀行と連絡を取り、帰る頃にはぐったり。書類と向き合っている時間が長すぎて、たまに“人間”というものを忘れそうになる。仕事があるから生活はできている。でも、生活しているだけで“生きてる”実感があまりない。それが今の正直な気持ちだ。

事務員さんとの会話が今日一番の人間交流

「先生、今日のお昼どうします?」という事務員さんの声に、心のどこかが少し救われる。世間話を交わす時間が、実は今日一番の“人とのつながり”だったりする。もちろん雇い主と従業員という立場があるから、気軽に何でも話せる関係ではないけれど、それでもありがたいと思う。仕事だけじゃなく、誰かと笑い合える時間があるだけで、心は少しだけ元気になれる。もっとも、その時間が終わるとまた一人になるわけだけど。

「今日も忙しいですね」の裏にある気遣い

「今日も忙しいですね」という一言に、どれだけ救われていることか。大変なのは事務員さんも同じはずなのに、そんな言葉をかけてもらえるだけで「自分はちゃんとやれてるのかな」と思える。人の一言には力がある。逆に、誰からも声をかけられないと、人間はどんどん自己否定に陥っていく。「俺は何のために頑張ってるんだろう」と。だからこそ、小さな一言が沁みる。そして、そういう優しさにちゃんと気づける自分でいたいとも思う。

孤独と向き合うのが仕事になりつつある

司法書士として独立して10年以上が過ぎた。最初は「人の役に立ちたい」という想いだったけれど、今は少し違う気もしている。誰かのためというより、自分のために“仕事をしている”という感覚が強くなってきた。それは、孤独から逃げないための手段かもしれない。働いている間は、自分の存在価値がある気がする。でも、仕事が終わると、その存在が急に曖昧になる。だから今日も働いている。孤独から目を逸らさないために。

笑える日が来るのかは分からないけど

正直、独身を笑い話にできる日が来るのかは分からない。でも、こうして文章にしてみると、少しだけ自分の気持ちが整理されていくような気がする。誰かに読んでもらえるかもしれない、誰かが共感してくれるかもしれない。そう思えるだけでも、少し気が楽になる。笑えない現実でも、共有できれば少し軽くなる。そう信じて、今日もこの孤独な日常を生きている。

今この現実を誰かと分かち合いたい

寂しさや不安を、誰かと分け合えるだけで心は軽くなる。昔の仲間に連絡してもいいのかもしれない。同じように独身で、同じように孤独を抱えている誰かが、きっといるはずだ。仕事も生活も、自分一人で完結するものではない。誰かとつながることで、ようやく意味を持てるのかもしれない。今日の疲れや愚痴を、ほんの少しでも笑って話せる相手がいたら、それだけで十分だと思えてきた。

同じように頑張ってる誰かへ

もしこれを読んでくれているあなたが、僕と同じような日々を送っているなら。仕事は順調に見えて、でも心の中は曇っている。そんな気持ちが分かるからこそ、声をかけたい。「一人でも、あなたはちゃんと頑張ってる」と。独身でいることに意味があるかは分からない。でも、それがあなたの今なら、それでいい。無理に笑わなくてもいい。泣いても、黙っても、ちゃんと前に進んでいる。

一人でも前を向ける方法を模索している

毎日は同じようで少しずつ違う。その中で、自分なりの“前を向く方法”を探している。僕にとっては、それがこうして文章を書くことだった。あなたにとっては、何だろう。小さな楽しみでも、声をかけてくれる誰かでも、自分を肯定できる瞬間でもいい。笑える日が来るかどうかなんて、分からない。でも、自分が少しでも軽くなる方向に、心を向けていけたら――それだけで十分じゃないかと思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。