法務局しか会話相手がいない日々
法務局で始まる朝
朝イチのあいさつは窓口の声
「おはようございます、シンドウ先生。今日もお早いですね」
顔を合わせるたびにそう言ってくれる法務局の窓口の女性、ナカムラさん。最近では、彼女の声が一日の始まりになっていた。
「ええ、まあ……家にいても、誰とも話しませんし」
うっかり口から本音がこぼれた。自分で言っておいて、なんだか悲しい。結婚した友人たちが子どもの話で盛り上がる中、俺の朝の話し相手は、登記相談窓口。波平さんが定年後に通い詰めた公民館の将棋仲間、みたいなもんだ。
書類の違和感
依頼人の言動に見え隠れする矛盾
その日、依頼人の中村という男が持ってきた不動産売買契約書。見た目には何の変哲もない、ちゃんとした書類だった。だが——
「うーん、登記原因証明情報がなんか…こう、しっくりこないな」
経験の中で積み上げてきた“違和感センサー”が反応していた。
登記申請書に残された小さな違和感
売買日が先月なのに、金銭授受の記載が今年の正月?それでいて領収書には、なぜか筆ペンのような達筆で「令和四年」と書かれていた。
「年賀状じゃないんだからさ……」
サトウさんの指摘
「先生それちょっと変ですよ」
朝の会話もそこそこに事務所に戻ると、サトウさんがすかさず突っ込んできた。登記申請書の写しをじっと見つめている。
「所有者欄、これ名字の漢字、前回の申請と違いますよ」
「えっ?」
たしかに“渡辺”の“辺”が“邊”になっていた。微妙な違いに気づく彼女の観察眼には毎度驚かされる。
書類のコピーに潜む不自然な順番
「名探偵コナンの毛利小五郎に助手がサトウさんだったら、もっと早く事件解決するんだろうな」
法務局での再確認
会話の中にあった決定的なヒント
再び法務局へ。
「先日お持ちいただいた書類、もう一度見ていいですか?」
ナカムラさんは、前回のやりとりをきっちり覚えていた。
「前回と話が違いますね」に込められた真意
「たしか売主の方、前回は“渡辺”の“辺”が、もっと画数の多い…」
「あ、やっぱり。そこですよね」
さりげない会話の中に、確実なヒントがあった。おかげで確信を持てた。
解決とその後に残ったもの
真実が明らかになった瞬間の静けさ
依頼人に確認すると、どうやら売主の“渡邊”氏が署名の際、別人の実印を使った可能性があった。
「親族なんですが…まあ、バレないと思ってました」
なんだそれ。
誰も悪くない だけど何かが壊れていた
やれやれ、、、まるで“怪盗キッド”が変装してハンコ押したような話だ。
やれやれ これが俺の日常か
書類は無効となり、登記もやり直し。俺の朝の会話相手、ナカムラさんにはまたお世話になりそうだ。
今日も彼女の「おはようございます」が、妙に沁みた。事件は解決しても、俺の孤独にはまだ登記簿が必要らしい。