司法書士はひとりで全部背負ってしまう仕事だと思う
人と関わるはずの仕事なのに孤独を感じる理由
司法書士というと「人の人生に関わる仕事」とか、「ありがとうと言ってもらえる仕事」と思われがちだ。でも実際はどうか。手続きは淡々と進むし、会話も最低限。依頼人とのやり取りも必要最小限で、こちらの熱量とは裏腹に、相手からのリアクションは薄いことが多い。相続登記の相談で深刻そうにやってきた依頼者も、書類を渡した瞬間にはもう次のことを考えている。こちらが夜中まで準備したことを知る由もない。気づけば「ありがとう」より「で、いつ終わりますか?」が先に出る。そんなとき、自分がただの処理係のように感じて、ふと孤独を実感する。
相談に乗っても感謝されるとは限らない
ある日、長年疎遠だった兄弟との相続で揉めているという相談が来た。僕なりに中立的に状況を聞いて、法的な立場で助言したつもりだった。でも帰り際、「なんか、冷たいですね」と言われた。一瞬、心がチクリとした。こちらは感情を挟まずに対応しただけなのに、それが“冷たい”と映ったらしい。司法書士は感情労働じゃない。そう思ってやっているが、やはり感謝の言葉がないと、胸の中がぽっかり空く。その日一日、書類の山を前に、無力感だけが残った。
お客さんは敵じゃないけど味方でもない
依頼者は、こちらの味方ではない。もちろん敵でもないけれど、距離はある。だからといって心を許すような関係にはなれない。依頼内容が終われば、それで終わり。リピーターも少ない業種だから、毎回一期一会。たとえば登記が終わったときに「また何かあればお願いします」と言っても、よほどのことがない限り二度と会わない。人と関わっているようで、実は人と深く関われない。それが司法書士という仕事の構造的な孤独だと思う。
事務員には見せられない顔もある
事務員さんもいるにはいるけれど、弱音はなかなか見せられない。こちらがボヤけば不安にさせてしまうし、機嫌が悪いと仕事に支障が出る。以前、ちょっとした愚痴をこぼしただけで、事務所の空気が重くなったことがある。それ以来、悩みごとは昼休みにひとりでコンビニに行ったときに、コーヒー片手に自問自答するようになった。こんなに毎日誰かのことを考えて働いているのに、自分のことを話せる相手がいない。やっぱり孤独だ。
誰にも頼れないという現実
司法書士として独立してからというもの、困ったときに頼れる存在が激減した。前職のときは先輩や同僚がいて、わからないことがあれば相談できた。でも今は、ミスも判断もすべて自分の責任。しかも相談できる人が少ない。同期はライバルでもあり、恥をさらしてまで聞けないこともある。結果、全部自分で抱えるしかなくなる。そうして夜中、誰にも見られない事務所の蛍光灯の下で、ひとり考え込む時間が増えていく。
専門職ゆえの責任とプレッシャー
間違えられない、というプレッシャーは常にある。登記一つ、書類一つ、判断ミスが命取りになる。依頼者に損をさせるわけにはいかないし、後戻りもできない。誰かに「ちょっと見てくれる?」ができないのが司法書士のつらいところ。大学の野球部時代はチームでフォローし合っていた。でも今は違う。失敗したら、それは全部自分の看板に泥を塗ることになる。だからこそ孤独感はますます強くなる。
ちょっと聞いてよが言えないつらさ
たとえば登記ミスの可能性に気づいたとき、「これ、やばいかもしれない」と思っても、すぐに相談できる相手がいない。専門家仲間にLINEを送るわけにもいかないし、ネットで調べても責任までは取ってくれない。結果、書棚を何往復もして判例を確認し、法務局にこっそり問い合わせる。誰かに「ちょっと聞いてよ」と言いたい瞬間に、それができない環境というのは本当にこたえる。これが、司法書士の現実だ。
孤独が心をむしばむ日常
