結婚という言葉に立ち止まった午後
その日は、たしか午後3時ごろだったと思う。役所に提出する登記申請の書類を整理しているときに、ぽろっと事務員の彼女が言った。「先生って、結婚とか…考えないんですか?」。何気ない世間話のつもりだったのかもしれない。でも、書類の山に埋もれた日々を送っている自分にとって、その問いは不意打ちのように胸に刺さった。もうすぐ46歳。周りの友人たちは子育てや家のローンに追われている中、自分はひとりで、静かな事務所で、淡々と登記を処理している。ふと、立ち止まりたくなった。
書類に囲まれた静かな事務所で
事務所には、シュレッダーの音と時計の針の音だけが鳴っていた。電話もメールも来ない午後は、仕事が進むという意味では理想的だけど、人の気配が薄いと逆にいろんなことを考えてしまう。たとえば、もし家に誰かがいたら、仕事が終わった後に夕飯の匂いがするとか、週末に「どこか出かけようか」なんて会話があるとか。そんな「当たり前」を想像すると、今のこの静けさが、時にむなしく響くことがある。誰にも邪魔されず働ける環境はある意味贅沢だけど、誰にも見られていない、という孤独も含んでいる。
同僚の報告に感じた取り残され感
先月、同じ士業仲間の女性が結婚したという報せを聞いた。別に恋心があったわけでもないし、直接の付き合いがあったわけでもないけれど、「あの人も結婚か…」と呟いた自分に驚いた。結婚って、他人の話だと思ってた。でも周りがどんどん家庭を持ち始めていく中で、自分だけが立ち止まっている気がする。まるで電車に乗り遅れた旅人のように、ホームに一人立っているような感覚だ。
「幸せそうだね」と笑う自分の裏側
「でも先生って、自由そうで羨ましいです」と事務員が続けた。そうか、自分は自由そうに見えるのか。確かに誰にも縛られず、好きな時間に働き、誰にも文句を言われずに生活している。でも、その自由の代わりに手放したものも多かったんじゃないか。毎日コンビニ弁当、誰にも「おかえり」と言われない部屋。そんな暮らしが「自由」と呼べるのか、改めて考え込んでしまった。
世間と自分の価値観のギャップ
昔は「結婚なんてしなくてもいい」と思っていた。いや、思い込もうとしていたのかもしれない。世間の目とか、家族の期待とか、そういった「空気」に流されるのが嫌だった。でも、歳を重ねるにつれて、その“空気”がじわじわと心の奥に染み込んでくる。司法書士として社会の中で働く以上、他人との比較や常識から完全に自由にはなれないのだと、最近になってようやく思い知らされるようになった。
「普通」の人生という呪縛
大学を出て、資格を取って、独立して、仕事を頑張って…。自分なりには順調な人生だったはずだ。だけど、「結婚して子どもを持つのが普通」という空気に逆らって生きることが、こんなにも精神的に疲れるとは思わなかった。誰に言われたわけでもないけれど、親戚の集まりでは肩身が狭く、旧友との飲み会では「まだ独身かよ」と笑われる。それが地味に堪える。ああ、世間って残酷だ。
独身というだけで説明を求められる
「なんで結婚しないの?」と聞かれるたびに、心の中では「ほっといてくれ」と叫びたくなる。別に結婚が嫌なわけじゃない。ただ、自然とそうならなかっただけだ。でも世間は、独身に対して「何か理由があるはず」と決めつけてくる。それに説明する義務なんてあるんだろうか。疲れるのは、結婚していないことではなく、説明を強いられることだ。
モテないという事実とどう向き合うか
正直に言おう。昔からモテなかった。野球部で坊主頭だった高校時代も、司法書士の勉強に追われた20代も、恋愛とはあまり縁がなかった。自分でも「仕事に生きるタイプ」と納得していたけれど、今となってはその強がりが寂しさを隠すための盾だったように思う。恋愛経験の乏しさが、いざというときに人と距離を詰めることの怖さにつながっている。つまり、恋愛が怖いのだ。
野球部時代の仲間は今
野球部のLINEグループでは、今でもたまに連絡が来る。子どもの写真を送り合ったり、週末に家族で出かけた話をしたり。彼らはもう「お父さん」になっているのに、自分は何も変わらず、いまだに「先生」と呼ばれ続けている。あの頃の泥だらけのユニフォームが、いつの間にか背広とネクタイに変わり、それでも心のどこかでキャッチボールがしたいと思っている自分がいる。
子どもがいる友人たちの話題に入れない
飲み会の話題は、たいてい「うちの子がさ~」で始まる。笑顔で聞いてはいるけれど、正直、なにひとつ共感できない。保育園の話、小学校の話、家族旅行の話。自分の中に、その手の「共有できる体験」がないから、ただうなずくだけしかできない。だから自然と、会話に加わるのが億劫になってしまう。
昔の「全力投球」と今の「空振り感」
高校時代は、毎日が全力だった。肩を壊してもボールを投げ続けた日々。だけど今はどうだ。全力で働いているつもりでも、どこか虚しさが残る。仕事が終わっても誰にも「お疲れさま」と言われない。登記が完了しても、ガッツポーズする相手がいない。それが「空振り感」なのかもしれない。
比べないと決めても比較してしまう夜
夜、帰宅して一人でテレビを見ていると、CMで幸せそうな家族が映る。「自分には関係ない」と思いながらも、心の奥がざわつく。比べない、と何度も決めたのに、比べてしまう。それが人間なんだろうけど、それにしても、自分って弱いなと思う。
結婚しないことのメリットを探してみる
とはいえ、独身だからこそ得られているものもあるはずだ。時間の自由、生活の裁量、自分だけのルール。そういう視点で自分の今を見つめ直すと、少しだけ気持ちがラクになる。無理に結婚を目指さなくても、独身の人生にも意味はある。そんな風に、自分自身に言い聞かせながら、今日もまた事務所に向かっている。
自由な時間とお金に本当に満足してる?
誰にも怒られないし、使い道も全部自分で決められる。趣味にお金もかけられるし、突然の休日も自由に使える。でも、それが「満足」かと聞かれると、少し言葉に詰まってしまう。満足というより、納得、いや、あきらめに近いかもしれない。
一人で過ごす休日の過ごし方
日曜日。朝遅く起きて、スーパーに行って、洗濯して、本を読んで、気づけば夜。誰とも会わずに終わる日もある。それが苦痛かというと、そうでもない。けれど、なんとなく物足りない。静けさは心地よくもあり、寂しくもある。そんな休日の積み重ねが、人生なのかもしれない。
やりがいと孤独の綱引き
仕事にはやりがいがある。困っていた依頼者が「助かりました」と言ってくれると、やっぱりこの仕事をしていてよかったと思う。でも、その瞬間を共有する人がいない。それが寂しい。誰かと分かち合えることの価値を、最近になってようやく実感している。