先生と呼ばれても救われない日々

先生と呼ばれても救われない日々

先生って呼ばれるけど中身はただの事務屋です

「先生ですね」と言われるたび、正直なんとも言えない気持ちになる。確かに肩書きは司法書士。法律に関する専門知識を持ち、登記や相続の手続きを行う立場にはある。でも実際の毎日は、電話対応、書類作成、法務局への移動など、地味で手間のかかる作業の連続だ。言ってしまえば、きれいなスーツを着た事務員。かっこいいものじゃない。そんな現実の中で「先生」という呼び方だけが浮いていて、時にプレッシャーにさえなる。名前じゃなく「先生」と呼ばれるたびに、自分が偽者になったような感覚さえある。

「先生ですね」と言われた瞬間に感じる違和感

お客様に名刺を渡したとき、決まって言われるのが「先生なんですね、すごいですね」という言葉。もちろん悪気はない。でも、その言葉を受け取るたびに、心のどこかがザワつく。自分が何か立派なことをしているように見えるのだろうか。本当は、昨日も今日も、ただの書類確認に追われて終電ギリギリの帰宅だった。すごいどころか、肩こりと腰痛に悩まされながらの地味な毎日。それなのに「先生」と持ち上げられると、まるで自分がその期待に応えられていないような、嘘をついているような、そんな気持ちにさえなる。

肩書きと実務のギャップが生む虚しさ

司法書士という肩書きは、一見華やかに見える。でも実務は泥臭い作業の連続だ。登記の確認一つでも、細かい数字や日付のチェック、依頼者とのやりとり、書類の不備の修正など、地味で気を抜けない作業が続く。そんな日々の中で「専門家」と呼ばれることには、ある種のギャップがある。もっとも、昔は肩書きに誇りを持とうとした時期もあった。でも、10年以上この仕事をしてくると、名刺に印字された「司法書士」の三文字よりも、今日ミスがなかったかどうかのほうが、ずっと大事に思えてくるのだ。

登記の山に埋もれて今日も昼食はパン一個

午前中から登記の準備に追われ、午後には役所回り。戻ってきた頃にはもう15時を回っていた。結局コンビニで買ったパンをデスクでかじりながら、また別の案件の資料に目を通す。この流れ、週に何度あるだろう。誰にでもあることだとは思う。でも、ふと「先生」と呼ばれた日を思い出すと、その姿との落差に苦笑いするしかない。本当の自分は、背広の中に縮こまって、栄養バランスの悪いパンを頬張ってる、ただの働き詰めの40代男なのだ。

一人事務所の現実は想像より孤独です

開業当初は「ひとりで自由にやれる」と思っていた。でも、実際に一人で回す現場は、想像よりずっと孤独だった。事務員はいてくれるけれど、彼女にも休みはあるし、外出もある。そんな時、事務所には自分ひとりだけ。依頼者がいない時間は静まりかえっていて、時計の秒針の音ばかりがやけに大きく聞こえる。人と話さない一日がこんなに堪えるなんて、会社員時代には思いもしなかった。

電話も来客もゼロの日の静けさ

事務所でじっと待っている時間。電話も鳴らず、訪問者も来ない。静かで集中できる環境だと言われればそうかもしれない。でも実際は、何か見えない不安がじわじわと心を覆ってくる。案件が動いていないこと、依頼が入ってこないこと、それらが全部「自分の価値がない」というメッセージに思えてしまうのだ。誰にも必要とされていない感覚が、思った以上にメンタルにくる。それでも翌朝になれば、また淡々とパソコンに向かっている自分がいる。

誰とも会話せず終わる金曜日の午後

一番こたえるのは週末直前の金曜日。午後になっても電話が鳴らない、メールも来ない。今日は何もなかったんだな、と気づく瞬間が一番つらい。以前、コンビニの店員に「ポイントカードは?」と聞かれて、思わず「はい」と食い気味に答えてしまった日がある。それまで一言も口を開いていなかったから、声の出し方を忘れかけていたのだ。たった一人で事務所を切り盛りするというのは、ただ忙しいだけじゃなく、こういう孤独にも耐える仕事なんだと、あの時しみじみ思った。

事務員さんの休みが地味に精神にくる

いつも黙々と支えてくれている事務員さん。彼女が休む日は、業務的にも精神的にも負担が大きい。誰かが隣にいるだけで、こんなにも気持ちが違うのかと実感する。ちょっとした雑談、資料を手渡す動作、そういった細かなやり取りが、自分の心を保ってくれていたんだと気づく。一人で仕事は進められる。でも、誰かと一緒に仕事をしている「感じ」があるのとないのとでは、全然違うのだ。静かな事務所の空気が、逆に息苦しく感じることさえある。

地元で先生と呼ばれる重圧と虚無

地元に根付いた司法書士という立場は、ありがたいようで、正直しんどい部分も多い。顔見知りが多いぶん、仕事の相談も来るし、頼られる場面も多い。けれどそのぶん、断りにくく、プライベートとの線引きも曖昧になる。「あの人、融通利かないね」なんて噂されるのが怖くて、つい無理な依頼も引き受けてしまう。重圧と気疲れのダブルパンチ。先生と呼ばれても、その名の下で溜まるストレスは軽くない。

同級生との再会で感じる微妙な距離感

同窓会や地元のイベントで久しぶりに会う同級生。向こうはフランクに「おー、先生じゃん!」なんて言ってくるけど、こっちはどう返せばいいのかわからない。友達なのに「先生」なんて言われると、距離を感じてしまう。冗談っぽく呼んでくれるのはわかっているけど、その言葉が持つ“壁”のようなものが、妙にリアルに感じられてしまうのだ。昔のようにはしゃげない、素直に話せない。そう感じるたび、先生って言葉に押し込められているような気がして、なんとも言えない孤独感に襲われる。

頼られるけど、実は誰にも頼れない

「先生、お願いできますか?」と相談される場面は日常茶飯事。でも逆に、こちらが誰かに「お願いできますか?」と言える相手は少ない。専門職だからこそ、自分の不安や弱音を見せるのがためらわれる。頼られて当然、答えて当然。その構図に自分ががんじがらめになってしまうことがある。本当は自分だって人間なのに、弱い部分を出せないことが、しんどさを何倍にもしている。結局、一人で抱えて、一人で解決するしかない。そんな日々が続いていく。

地元でモテない司法書士のリアル

誤解されがちだが、先生と呼ばれる職業だからといってモテるわけではない。少なくともこの地方都市では違う。実家暮らしで安定した職についてる公務員の方がよっぽど人気があるし、そもそも仕事が忙しすぎて出会いもない。たまの飲み会で自己紹介しても、「司法書士って何する人?」と聞かれて説明しても盛り上がらず、会話が終わる。スーツを着て、真面目に働いて、休みは少なく、趣味もない。これでは恋愛市場での戦闘力はゼロ。現実はそんなものだ。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。