心に刺さるひとこと なんでそんなにかかるんですか
「なんでそんなにかかるんですか?」——この一言が、何気ないようでいて、こちらの胸にずしんと響く。地方の司法書士として長年やってきたが、未だにこの言葉には慣れない。日々業務に追われ、説明しても伝わらないことの多さに疲弊しながらも、それでもやっていくのがこの仕事。依頼者の顔を見て、できるだけ丁寧に対応しているつもりでも、こういう一言で心のどこかが折れてしまうこともある。今日は、そんな言葉に振り回された日々を少し書いてみたい。
説明したはずなのに通じない現実
相続登記や成年後見、抵当権抹消など、業務内容は多岐にわたるが、共通するのは「表からは分かりづらい」ということ。手続きにどれほど手間と時間がかかっているか、依頼者には想像もつかないのだろう。何度も丁寧に説明しても、戻ってくるのは「それってそんなに難しいことなんですか?」という反応。先日は、相続関係の書類を集めるだけで数週間かかり、「まだ終わってないんですか?」と責められた。こっちは法務局の受付に行くたび胃が痛いというのに。
相続登記ってそんなに大変なんですか
ある日、高齢の母親と一緒に来た息子さんが、こちらの説明を遮るように言った。「相続登記ってそんなに大変なんですか?書類集めて提出するだけですよね?」。この一言に、膝の力が抜けそうになった。もちろん彼に悪気はない。ただ、知識がないだけなのだろう。でも、そう言われると「じゃあ自分でやってくださいよ」と喉まで出かかった。いや、言えなかったけれど。その後も形式的な説明をしながら、心はずっとモヤモヤしていた。
時間も手間もかかる理由をかみ砕いて話しても伝わらない
「除籍謄本は本籍地ごとに請求が必要で……」「法定相続情報一覧図の作成は……」と一つひとつ説明しても、反応は薄い。「ふーん」で終わるか、「それにしても時間かかりすぎですよね」と返される。努力が見えない仕事って、やっぱりしんどい。元野球部だから、地味な練習にも耐える根性はあるつもりだったが、こうした“伝わらなさ”には本当に打たれ弱い。まるで、一人だけ違う競技場でキャッチボールしてるような気分になる。
値段に見合う価値はありますかと言われて
「思ったより費用が高いんですね」——これもよく聞く言葉だ。こちらとしては法定の手数料や郵送代、時間単価を踏まえての見積もりだが、依頼者からすれば「書類ちょっと出すだけでこの金額?」と思うらしい。たとえば、司法書士報酬が5万円だとすると、「1時間で終わるなら時給5万ってことですか?」と言われたこともある。……さすがにそのときは、冷たい笑いしか出なかった。
費用の内訳を出すことの虚しさ
細かく内訳を出して、時間と手間、リスクも含めて説明しても、「じゃあ他を探します」とあっさり断られると、なんのために一生懸命説明したのか分からなくなる。依頼される前提の話じゃなかったのかと、虚無感に包まれる。金額の話って難しい。安くても信頼されないし、高ければ「ぼったくり」と思われる。中間を取っても「微妙」と言われる。司法書士にとって“適正価格”は本当に存在するのだろうかと考えてしまう。
信頼ではなく数字だけで判断されるつらさ
「前に頼んだ行政書士さんはもっと安かったですよ」と比較されるのもキツい。仕事内容も手間も異なるのに、同じ土俵で値踏みされてしまう。まるでスーパーの特売コーナーに並ばされているような気分だ。司法書士としての専門性や責任感なんて、見積書の金額の前では霞んでしまうのか。それでも、依頼がくれば全力でやるしかない。その矛盾の中で、日々のやるせなさは積もっていく。
司法書士の仕事は見えにくい
司法書士の仕事は「縁の下の力持ち」であり続ける。表に出るのは登記簿や契約書であって、その裏にどれだけのやり取りや調整があったかは、記録に残らない。事務所にこもって一人で書類と向き合う日々のなかで、何度も「この努力って、誰かに伝わってるんだろうか」と感じる。依頼者が求めるのは“結果”だけで、それまでのプロセスは誰の記憶にも残らない。
目に見える成果がないから軽く見られる
たとえば、司法書士が契約前に法的リスクを指摘して、トラブルを未然に防いだとしても、それは「何も起きなかった」で終わる話。誰にも感謝されないし、請求書だけが残る。逆に、何かトラブルがあれば「なんで防げなかったんですか?」と責められる。この仕事って、成功しても無風、失敗すれば突風。そんなバランスの中で、黙々と業務を続けている。
書類を渡しただけで終わりですよねという誤解
登記済証や完了書類を渡すとき、「これで終わりですよね?」と確認されることが多い。でも実際には、郵送の手配や補正の確認、後日のトラブル防止のためのメモ整理など、終わったようで終わらない作業が山ほどある。しかも、それは報酬に含まれていないことがほとんど。気づかれない努力の積み重ね。それがこの仕事だと分かってはいるけれど、報われないと感じる日もある。
その書類に至るまでの裏側は見られていない
「あとはよろしくお願いします」と言われてからが、司法書士の本領発揮だったりする。役所への問い合わせ、書類の突き合わせ、細かなミスの修正作業……。一枚の書類が完成するまでに、何度も山を越える。だけど完成品だけを見て「簡単だったじゃないですか」と言われると、さすがにがっくりくる。まるで、準備運動から試合後の反省会まで全部やってるのに、バッターボックスに立った一瞬しか見られてない気分になる。
それでもやっている理由
じゃあ、なんでまだ続けているのか。辞めたいと思ったことがないと言えばウソになる。でも、それでもやっぱり、この仕事にしかないやりがいもある。誰かの人生の節目に立ち会えること。困っていた人が「あなたに頼んでよかった」と言ってくれた瞬間。その一言で、何日分ものモヤモヤが吹き飛ぶことだってある。
救われた一言もあるから
数年前、ひとり暮らしの高齢女性から相続登記の依頼を受けた。必要書類を一緒に集め、何度も自宅を訪れて説明を繰り返した。終わったときに、その方が涙ぐみながら言った。「本当に助かりました。息子みたいな人に出会えてよかった」。そのとき、なぜか自分も泣きそうになった。報酬以上の“意味”を、あの瞬間は確かに感じられた。
本当に助かりましたと言われた日
忙しくて余裕がなくても、その言葉を思い出すと少しだけ前を向ける。いくら「なんでそんなにかかるんですか」と言われても、自分の仕事に誇りを持っていたい。この仕事にしかできない役割があると信じていたい。きっと、司法書士としてではなく「人」として関わったとき、相手の心にも何かが残るのだと思う。
それだけで何日分も頑張れる不思議
たった一言の「ありがとう」が、何日分、いや何週間分の心のガソリンになることがある。それを知らない人には、この仕事の重さも軽さも分からないだろう。でも、知っている自分は、それを糧に今日もまた書類と向き合う。愚痴をこぼしながらも、あきらめずに。いつかまた、誰かに必要とされるその瞬間を信じて。