登録免許税に消えた恋文
それは朝のコーヒーが少し薄かった日だった。郵便受けに一通の封筒が届いていた。差出人のないその封筒には、法務局の登記完了通知書にしては分厚すぎる何かが詰まっていた。
俺は書類の山をかき分けながら、嫌な予感を覚えつつ封を切った。封筒の中には、申請書一式と、見覚えのない納付済みの登録免許税の領収書、そして……一通の手紙が入っていた。
忘れた頃に届いた封筒
手紙は便箋一枚に丁寧な字で綴られていた。「あなたにもう一度会いたくて」と、誰かの手で始まっていた。差出人の署名はなく、ただ「登記が終わったら忘れてください」とだけ書かれていた。
俺は軽く首をかしげ、申請書類をめくる。確かに申請内容は不備もない。だが、受任していないはずの案件だった。依頼人の名前にも見覚えがなかった。
登録免許税の不一致が示す謎
サトウさんに見せると、彼女は鼻で笑った。「この納付額、去年の登録免許税率で計算されてますね。ズレてます。誰がこんな古いやり方を?」彼女はその場で机を叩く。
「もしかして、去年誰かに申請書類だけ用意して渡しました?」俺は記憶をたどった。だが、思い出せない。登記情報も、登記原因も、どれも見慣れた形式だった。
書類の裏にある奇妙な名前
ふと気づいた。添付された住民票の片隅に、うっすらとペンで消された旧姓が残っていた。「コイケ」という文字。どこかで聞いた気がしたが、すぐには思い出せなかった。
「やれやれ、、、また過去の幽霊かよ」独りごちて椅子にもたれる。怪盗キッドじゃあるまいし、こんな仕掛け付きの登記なんて聞いたことがない。
サトウさんの冷静な観察
「シンドウさん、この申請者、前にあなたが相談を受けて却下した女性じゃないですか?婚姻届と一緒に、登記まで夢見てたとか言ってた」 記憶の底がぴしゃりと叩かれたような気がした。
あの時、俺は登記に関係ない感情は持ち込むなと説教じみたことを言ったっけ。彼女は泣きながら「自分の名前で一緒に家を持ちたかった」とだけ言って帰っていった。
司法書士シンドウのうっかり推理
そのときようやく思い出した。彼女は結局、登記は依頼せず書類だけ持って帰ったんだ。じゃあ、この申請は…?誰かに頼んで、後日提出された?
「でもこれ、あなたの名前で申請されてますよ」 「は?」 「委任状の代理人、あなたです」 俺は頭を抱えた。俺が代理人?俺の印鑑証明も添付されている…いや、偽造か?
本人確認情報と消えた依頼人
本人確認情報が添付されていた。そこには俺のサイン、俺の職印…確かに似ている。でも、ほんの僅かにクセが違う。俺自身が一番よくわかる。
つまり、彼女は俺を模して、勝手にこの申請を出した? いや、それだけじゃない。この申請は正確すぎる。司法書士でもない限り、ここまで完璧には作れない。
登記原因証明情報の違和感
登記原因証明情報に、「愛による譲渡」と、ふざけた一文があった。それは削除されていたが、修正履歴に残っていた。
「これは…あなたに読んでほしかっただけなんでしょうね」 サトウさんがぽつりと言った。 俺は何も言えず、ただその書類を見つめていた。
昔の申請書に隠された手紙の断片
もう一度、同封された手紙を読み直す。細かい文字で、こう綴られていた。「あなたに見てもらえたら、それで満足です。私はもう遠くにいます」 まるで、怪盗からの予告状のような別れの言葉だった。
彼女が今どこにいるのかはわからない。だが、少なくともこの一件で、彼女の気持ちはちゃんと伝わったのだ。
相続放棄と旧姓にまつわる真実
登記された不動産は、相続登記だった。父親名義から彼女単独名義への変更。つまり、彼女は相続を放棄せず、自分で引き継ぐ決意をした。
旧姓で最後の登記を済ませ、過去と決別したのだろう。俺への想いと一緒に。…俺はいつから彼女のことをそんな風に見てたんだろうな。
やれやれ今度は恋の迷路か
「次からは、偽造っぽい申請書は先に私に回してくださいね」 サトウさんがコーヒーを入れながら言った。 「やれやれ、、、俺の人生、恋愛でも書類不備かよ」
笑われて当然だった。俺は元野球部、直球しか投げられないんだ。変化球なんて、恋も人生も、未だに打てた試しがない。
サザエさんの家系図と重なる運命
サザエさんのように、家族を一枚の戸籍に描けるなら、どんなに簡単だったか。 でも現実は違う。誰かの気持ちや人生が、登記簿の外で泣いてることもあるんだ。
俺の仕事は、線で結ぶことじゃない。切れてしまった誰かの想いを、そっと繋ぎ直すことなのかもしれない。
真実を語った登録免許税の納付書
その領収書の控えを、俺は机の奥にしまった。証拠にはならないが、たった一つの気持ちの痕跡として。 登録免許税の額よりも、そこに込められた「会いたい」の方が、ずっと重かった。
「さて、今日も登記と向き合うか」 俺はパソコンを開き、静かに次の申請書を打ち始めた。
最後の一筆が導いた再会の場所
書類の隅に残された旧姓は、いつか再会の伏線になるだろうか。いや、そう願うのは未練か。
だけど俺は知っている。人の想いは、たとえ記録に残らなくても、確かに存在しているってことを。