朝起きた瞬間にもう疲れている
目覚ましが鳴る前に目が覚めて、「ああ、今日も始まってしまったか…」と布団の中でため息。昔は朝の空気が気持ちよかったはずなのに、今ではその空気に押しつぶされそうになる。司法書士という仕事に誇りがないわけじゃない。でも、朝からこの重たさを抱えて出勤するのは、もう何年も続く習慣のような疲労感に近い。事務所の鍵を開ける前に、今日の予定を確認するのも億劫になる。
目覚ましは敵か味方か
目覚まし時計の音が「戦闘開始」の合図にしか聞こえない。音量を小さくすれば気づかないし、大きくすればストレスになる。いっそ壊れてくれればいいのにと思った朝もある。とはいえ、鳴らなければ仕事に遅れる。目覚ましとは「やりたくない現実」と「やらねばならぬ責任」を思い出させる存在で、毎朝小さな戦いを強いられている気分だ。
二度寝が許されない現実
休日の二度寝は至福だが、平日の二度寝はただの逃避。5分だけ…と思って目を閉じたら30分経ってたなんて日もある。かつて一度それをやらかして、依頼者からの電話で飛び起きた。あの時の心拍数は今でも覚えている。それ以降、目覚ましは3台体制になった。でもその3台に囲まれた睡眠が本当に安らげるのかと言われると、答えはノーだ。
スマホの通知にげんなりする
目覚めてまずスマホを見るのが癖になってしまっている。「至急お願いします」や「今日中に確認できますか?」の通知が目に入った瞬間、一気に現実に引き戻される。カーテンの隙間から差し込む朝日より、LINEの通知の方がまぶしく感じる日すらある。通知を見た時点で心が折れるような朝は、週に3日はある。せめて朝一番は、誰も僕に用事がありませんようにと祈るようになった。
メールの未読数がやる気を削る
事務所に着いてパソコンを開けると、未読のメールがズラリ。数はそんなに多くなくても、1通1通が重たい。「この登記ってどうなってますか?」とか「今から行っていいですか?」という文面の圧がすごい。文章の短さと内容の重さが反比例している。ひとつひとつに返事するのが義務なのはわかってるけど、どうしても気持ちが乗らない日がある。
至急の案件はなぜか月曜に集中する
不思議なことに、「至急でお願いします」という案件は月曜に集中する。週末に考えたことを月曜に全部吐き出してくるのかと思うくらい。土日は休んでいるようで、依頼者の頭の中ではずっと何かが進行しているらしい。こっちは休日明けでエンジンがかかっていないのに、いきなりアクセル全開の要望をぶつけられると、もうクラッチが焼けてしまいそうだ。
「ちょっと聞きたいんですけど」が一番怖い
電話の第一声が「ちょっといいですか?」だと、反射的に心臓がドクンとする。「ちょっと」と言いながら大体30分コース。それでいて結論が出ないこともある。だったらメールにしてくれればいいのに、と思うけど、相手からしたら「一番早い方法」が電話なのだろう。こちらの気力はじわじわ削られていく。
一行だけで終わってるメールに深読みしてしまう
「確認お願いします」の一言だけのメール。シンプルだけど、逆にいろんな意味に取れてしまう。何かまずかったか?忘れてたか?怒ってるのか?…と不安が止まらない。過去の自分の対応を思い出そうとして、頭の中で何回も再生する。司法書士という仕事は、ちょっとした言葉の裏に神経を尖らせる習慣が身についてしまう職業だとつくづく思う。
事務所にこもっていると世界から取り残された気がする
朝から晩まで同じ部屋にいて、同じ書類とパソコンとにらめっこしていると、まるで時間が止まっているように感じる。外は季節が変わってるのに、自分だけが取り残されているような。たまに窓を開けても、風景が遠い。誰とも会話せずに1日が終わる日だってある。この閉塞感が、じわじわと心に効いてくる。
窓の外の晴れがうらめしい
快晴の日に限って、書類の山に囲まれている。外に出たいとは思わないけど、「出られない」という感覚がストレスになる。せめて誰かと一緒に缶コーヒーでも飲めたら気が紛れるのに、そんな相手もいない。独身の司法書士の事務所なんて、晴れの日が一番つらいという逆説がある。
誰とも話さない時間が長すぎる
事務員が休みの日は特にひどい。朝「おはようございます」と言ってから、夜「お疲れさまでした」と自分に言うまで、誰とも話さない。電話も来客もない日は、もはや幽霊になった気分。昔、野球部で声を張り上げていた自分とは別人みたいで、声帯が退化してるんじゃないかと不安になる。
昼休みに声を出すのが一発目
弁当を温めて「熱っ」と声が出た時、それがその日初めて発した言葉だったりする。自分の声が少しこもって聞こえて、老けたなと思う。声を出さないと、気持ちまで内にこもる気がする。でも独り言を言うのもむなしくて、結局黙ったまま午後に突入してしまう。
元野球部のプライドと肩こりの現実
肩こり、腰痛、目の疲れ。どれを取っても自覚症状あり。でも、自分はまだまだ動けると思っていたい。元野球部というプライドが、老化の現実をなかなか認めたがらない。けれど、体は正直。疲労が抜けるのに二晩かかるようになってきた。
体力の限界を感じる午後三時
午後三時。お菓子をつまみながら、「あと何時間…」とカウントダウンが始まる時間帯。書類に目を通していても、頭がボーッとして、ミスが怖くなる。でも時間は待ってくれない。集中力を保つために、ストレッチしたり、深呼吸したり、あの手この手で誤魔化しながらやりくりしている。
ストレッチしても戻らない肩の重さ
首をぐるぐる回しても、肩を叩いても、重さは変わらない。事務作業の姿勢は固定されがちで、動かない日が続くとさらに悪化する。マッサージに行っても「これはひどいですね」と言われる始末。野球部時代に鍛えた筋肉の名残なんて、もう跡形もない。
草野球の誘いに行く元気はもうない
昔の仲間から草野球の誘いが来ることがある。最初は「行きたい!」と思うけど、スケジュールと体力を考えると断るしかない。グローブに手を通すことさえ億劫に感じる日もある。だけど、たまに夢に出てくるんだよな、球場の景色。今の仕事も「試合」だと思えば、なんとか踏ん張れる気がしている。
明日もきっとしんどいと思いながら寝る
結局、今日も疲れたなと思いながら布団に入る。「これで良かったのか」と自問するけど、答えは出ない。だけど、明日もまた誰かのために動く自分がいるんだろうなという予感だけはある。司法書士という仕事は孤独だけど、誰かの人生とほんの一瞬でも交差する役割でもある。その重みが、しんどさを超えてくれる日もある。
それでも辞めない理由がある
「楽になりたい」と思う日は何度もある。それでもこの仕事を続けているのは、やっぱり「誰かの助けになってるかもしれない」という淡い希望があるからだ。明確な成果が見えにくい仕事だけど、感謝の言葉をもらえるときだけは、このしんどさが少しだけ報われる。
誰かの役に立ってると信じたい
この書類が誰かの未来を変えるかもしれない。そんなふうに思えるときがある。見えないつながりの中で、自分の役割を少しだけ信じることができる。役に立っていると思えない日でも、「役に立とうとしてる自分」を否定しないようにしている。
愚痴を言える場所があるだけで救われる
こうやって文章にすることが、今の僕にとっての救いかもしれない。誰かに読まれて共感されたら、それだけで報われる気がする。司法書士だって、人間なんです。しんどいときは、しんどいって言っていい。今日もちょっとしんどいけど、また明日、起きて事務所の鍵を開けるつもりだ。