午後の来客は小さな違和感を連れてきた
その日、事務所には冷たい風と一緒に一人の女性が訪れた。名を佐原と名乗るその女性は、父親の後見に関する相談だと言った。資料を出す手つきに慣れた様子はなかったが、その表情には奇妙な緊張が張り付いていた。
彼女の声は小さく、目を合わせるのもどこか苦手そうだった。だが、机に置かれた診断書のコピーだけが異様に整っていて、それが俺の警戒心に小さな火を灯した。
書類の奥に隠された名前
書類一式を受け取って中を確認していたサトウさんが、ふと眉をひそめた。「この委任状の連絡先、使われていませんね」。俺は椅子を軋ませながら立ち上がり、書類を覗き込んだ。
確かにそこには、表向きの情報とは異なる電話番号が記されていた。無言のまま、彼女の目線を感じながら俺たちは書類の山を見つめた。
後見制度の裏で誰が得をするのか
制度そのものは、善意によって成立しているはずだった。だが、どこかでそれが金の匂いを帯び始めた瞬間がある。後見人が自由に扱える財産の管理。
佐原の父は、土地を三つ持っていた。それが今は一つだけ。理由は不明だが、相続も売買も記録されていない。不自然さが漂っていた。
かすれたサインと異なる筆跡
「これ、父の字じゃない」と佐原が小さく言った。俺もすぐに気づいていたが、あえて言わなかった。サインの筆跡は明らかに別人のもので、しかも年配者の震える字ではなかった。
真実は、手元の紙切れよりもずっと重い。だが、軽いサインひとつで人の運命は変わる。それが登記という仕事の怖いところでもある。
被後見人の独り言が意味するもの
施設を訪ねたとき、佐原の父は俺たちを見てこう呟いた。「あれは夢だったのか、それとも取られたのか」。誰に? 何を?
会話にならないほど朦朧とした意識の中、彼は繰り返し「鍵を返してほしい」と言った。だが彼の部屋には鍵などなかった。いや、既に誰かが持っていったのだろう。
サトウさんの即断と冷笑
「これ、施設の職員じゃないですか?」と、サトウさんが写真を指差した。見覚えのある顔だった。定期訪問しているケアマネのひとり。だが、その人物が他人名義で土地を買っていたとしたら?
「やっぱり詰めが甘いですね、あの人」。サトウさんの口調は淡々としていたが、目の奥に冷たい光が灯っていた。
訪問介護職員の証言が揺らぐ
事情を聴きに行った職員は、はじめこそ毅然と応対していたが、俺たちが資料を並べるにつれ、口ごもり始めた。「そんなつもりじゃなかったんです」と呟くその口元は震えていた。
「何のつもりだったのか、教えてもらえますか?」と俺が言うと、彼はしばらく黙っていた。そしてようやく、土地の売却に加担したことを認めた。
隠された日記帳の存在
被後見人の父の部屋からは、一冊のノートが見つかった。日記と呼ぶにはあまりに断片的だったが、そこには「鍵」「あの人の名」「土地」といった言葉が並んでいた。
サトウさんが読み進めるうちに、彼の恐れや混乱、そして疑念が浮き彫りになってきた。声には出せなかったが、確かに彼は「証言」していたのだ。
財産目録に記載されない家
登記簿上では存在しないが、地元の人が「佐原の別宅」と呼ぶ小さな平屋があった。そこは売買履歴も存在せず、地図にも載っていなかった。
不動産業者と結託し、登記簿を移し替えたのだろう。俺の経験上、こういう“抜け”はわざと起こる。そして、多くの場合、誰かの無知と信頼が利用される。
登記簿から消えたはずの土地
古い紙ベースの登記情報を調べ直すと、確かに一度所有権移転がされた形跡があった。しかし、なぜか最新のデータベースには反映されていない。
つまり、事件の裏には不正なデジタル操作があったことになる。これが、たった一人の司法書士には重すぎる現実だとわかっていても、俺は止まれなかった。
やれやれ俺の出番かもしれない
一連の資料をまとめ、警察へと持ち込む決断をした。証拠は充分、あとは法の裁きに委ねるだけだ。やれやれ、、、面倒事ばかりの人生だ。
だが、目の前で佐原が小さく頭を下げる姿を見て、俺は少しだけ心が軽くなった。そう悪い仕事でもないのかもしれない。
真実に近づくたびに誰かが口を閉ざす
事件の核心に近づくたび、関係者は口を閉ざした。利害関係、恐怖、あるいは単なる自己保身。被後見人のような弱者が犠牲になるたび、誰もが見て見ぬふりをする。
だが今回は違った。サトウさんの冷静さと、俺の諦めの悪さが、それを許さなかったのだ。
証拠は過去の申請書にあった
決め手となったのは、古い登記変更申請書の控えだった。そこには偽造が明らかな印影と、捏造された委任状が添付されていた。
俺たちはそれを提出し、事件はついに公にされた。だがその過程で、多くの見えない闇も浮かび上がってきた。
法廷では語れなかった記憶
被後見人は裁判には出られなかった。意思能力が認められないという理由で。それでも、彼が残したメモや日記は、十分すぎる証拠となった。
「声なき証言」は、ようやく形となって世に出たのだった。
声なき証言が事件を覆す
判決は有罪。介護職員は業務上横領と詐欺罪で処罰された。不動産業者も免許取消しとなり、後見制度の在り方に一石を投じることとなった。
佐原は涙を見せず、ただ「ありがとうございました」とだけ言った。多くを語らないあたりが、父親譲りなのかもしれない。
サトウさんの一言が全てを締めくくる
事務所に戻った俺が、深いため息をついたとき、サトウさんがポツリと言った。「今日も一件落着ですね、毛利小五郎さん」
やれやれ、、、名探偵役は性に合わないって何度言ったことか。でもたまには、それも悪くないかもしれない。