信頼って何だろうと問われた瞬間の動揺
ある日のこと。いつも通り依頼人と打ち合わせをしていた最中、ふとした沈黙のあとに飛び出した質問。「先生って、信頼できますか?」――真正面から目を見てそう聞かれた瞬間、言葉が出てこなかった。司法書士として何年もやってきたが、ここまでストレートに聞かれたのは初めてだった。体が一瞬固まり、喉が乾く。信頼されたいと常に思っているけれど、自分が本当に信頼に足る人間かどうか、そんなこと普段深く考えていなかったからだ。
事務所で起きた何気ない会話から
その質問が出たのは、ほんの雑談の延長のような場面だった。手続きを一通り説明し終えた後、依頼人がちょっと肩の力を抜いて言った。「正直、士業の人って何考えてるか分からないときあるんですよね。話しにくいっていうか…」。その流れで、「だから思い切って聞きたいんですけど、先生って、信頼できますか?」と続いた。決して悪意のある質問じゃなかった。それがまた逆に突き刺さった。
質問したのは若い依頼者だった
その方はまだ30代前半の女性だった。相続登記の依頼で、何度かやりとりを重ねていたが、どこか常に構えている印象だった。こちらが一方的に説明するだけで、質問や反応は控えめ。それでも、言葉の端々から、相手の不安は伝わってきていた。たぶん、心の中で「この人、本当に大丈夫?」と何度も思っていたのだろう。そしてついに、それが言葉になった。
笑って返せない自分がいた
「もちろんですよ」なんて軽く返せば楽だった。でも、それはどうしても言えなかった。笑ってごまかすには、彼女の目が真剣すぎた。自分でも驚いたのだが、そのとき、頭の中で自分の過去の仕事をひとつひとつ思い出していた。うまくいったことも、失敗したことも。気づけば、口元はひきつっていた。「信頼してもらえるように、精一杯やってます」そう答えるのがやっとだった。
正直に言うと僕自身も自信がない
自分を信頼できますか?と問われたら、僕だって言葉に詰まる。司法書士という肩書があるとはいえ、僕はただの一人の人間。ミスもすれば、迷いもある。経験年数が長くなったぶんだけ、逆に自信を失う瞬間も増えてきた。完璧じゃないといけないと思えば思うほど、自分の不完全さが目につくようになる。
完璧な人間じゃないと分かっているから
依頼人にとっては「先生」だけど、僕にとっての自分は、どこにでもいる疲れた中年男性にすぎない。家に帰っても一人、休日も電話に振り回される。そんな自分が誰かの「信頼」になれるのかと考えると、時々、本気で自信をなくすことがある。何かを証明する肩書きがあったところで、それだけでは埋められない隙間がある。
ミスもするし迷いもある
一度、提出書類のミスで登記が遅れたことがあった。謝って、手続きをやり直して、何とか終わったけど、心の中では「自分なんてこの程度か」と何度も繰り返していた。迷いながら、それでも依頼人の前では落ち着いているふりをする。そんな繰り返しが、少しずつ自分を擦り減らしていく。
でも真剣にやってはいる
だけど、それでも本気でやっていることは事実だ。いい加減なことはしていない。書類ひとつ、説明ひとつ、常に「これでいいか?」と自分に問いかけながらやっている。それが報われないこともあるけれど、真剣さだけは、どんなときも手放さずにいる。
信頼を得るためにやってきたこと
信頼されるにはどうしたらいいのか、答えは今も分からない。でも、これまで意識してやってきたことはいくつかある。それはきっと、信頼される以前に、自分が納得できる自分でいたいという気持ちからだった。
嘘はつかないことを心がけている
どんなに面倒でも、事実は事実として伝える。都合の悪いことを隠したくなる瞬間もある。でも、そこで誤魔化してしまったら、自分の中で信頼の土台が崩れる気がする。だからこそ、ミスはミスとして正直に話す。結果として信頼されるかどうかは、後から決まることだ。
小さな説明も丁寧に
登記の手続きは、専門用語が多くて分かりづらい。だからこそ、ひとつひとつ丁寧に説明することを意識している。「これはこういう意味です」とか、「ここに印鑑を押すのはこういう理由です」といったことを省略しない。伝わったかどうかは分からなくても、説明する姿勢だけは伝わると信じている。
聞かれたことには逃げずに答える
「分かりません」とは言いにくい。でも、分からないことを適当に答える方がよほど怖い。だから、調べてから答えることもあるし、他の専門家に確認してから連絡することもある。逃げずに向き合うことが、唯一、自分にできる誠意だと思っている。
信頼されるってどういうことなのか
「信頼されている」と感じる瞬間は多くない。むしろ、自分の不安や疑いの方が勝ってしまう日もある。それでも、ある依頼人の一言が、少しだけその感覚を変えてくれた。小さなことかもしれないが、胸の奥に残っている。
事務員に言われた一言に救われた
書類整理をしていたある日のこと、事務員がぽつりと言った。「先生、いつもちゃんとやってますよね。私、よく見てますよ」。たったそれだけの言葉だったけど、何かがほどけた気がした。自分の努力は、少なくとも一人には伝わっていたんだと。
誰かに見てもらえていたこと
普段は自分の仕事を誰かに評価してもらうことなんて滅多にない。むしろ、クレームや不満の声の方が耳に残る。でも、たった一言でも「ちゃんとやってますよ」と言われるだけで、すべてが報われるような気がした。信頼って、そういう積み重ねなのかもしれない。
ちょっとだけ自分を許せた気がした
その日から、自分に対する見方が少しだけ変わった。完璧じゃなくてもいい。ミスをしても、反省して前を向いていれば、それでいい。そう思えるようになったのは、自分を見ていてくれる誰かの存在があったからだ。