比べないって決めたのに比べてしまう朝がある
「他人と比べない」なんて、口では簡単に言える。でも、そんなの無理なんだと痛感する朝がある。スマホを開けば、同業者がまたメディアに出ていたり、オフィスの改装が完成してたり。自分はまだ事務所のトイレの電球を替える暇もないのに。気にしていないつもりでも、心のどこかで「自分は何も成し遂げていない」と思ってしまう。この仕事を始めたときは、人と比べるより、自分のペースでやっていこうと思っていたはずなのに。
隣の司法書士事務所の求人がうらやましく見えるとき
駅前の新しい司法書士事務所が求人を出していた。年収や待遇が立派に書かれていて、「うちはとても真似できないな」とつぶやいたら、事務員さんが「先生のところもいいと思いますけど」と笑ってくれた。でも、その声すら遠く聞こえる日もある。経験年数や実績を見れば、向こうが上なのは明らか。しかも所長はまだ30代。自分は45歳、独身、地方。そりゃ比べたら負けるに決まっている。でも、負けていることに気づくのがつらい。
報酬単価や職員数の差に心がざわつく
報酬単価も、人の数も、規模も、全然違う。うちは自分と事務員1人の2人体制。案件の多さに息が詰まりそうになる日もある。それなのに、隣の事務所は受付スタッフまでいて、対応が分業されているという話を耳にした。効率もスピードも違うのだろう。でも、うちだって丁寧にやっている。それが誇りだったのに、「丁寧=遅い」と思われていたらどうしよう、そんな妄想が脳をよぎる。
自分のやり方は間違っていたのかという不安
一人ひとりのお客様としっかり向き合って、急がず、焦らず、相談にのる。それが自分のやり方だった。でも、数字で評価される時代になってくると、自分の「丁寧さ」はどこまで通用するのか不安になる。もしかして、もっと効率重視で回すべきだったのか。ホームページも古臭いままだし、SNSもやっていない。「時代に取り残されているのかも」とふと思ってしまう。
SNSを開いた瞬間に心が折れそうになる
仕事の合間、休憩中にSNSを開くのが日課になっていた。でも、最近はそれが心の毒になっている気がする。若い司法書士が「こんな依頼を受けました!」と投稿しているのを見ると、自分の停滞っぷりを思い知らされる。昔は自分だってがむしゃらに動いていたけど、今はもう違う。自分のペースがあると分かっていても、目の前に突きつけられる“他人の成功”が眩しすぎて、まぶたを閉じたくなる。
毎日更新される成功談とおしゃれなオフィス
正直言って、あんなにきれいなオフィス、どうやって維持してるんだろうと思う。観葉植物、デザイナーズチェア、そしてお揃いの制服。うちはプレハブではないけど、それに近い。机も中古で揃えたし、椅子も一脚ガタついている。比べちゃいけない、でも比べてしまう。そんなことを思いながら、SNSの「いいね」を無言で押す自分が情けない。
「俺はなにしてるんだろう」と思った昼休み
コンビニで買ったそばを食べながら、ふと窓の外を見ていた。青空が広がっていたのに、心は曇っていた。「俺は何してるんだろうな」と、つぶやいた声が思いのほか本音だった。成功してるように見える人たちと、自分の現実とのギャップ。昼休みのたった15分でも、そんな気持ちがずっとつきまとうことがある。
数字では測れない自分の価値を忘れそうになる
紹介が絶えないお客さんもいる。感謝の言葉ももらえる。そういう“数字じゃない価値”に支えられてきたはずなのに、気づくと「今月の売上いくらだっけ」と電卓をたたいてしまう。人と比べることで、自分の大切にしていたものが見えなくなる。そのこと自体が、また自分を責める材料になっていく。
比べるのは悪いことなのかと考えてしまう
そもそも、人と比べるのはそんなに悪いことなんだろうか。子どもの頃から、勉強でも部活でも、常に誰かと比べられてきた。元野球部だった自分は、いつも「〇〇は打率がいいぞ」「△△は守備がうまいぞ」と言われて育った。悔しいと思いながら、黙ってバットを振っていた。でもそのおかげで打てるようになった。だから、比べることは本来、成長のための燃料だったのかもしれない。
野球部時代はライバルがいたから頑張れた
レギュラー争いで一番張り合っていたやつは、今でもたまに連絡をくれる。「お前は昔から丁寧だった」と言われて、ちょっと泣きそうになった。そうだった、自分は“すぐには結果が出ないけど、粘り強くやるタイプ”だった。それを忘れていたのは、自分自身だったのかもしれない。
競争と嫉妬は紙一重だったけれど支えでもあった
あいつに負けたくない、という気持ちは、当時の自分を支えてくれた。でも、嫉妬が過ぎると心を削る。そのバランスがむずかしい。今も同じだ。自分を鼓舞するために人を意識するのはいい。でも、そのせいで自分を否定するようになったら、それは本末転倒だ。
事務員さんのひと言に救われることもある
どんなに落ち込んでいても、ふとした瞬間に事務員さんが「先生、今日も相談の人、満足して帰られましたよ」と言ってくれる。その言葉に、心が少し軽くなる。派手な実績じゃなくても、目の前の人に必要とされている。それが今の自分の価値なんだと、思い出させてくれる。
「先生のやり方が好きです」そのひと言で立ち直る
ある日、事務員さんがぽつりと「私は先生のやり方が好きです」と言ってくれた。周りのやり方と比べて、自分のやり方は古いかもしれない。でも、それを“好き”と言ってくれる人がいる。それだけで、少し救われた。SNSの「いいね」よりも、現場の声のほうが、ずっと深く心に刺さる。
誰かの評価より、今そばにいる人の声を大事にしたい
自分を評価してくれるのは、目の前の人たちだ。お客さん、事務員さん、郵便局の配達員さんまで、「先生、暑いですね」って言ってくれる。そういう声が、今の自分のリアルな評価なのかもしれない。誰かと比べるより、こうした声に耳を澄ませていきたい。
それでもまた比べて落ち込んでしまったときの対処法
頭ではわかっている。でも、気づけばまた比べてしまっている。そんなときにできることは、ほんの少し、自分の目線を変えてあげることだ。無理に前向きにならなくてもいい。ただ、視線をそらすだけでも、少しだけ心は軽くなる。
散歩でもいい、身体を動かしてリセットする
落ち込みがひどいときは、近所の河原まで歩くようにしている。何も考えずに歩いていると、少しずつ呼吸が整ってくる。昔、部活で走らされたグラウンドを思い出す。あの頃、悔しさを噛みしめながらも身体を動かすことで乗り越えてきた。今もそれは変わらないのかもしれない。
「今日はもういいか」と自分を許す習慣
どうしても落ち込んだ日は、仕事を少しだけ早く切り上げる。「今日はもう、がんばらなくていい」と言ってあげる。自分にとって、それが一番の救いになることもある。人と比べることで見えなくなってしまう自分の輪郭を、少しずつ取り戻すために。