今日もやりきった気がしないまま日が暮れる

今日もやりきった気がしないまま日が暮れる

朝は決意に満ちていたはずなのに

目覚ましが鳴った瞬間、今日は違うぞと気合を入れる。毎日、朝だけは前向きなのだ。タスクを書き出して、やるべきことは明確になっている。今日こそすべて片付けて、あの「やりきった感」に包まれて一日を終えるんだと、机に向かう。しかし、時間が経つにつれて、その決意はどこかに霧のように消えていく。まるで試合前にはガッツポーズを決めていたのに、プレイボールの後は三振続きだったあの高校時代を思い出す。理想の一日は、いつも午前中に負けている。

ToDoリストは完璧だった

朝一で書いたToDoリストは、どれも必要な業務であり、優先順位も考慮した上で並べたつもりだった。登記書類の確認、依頼者への返信、法務局への提出書類の作成……頭の中では、理路整然と並んだタスクをこなしていくイメージができていた。しかし、リストは時間と共に「未完了」の文字で埋まっていく。まるでグラウンド整備が完璧でも、プレーがちぐはぐで試合に負けるような感覚だ。段取りが良くても、現実はいつも斜め上から飛んでくる。

なのに着手できないまま午前が終わる

机に向かっているはずなのに、細かい事務処理や来客、急な電話対応に気を取られて、本丸の仕事にまったく手がつかない。気づけば時計の針は正午を回っていて、自分はまだ「スタートライン」にすら立っていない。なぜだか焦りはあるのに、身体が追いつかない。昔の部活でも、試合前のウォーミングアップで気持ちだけが空回りしていた時があった。気持ちはある。でも手が動かない。そんな自分が、嫌になる。

電話と来客が全てを狂わせる

一番集中したい時間帯に限って、なぜか電話が鳴り続ける。しかも、大抵が緊急でも重要でもない問い合わせだったりする。それでも対応しないわけにはいかない。誰かの「ちょっといいですか?」に毎日ペースを乱されていく。独立して自由にやれると思っていたのは幻想だった。事務員がいてくれるだけマシとはいえ、全ての判断は結局自分に返ってくる。静かな時間は、司法書士にとって最も貴重なのに、それが一向に訪れない。

ちょっとだけの積み重ねが致命傷

「5分だけ」「すぐ終わります」「今だけ対応してほしい」……そんな言葉の連続が一日を食い潰す。短時間の雑務も積もれば大きな損失になる。仕事が終わらないというより、始まってすらいない感覚。高校時代の部活で、練習時間がグラウンドの片付けや用具の修理に消えていったことがある。肝心の練習ができないまま日が暮れる。その感覚に今も似ている。自分の時間は誰のものでもないはずなのに、まるで公共財のように削られていく。

ペースを乱されると戻れない

一度ペースを崩されると、集中力を取り戻すまでに時間がかかる。書類に向かっても文字が頭に入らず、ミスを恐れて手が止まる。リズムを崩されたピッチャーが、立て直せないまま降板していくような感覚だ。誰も責めてはこない。けれど、自分が自分を責めてしまう。こんなことでまた「やりきった感」が遠のくのかと思うと、なおさら手が重くなる。悪循環というやつに、今日もどっぷりはまっている。

事務員さんは頑張ってくれている

一人で事務所をやっていた頃と比べれば、事務員さんがいてくれるだけで本当に助かっている。書類整理、来客対応、請求処理……多くの雑務を任せられるようになった。しかし、業務の本質的な部分はやはり自分がやるしかない。登記の責任も、顧客対応の最終判断も、すべて自分の肩に乗っている。彼女の仕事に不満があるわけじゃない。それでも「自分ばかりが責任を負っている」という孤独感が、時折じわっと胸に広がる。

それでも俺の肩の荷は減らない

誰かに任せられることと、任せられないことの境界線があいまいだ。本当はもっとお願いすればいいのかもしれない。けれど、それができない。性格なのか、経験なのか、あるいは単なる甘えなのか。高校時代、キャプテンだった自分は「全部自分で背負おうとして潰れたタイプ」だった。あの頃から変わっていないのかもしれない。頑張ってくれている人がいるからこそ、かえって頼れない。そんな自分がまた、やりきれなさを生む。

昔の自分と今の自分を比べてしまう

気づけば、「あの頃の自分ならもっとできたんじゃないか」と、過去の自分と比べてしまう。走って、声出して、全力で打ち込んでいた高校時代の自分。今の自分は、デスクワークに追われ、会話も最小限、黙々と判子を押すだけの機械のようになってしまった気がする。もちろん年齢も環境も違う。でも「今の俺、全然やれてないな」という気持ちが、ずっとどこかに居座っている。

野球部だった頃の全力感

グラウンドで泥だらけになって練習していた頃の感覚は、今でもふと蘇る。全力疾走、全力投球、全力応援。すべてに「やりきった」と思える瞬間があった。それに比べて今はどうだ。全力でやってるつもりでも、どこか抑えている自分がいる。ミスを恐れて、評価を気にして、傷つかないようにセーブしている。だから「やりきった気」がしないのかもしれない。

今の自分はいつも全力のフリ

忙しそうに見せて、頑張ってる風に立ち振る舞って、それでも結果が出なければ自己嫌悪。やってるつもりが続くと、自分でもどこまで本気だったのか分からなくなる。心から「全力出した」と言える瞬間が少ない。全力でやってミスするのが怖いから、最初から抑えておく。そんな臆病な自分に気づいてしまうと、また「やりきった気がしない」という感情が重くのしかかってくる。

それでもまた朝が来るから

どんなに「やりきれなかった日」でも、朝は変わらずやってくる。寝起きのだるさとともに、「今日こそは」という気持ちもまた、どこかにある。完璧じゃなくてもいい。全力じゃなくてもいい。でも、昨日より少しでも進めれば、それは前進だと思いたい。やりきった気がしない日が続いても、それでも辞めずに続けている自分を、少しだけでも認めてやる必要があるのかもしれない。

今日を乗り切っただけでも十分じゃないか

全部できなくても、完璧じゃなくても、生き延びた。それだけでいいじゃないか。そう自分に言い聞かせることで、ほんの少し救われる。忙しさに潰されそうでも、誰にも褒められなくても、「今日も終わった」と言えるだけで十分だ。明日もどうせやるんだから。だったら、今日はこれでよしとしよう。そんな小さな納得が、次の日の自分を少しだけ楽にしてくれる。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。