自由を選ばなかったのは誰だったのか
資格を取れば安定する、そんな言葉に背中を押された20代。周囲は公務員や大企業を目指していたが、私はどこかひねくれていて、自分の道を切り開きたいという思いがあった。司法書士を目指したのも、「独立できる」「人に感謝される」といった理想が頭にあったからだ。でも、それは本当に“自由”を選んだことだったのだろうか。いつしか私は、自由とは程遠い日々を送っていた。
司法書士という生き方を選んだあの日
大学の友人が次々と就職を決めるなか、私は資格学校に通い始めた。親からは「本当に食っていけるのか」と言われ、友人からは「固い仕事だな」と笑われた。でも、自分にはこれしかないと信じていた。朝から晩まで参考書と向き合う日々。運動部で鍛えた体力だけが頼りだった。合格通知を見たときは、確かに自由を手に入れた気がした。
「手に職を」と言われて
「これからの時代は資格がモノを言う」。そんな言葉が飛び交っていた。手に職をつけるという言葉は、親世代にとっては安心の象徴だった。でも実際には、資格を取ったその先に待っていたのは、毎日膨大な書類と格闘する地味な現場だった。自由というより、責任という重荷だった。
資格の重みがもたらした安心と不自由
資格があることは確かに強みだ。仕事が途切れることはないし、周囲からも「しっかりしている人」という目で見られる。でも、その分「失敗できない」「間違えられない」というプレッシャーが常につきまとう。安心と引き換えに、自分らしさをどこかに置き忘れてきたような気がしてならない。
気づけばいつも締め切りに追われている
朝起きてすぐにカレンダーを確認し、依頼人との約束を思い出す。次の瞬間には、もう頭の中が「締め切りモード」になっている。気がつけば一日が終わり、また明日も、というサイクルに閉じ込められている。自由とは、何かを自分の意思で選べることだと思っていた。でも今は、予定に支配されている感覚がある。
時間をコントロールできていない現実
自営業だから時間は自由に使える、そう言う人もいる。確かに表面的にはそうかもしれない。でも現実は、「依頼人の都合に合わせて動く」ことが日常で、好きなときに休むなんて夢のまた夢。土日も祝日も関係なく電話が鳴る。それを無視する勇気が持てない自分がいる。
自営業の自由とは名ばかり
開業当初は「自分のペースで働ける」ことに憧れていた。誰にも指図されず、好きな仕事だけを選べると思っていた。でも、そんな理想は数ヶ月で崩れた。今は「自由に見えるだけで、実際はいつも誰かに追われている」そんな生活だ。自営業の自由とは、責任の言い換えなのかもしれない。
休みの日に電話が鳴る恐怖
一番つらいのは、やっとの思いで取った休みに電話が鳴る瞬間だ。心がざわつき、落ち着かなくなる。誰かが困っているのなら出なきゃいけないと思う。でもその一歩が、また休みを休みじゃなくしてしまう。どこまでが「仕事」で、どこからが「自分の時間」なのか、その境界線はどんどん曖昧になっていく。