また補正かという朝のルーティン

また補正かという朝のルーティン

毎朝の通知で始まる憂うつな一日

朝、目覚ましが鳴るよりも早くスマホの通知で目が覚める。その内容はたいてい「補正通知」。ああ、またか…。ベッドの中で天井を見上げながら、ため息が漏れる。夢の中でも補正していた気がするくらい、最近はこの通知に支配されている。まるで毎朝「お前はまだまだだ」と言われているようで、正直、気持ちは沈む。司法書士という職業を選んだ自分を否定したくなる朝もある。

補正のお知らせはもはや目覚まし

法務局からの通知音が、今や僕のアラームになっている。寝ぼけた目で確認するLINEやメールには、昨日出した登記の補正依頼が淡々と記されている。「何がダメだった?」と読み進めても、ピンとこない表現も多い。前夜、ぎりぎりまで確認して出した書類だったのに。睡眠時間を削ってまで対応した結果がこれでは、正直やる気も削がれる。朝から頭を抱える日々に、慣れつつも心は荒れていく。

スマホを開けば法務局の洗礼

スマホを開いた瞬間、「件名:補正依頼について」が目に入ると、胃がキュッと痛む。心当たりのある案件ならまだしも、「え、これ?」と予想外の登記が対象だったりすると、目も覚める。内容を読んでも、語尾をちょっと直せとか、記載順を変えろとか…そんなレベルで?と思ってしまう。もちろんこちらが悪いこともあるけど、「そこかよ…」と突っ込みたくなる指摘に、朝から独り言が増える。

昨日頑張った自分を否定される感覚

補正通知を見るたびに感じるのは、努力の否定感だ。眠い目をこすって深夜まで残って、念入りに確認したはずの書類。でも、そんなの関係なしに返ってくる補正依頼は、まるで「お前の仕事は雑だ」と言われているような気になる。自己肯定感はじわじわ削られていき、気づけば「もう何を信じていいか分からん」と自暴自棄になりそうになる。こんな朝が、週に何度もやってくるのだ。

補正の理由が理不尽すぎて笑うしかない

補正内容の中には、どう考えても理不尽だと思うものも少なくない。もちろん指摘は受け止めるが、あまりに細かい箇所に目くじらを立てられると、「これは本当に登記の本質と関係あるのか」と思ってしまうこともある。昔は真面目に悩んでいたが、最近は「またか」と笑ってしまうようになった。笑うしかない、というのが正確かもしれない。冷めた自分を見て、またちょっと悲しくなる。

指定された余白二ミリに泣く

過去に一度、「申請書の余白が規定より狭い」という理由で補正が入ったことがある。プリンターの設定が少しズレただけなのに、それが原因で補正。提出書類を何度も印刷し直し、結局締切ギリギリ。そんな細かいことで…と思いつつも、規則は規則。怒りを抑えながら作業を終えたが、プリンターを睨んだ朝は忘れられない。機械にも八つ当たりしたくなるのが本音だ。

誰が気づくねんと叫びたい朝

訂正箇所を見て「それ誰が気づくねん…」と声に出してしまう朝もある。申請人の住所の番地表記が全角じゃないとか、提出日付の位置がズレてるとか、そんなレベルで指摘が来ると、正直泣きたくなる。法務局の担当者もきっと真面目なんだろうけど、こちらとしては「見逃してくれ」と思ってしまう。完璧を求められる世界で、人間らしさが削られていく感覚に疲れてしまう。

補正作業が日常に組み込まれる現実

もはや補正は“例外”ではなく“日常”だと、ある日気づいた。朝起きたらまず補正チェック、そして午前中はその対応に追われる。本来なら新しい案件に取りかかりたい時間帯が、ミスの修正に費やされる。まるで過去の自分の尻拭いを延々とやっている気分になる。予定が狂い、業務の効率も下がるが、それでも誰にも頼れないのが個人事務所のつらいところだ。

補正から逆算して予定を組むという本末転倒

最近では「どうせ明日補正が来るだろう」と予測して、スケジュールを立てるようになった。つまり補正ありきで動いている。おかしいとは思うけれど、そうでもしないと午前中の業務が崩壊するのだ。事務員にも「午前は補正対応時間にしておいて」と伝えるようになり、業務効率が上がってるのか下がってるのか分からなくなる。こんなやり方、誰かに教わった覚えはない。

午前中が全部持っていかれる

補正が複数重なると、午前中どころか昼過ぎまで潰れることもある。書類の再作成、捺印、郵送、そして依頼人への報告。どれも手間がかかる上に気を遣う。「すみません、補正が出ました」と連絡するたびに、心が折れそうになる。相手は悪くない。むしろこちらの落ち度だ。でも、こんなやりとりが何度も続くと、自己嫌悪のループから抜け出せなくなる。

新人時代の自分に教えてあげたい

新人の頃、「ミスを減らせば楽になる」と信じていた。でも今思うと、それは幻想だった。どれだけ確認しても、補正はやってくる。書類が完璧であることが前提の世界で、完璧である人間なんて存在しない。新人の頃の自分に教えてあげたい。「お前、補正は一生続くぞ」と。そうすれば、もう少し肩の力を抜いて仕事ができたかもしれない。

それでも書類を出し続ける理由

それでも、今日も書類を作り、提出する。補正に怯えながら、登記を支える仕事を続ける。なぜかと聞かれれば、「依頼人が待っているから」と答えるだろう。報われる瞬間は少ない。でも、「ありがとう」のひと言が、不思議と心にしみるのだ。そんなわずかな光を信じて、明日もまた補正通知とともに目覚めるだろう。

依頼人のためという建前と現実の狭間

依頼人の笑顔を見ると、「頑張ってよかった」と思う。けれど正直、仕事そのものにやりがいを感じる瞬間は減っている。建前として「依頼人のため」と言ってはいるが、現実には自分との闘いの方が多い。でも、その建前があるからこそ、ギリギリで踏ん張れているのかもしれない。理不尽にも耐える理由が、そこにある気がする。

感謝されると少し報われる気がする

登記が無事に完了し、「ありがとうございました」と頭を下げられたとき、ほんの少しだけ気持ちが救われる。報酬以上に、その一言が心に残る。普段は補正に追われる毎日でも、こういう瞬間があるから辞められない。誰かの役に立っているという感覚は、思っている以上に強力なエネルギーになる。

だけど次の日また補正が来る

そして次の日、また補正通知が届く。昨日の感謝は一瞬で消え、またゼロからのスタート。永遠に続くようなループに、心がついていかないときもある。でも、それでもやるしかない。誰かがやらなきゃいけない仕事だから。そう自分に言い聞かせながら、今日もまたスマホの通知を恐る恐る開く。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。