空き家の影に立つ者
夏の終わり、蝉の声もまばらになってきたある朝、一本の電話が私の事務所に鳴り響いた。それは、ある空き家にまつわる登記の相談だったが、話を聞くうちに妙な違和感が私の中にじわじわと広がっていった。
サトウさんはその声のトーンで、すでに面倒な案件であることを察していたのだろう。「また厄介そうな匂いがしますね」と、書類の束を整えながら言い放った。
朝の電話とサトウさんの冷たい一言
依頼主は、祖父が住んでいた空き家の名義変更について調べてほしいという内容だった。しかし、その口調にはどこか怯えのようなものが混じっていた。私は最初、単なる相続手続きの依頼だと思っていた。
しかしサトウさんは、パソコンを叩きながら「あの地域、最近事件が多いんですよね。火事もありましたし」とぽつりと言った。その言葉が、妙に胸に引っかかった。
静まり返った事務所に鳴り響くコール
電話が切れたあとも、私の頭の中ではその声がこだましていた。静かな事務所に響いた音は、ただの着信音ではなく、不穏な始まりを告げる鐘の音だったのかもしれない。
なんとなくサザエさんの家を思い浮かべる。どの部屋にも誰かがいて、にぎやかだったあの家。それに対して、依頼の空き家は全ての部屋が沈黙しているような印象を受けた。
不自然な動きと一通の手紙
現地に向かうと、そこは見事なまでの廃屋だった。草は伸び放題、ポストにはチラシが何十枚も詰まっている。しかし、ポストの一番奥にあった茶封筒だけが、妙に新しかった。
宛名は無記名。中身は白紙。だが、その紙の角にはうっすらと指紋が浮かび上がっていた。誰かが最近この家に立ち入っている——私は直感的にそう思った。
近隣住民が語る不気味な物音
聞き込みに応じてくれたのは、隣に住む老夫婦だった。奥さんの話では、夜中に誰かが空き家の中で歩き回っているような音がすると言う。
「若い人の足音ではなかったよ。重たくて、引きずるような足音だった。」と、ご主人が言った。二人とも、怯えた様子で目を逸らしていた。
現場検証とサトウさんの観察眼
私たちは家の周囲を調べ始めた。裏手にまわると、古い木の板が不自然にずれていた。サトウさんがそこに視線を止め、しゃがみ込む。
「ほら、見てください。この靴跡、新しいです。おそらく昨日の夜。」彼女の目は鋭かった。まるで少年探偵団のアイドル的存在だったあの子を彷彿とさせる。
登記情報と実体のズレ
役所で調べた登記簿と、現地の状況は一致していなかった。所有者は亡くなって久しいはずなのに、なぜか最近名義が変更された形跡がある。
「この委任状、筆跡が不自然ですね」とサトウさん。確かに、他の書類と比べると丸文字が急に角ばっている。明らかに別人の手によるものだ。
サザエさんの家に似た構造
家の間取りは妙に懐かしい。昭和の香りがする、いわゆる田の字型の配置。玄関から入ってすぐに台所、居間、そして勝手口が続く。
だが、足跡が集中していたのは裏口だった。表からではなく、あえて人目を避けて裏から出入りしていた者がいたのだ。
そして私はドジを踏む
私は不覚にも、その裏口近くの床板に足を滑らせてしまった。思い切り尻餅をつきながら、床下へ転がり落ちる。土の匂いと埃に包まれながら、天井を仰ぐ。
「やれやれ、、、こういう時に限ってサトウさんは上にいるんだよな」と呟きながら起き上がると、目の前には隠し収納のような空間があった。そこには誰かの荷物と、印鑑と通帳が隠されていた。
サトウさんの推理と犯人の正体
発見された通帳には、依頼主と名義人の間で不審な送金が記録されていた。そして印鑑は、以前の登記に使われたものと一致する。つまり、依頼主は空き家を利用して名義を乗っ取ろうとしていたのだ。
「依頼そのものが罠だったんですね。自分で仕掛けておいて、足がつきそうになったから司法書士を巻き込んだ」とサトウさんは言った。彼女の読みは的確だった。
最後に笑ったのは誰か
警察の聴取で、依頼主は観念したように名義偽装の手口を語った。父の死後、財産があると思い込んでいたが、実際には何もなかったのだという。
「それでも空き家があるように見せかけたかったんです」と呟くその目は、どこか虚ろだった。私は疲れた顔でサトウさんを見ると、彼女は「お疲れ様でした」とだけ言った。
今日もまた事務所に静かな風が吹く
戻ってきた事務所では、扇風機が静かに回っていた。あの空き家の沈黙とは違う、心地よい静けさだった。
やれやれ、、、どうしていつもこういう厄介事ばかり回ってくるのか。だが、私は司法書士。誰かが真実を記さなければならない。