委任状に日付がない それだけのことで心が折れる
司法書士として日々書類を整え、登記を進める中で、細かいチェックは当たり前の作業だ。しかし「委任状に年月日が記載されていない」たったそれだけで、登記が補正扱いになる現実に直面すると、自分の努力が一瞬で打ち砕かれたような気になる。特に、自分が見落としたという自責の念と、補正通知が来たときのあの重苦しい封筒の存在感には、何度経験しても慣れることがない。
気づいた瞬間に襲う脱力感
法務局からの補正通知を開封し、内容を確認したとき、「日付がありません」の文字が目に入った瞬間、思わず深くため息をついてしまった。机の上に広げた書類の束を前に、「本当にこれだけのことで?」と自問する。たしかに日付は重要だ。誰がいつ意思を表示したかが不明なら、書類の意味は揺らぐ。でも、それを分かっていながらも、自分がその基本を落としたことにショックを受けた。
何通も確認していたのに見落とした自分を責める夜
提出前に最低三回は確認した。そう思っていたのに、日付だけが抜けていた。細かくチェックしていたつもりが、チェックそのものがルーティン化していたのかもしれない。夜、家に帰ってからもそのことばかりが頭に浮かんで、冷えた食事をつつきながら「自分は向いていないのかも」と弱音が漏れる。そんな日があるから、この仕事は地味にきつい。
これだけで補正という理不尽さへのもやもや
理屈では理解できても、感情が追いつかないことがある。委任状に印鑑はある。内容も合っている。なのに、日付がないだけで不受理。補正。再提出。再発送。そこにかかる時間と手間、気力の消耗は想像以上だ。それを誰かが代わってくれるわけでもない。理不尽さを抱えながらも、ルールだから従う。そんな矛盾と毎日付き合っている。
補正通知が届くたびに深まる疲労
封筒の色を見るだけで心拍が上がるようになった。補正通知は決して派手ではないが、私の中ではもはやトラウマに近い存在だ。小さなミスが一つあるだけで、書類一式が「不完全」扱いされる。制度のためだと理解している。でも、毎度「またか」と思ってしまうし、それが日々の疲れに拍車をかけているのも事実だ。
午後の郵便受けに潜む小さな爆弾
うちの事務所は午後になると郵便配達が来る。ポストの中に茶封筒があると、一瞬で緊張が走る。「あの案件か? いや、違うはず…」と頭の中で候補がぐるぐる巡る。補正だったら、手戻りの段取りを再考しないといけない。それだけでスケジュールが崩れるのが分かっているからだ。小さなミス一つで、明日の予定が全部吹き飛ぶ。郵便が、もはや恐怖の象徴だ。
事務員にも言えないし言ったところで変わらない
事務員は一人だけ。細かいことを共有すればするほど、余計なプレッシャーを与えてしまう気がして、結局ひとりで抱え込んでしまう。補正が続くと「あのときもっと確認すべきだった」と自分を責める一方で、誰にもそれを吐き出せない。正直、話しても事務員は気を遣うだけだろう。孤独な現場。それが今の自分の現実だ。
受け止めるしかないという現実がつらい
制度に文句を言っても始まらない。補正が出たら、直して出す。それだけ。でも、それができるまでの心のエネルギーが年々減っている気がする。若い頃は「次こそ完璧に」と前向きになれた。でも今は、「またやってしまった…」という自責と諦めの方が先にくる。これが「慣れ」なのか、「摩耗」なのか、自分でもわからない。
ミスは誰にでもあると頭ではわかっているけど
人は誰でもミスをする。そう頭では理解しているし、他人のミスには寛容でいようと努めている。でも、いざ自分がやってしまうと、なぜかそれを許せない。周囲の目が気になるわけでもなく、ただただ自分が許せないのだ。なぜこんな単純なことを見落としたのか、と毎回落ち込む。ミスに向き合うのは、いつも自分自身との戦いだ。
元野球部のメンタルでも打たれ弱くなる瞬間
昔は野球部で、怒鳴られるのも、失敗するのも当たり前だった。失敗を引きずる暇があったら次のプレーに集中しろ、そう叩き込まれて育った。でも、社会に出てからのミスは、そう簡単に切り替えられない。書類のミスは後からじわじわ効いてくる。「打たれ強い」なんて自分への過信だったのかもしれない。現実はもっと地味で、もっと重い。
自分だけができていない気がするの罠
SNSでは他の司法書士が「本日も完了しました!」なんて明るく投稿していて、自分がミスをして落ち込んでいると、よけいに差を感じてしまう。みんな表では元気にやっているだけなのかもしれないけど、つい比べてしまう。自分だけがダメなんじゃないかという妄想に取りつかれて、余計に沈む。まったく、メンタルは弱くなる一方だ。
他の司法書士はどうやって乗り越えているのか
同業者との雑談の中で、「俺も補正くらい毎月あるよ」という言葉を聞いたとき、ちょっとだけ救われた気がした。でも、SNSでは補正の話なんて誰もしないし、成功の話ばかりが流れてくる。もっとリアルな失敗談があってもいいのに、と思う。それがあるだけで、「自分だけじゃない」と思えるのに。誰か、日付ミスの話をしてくれ。