朝、事務所の鍵を開けるときにふと「今日誰とも話さないかもな」と思う日がある。実際、電話もメールも少ない日が続くと、自分の存在が霞んでいくような気がする。黙って机に向かい、淡々と書類をこなして一日が終わる。元野球部でわいわいしてた頃が嘘のようだ。人と話さないと、笑うことも減ってくる。気づけば無表情のまま帰宅し、テレビをつけたまま寝落ちしている。こんな日々が続くと、さすがにメンタルが削られる。
話し相手は郵便局の人くらい
よく話すのは、実は近所の郵便局の窓口の人だったりする。レターパックを出すとき、ちょっと世間話をするのが癒やしだったりする。でもそれも、所詮は数分のこと。昼ごはんを食べに行っても、店員とは「ごちそうさまです」の一言だけ。話す機会が本当に少ない。事務員さんと話すこともあるが、やはり立場上、本音を話せないことも多い。人と関わってるようで、実は全然関われていない。それが寂しさを生む。
黙って印鑑を押す毎日
ある日、ふと気づいたんだ。自分の一日は「印鑑を押してる時間」がかなりの割合を占めていると。契約書、登記書類、確認書、控え…。何もしゃべらず、ただ機械のようにハンコを押していく。頭は働いているが、心は動かない。印鑑を押す音だけが部屋に響く。孤独って、こういう音がするんだと思った。人と話すより、紙と向き合う時間の方が多い仕事。それが司法書士なんだと、最近はもう割り切っている自分がいる。
元野球部のくせにチームプレイができない
学生時代は野球漬けで、毎日仲間と声を出して練習していた。あのときの一体感が懐かしい。でも今は、完全にひとりプレイ。誰かがミスをカバーしてくれることはない。むしろ、誰にも気づかれずに失敗し、そのまま自分で回収しないといけない。あの頃は誰かが打てば勝てた。でも今は、自分が動かないと何も始まらない。チームで動いていた人間には、この個人戦の連続は、思った以上にしんどい。
独立して初めて気づいた一人の重み
開業した当初は「自由でいいな」「好きにできるな」と思っていた。でも現実は違った。すべての決断を自分ひとりで下す。経営、書類、顧客対応、クレーム処理、税金…。一つでも判断を誤れば、誰も助けてくれない。自由の裏には、孤独と責任がある。そんなこと、会社員時代には想像もできなかった。今さら戻れないけれど、「誰かに相談したい」と思う瞬間は、今もなお日常的にある。
信頼できる人間関係は意外と遠い
信頼できる仲間を作りたいと思っても、なかなか難しい。同業者とは距離感があるし、友達もみな別の業界。愚痴をこぼせば「大変だね」で終わってしまう。本音で語り合える関係は、思った以上に遠い。気づけば、仕事の話を本気でできる相手がいない。誰にも頼れない、でも頼りたい。そんな矛盾を抱えて生きている。孤独を受け入れるしかないのか、それとも戦うべきか。日々、揺れている。
それでも続けている理由を自分に問いかける
これだけ孤独でしんどい仕事を、なぜ続けているのか。正直、わからなくなるときもある。でも、たまに届く「ありがとうございました」の一言や、依頼者の安心した顔に、ふっと救われることがある。そんな小さな瞬間が、次の日の原動力になる。ひとりで全部背負っているけれど、それでも「誰かのために」やっている。そう信じているから、今日も机に向かう。
誰かに必要とされていると信じたい
正直、誰かに必要とされている実感が得られることは少ない。でも、「この登記が通ったから、引っ越しができました」とか、「あなたが言ってくれて助かりました」と言われたとき、胸がじんわり熱くなる。それだけで救われる。だから、どんなに孤独でも、自分の役割をまっとうしようと思える。孤独だけど、誰かの人生の一部に関われている。その事実が、踏みとどまる理由になる。
仕事の中に小さな救いを見つける日々
事務所に朝日が差し込んできた瞬間、ふと「今日も始まるな」と思う。机の上に並んだ書類、鳴らない電話、黙々と進む作業。でもその中に、ほんの小さなやりがいや達成感がある。それを見逃さずに拾っていくことが、自分を支える力になる。「また明日も頑張るか」そう思える日は、案外悪くない。孤独な仕事ではあるけれど、それをどう捉えるかは自分次第かもしれない。