安心できるけど物足りないこの感じ
誰かと一緒にいるとき、「この人といると安心するな」と思うことがあります。無理をしなくていい、気を遣わなくていい、空気のようにそばにいられる。でも、ある日ふと「最近、心が動いてないな」と気づく瞬間があるんです。なんというか、穏やかすぎて、自分の中の何かが止まってしまったような…。この感覚、仕事にも人間関係にも共通しているように思います。私は今、司法書士として一人事務所を運営しています。安定した日々だけど、何かが足りない。それが刺激なのか、変化なのか、自分でもよくわからない。でも、足りないものがあるという感覚だけは、確かにあるんです。
毎日が平和だけど心が揺れない
忙しいけど、ある意味では平和な日々を送っています。朝から晩まで書類と格闘して、事務員さんと必要最低限の会話を交わし、夕方には黙って帰宅。トラブルも少なく、慣れた作業に追われる毎日。でも、その「慣れ」が曲者です。心が動かないんですよ。嬉しいとか悔しいとか、そういう感情が鈍っていく感覚。昔は、ちょっとした出来事でも一喜一憂していたのに、最近は心拍数がずっと一定みたいな生活。自分が生きてるのか、ただ存在しているだけなのか、わからなくなる瞬間があります。
刺激が欲しいわけじゃないのに
正直、刺激を求めているわけじゃないんです。波乱万丈なドラマのような人生に憧れているわけでもない。むしろ、トラブルは少ないほうがいいし、静かに暮らしていきたい。でも、たまにふと、「こんなに平和でいいのか?」と疑ってしまう自分がいます。贅沢な悩みかもしれないけれど、「何かを見落としていないか」「本当は動くべきじゃないか」と心のどこかでざわつく瞬間があります。たとえば昔付き合っていた彼女との関係がまさにそうでした。一緒にいると落ち着くけど、どこかで物足りなさが募っていって、結局は離れてしまった。安心だけじゃ、続かないこともあるんだと学びました。
求めているのは波乱じゃなく感情の動き
刺激が欲しいというより、「感情が動く瞬間」が欲しいのかもしれません。安心感は確かに大切。でも、心が動かない毎日は、自分の存在を疑わせます。仕事でも、人間関係でも、ちょっとしたやり取りや、感謝の言葉、予想外の展開、そういった「変化の種」があるだけで、気持ちはずいぶん違ってきます。司法書士の仕事はルーチンになりがちだからこそ、たまに依頼者の一言に救われたり、事務員さんの笑顔に励まされたりする。その一瞬があるから、またやれる。そう思えるようになったのは、最近かもしれません。
司法書士の仕事にも似たような感覚がある
「安心だけど刺激がない」。この矛盾した感覚は、まさに司法書士という仕事にも言えることです。トラブルは避けたい。でも、あまりにも平坦だと、自分が何をしているのか見失ってしまうこともあります。黙々と登記簿と向き合い、法律と書類に囲まれた生活。やりがいを感じないわけじゃないけれど、胸が熱くなる瞬間が少ないのは確かです。かつて野球部で汗を流していたあの頃のような、心が震えるような時間。それが今の仕事にあるかと問われると、正直うなずけません。
安定した仕事だけど刺激が足りない
司法書士は安定した職業です。毎月の収入も大きな波はなく、突然クビになる心配もない。法律に基づいて動く仕事だからこそ、余計な感情を排除して、正確に手続きを進めることが求められます。そんな環境にいると、刺激は減ります。特に独立してからは、誰にも怒られず、誰にも褒められない日々。あまりにもフラットで、上下の感情が少ない。そうなると、自分で心を動かす仕掛けを用意しないと、どこかで心が止まってしまう気がするんです。
トラブルのない日々ほど自分が空っぽになる
トラブルのない一日は確かにありがたい。でも、同時に、自分という存在がどんどん「機械化」していく感覚にも襲われます。事務所のルーチンをこなし、必要な書類を揃え、依頼者と最小限の会話をして帰る。それが数日、数週間、数か月と続くと、自分の感情がどこかに置き去りになっているように思えるんです。まるで、ただの作業マシンになってしまったような気分。人間らしさがどんどん薄れていく。そんな怖さが、ふとした夜に襲ってきます。
淡々とこなす日常に疲れてしまう理由
やるべきことをやる。それだけで評価される仕事ではあるけれど、それだけだと疲れるんです。特に私は、何かを成し遂げた実感がないとダメなタイプらしくて。仕事を終えても、「あれ?今日は何かやったっけ?」と感じることが増えてきました。充実感がないわけじゃないのに、満たされない。おそらくそれは、「感情の反応」がないから。誰かに喜ばれたとか、驚かれたとか、感謝されたとか。そういう小さなリアクションが、私にとっての活力なのかもしれません。
安心と退屈は紙一重
安心と退屈。その境目って本当に曖昧だと思います。安定した関係や仕事は、確かに心に平穏をもたらしてくれます。でもその分、刺激や変化を感じにくくなる。だからといって、不安定な関係や波乱万丈の生活を求めているわけじゃない。ちょうどいいバランスって、実はすごく難しい。司法書士の仕事も同じで、「安心」を提供する立場でありながら、自分の内面はいつも揺れていたりします。
人間関係も仕事も「慣れ」がもたらすもの
何事も「慣れ」が出てくると、安心もすれば、惰性も生まれます。昔、野球部時代にレギュラーが決まってしまうと、逆に張り合いがなくなったことがありました。努力しているのに結果が見えない苦しさより、結果が見えすぎてしまった退屈のほうが、精神的にこたえた。司法書士としての今も、ある意味で「慣れの罠」に落ちているのかもしれません。毎日がうまくいっているようで、自分の中では空回りしている。そんな感覚に陥る日もあります。
ぬるま湯に浸かっている自分が怖い
このまま、刺激もなく、変化もないまま歳を重ねていくんだろうか。そう思うと、ぞっとします。ぬるま湯のような環境は快適だけど、そこに浸かりすぎると自分の輪郭がぼやけてしまう。昔はもっとハングリーだったし、もっと夢を見ていた気がします。いまは安定の中で、少しずつ自分が削られているような気がしてならないんです。
あえて違和感に向き合う勇気が必要かもしれない
違和感を感じたとき、それを見て見ぬふりするのは簡単です。でも、あえてそこに向き合ってみることが、今の私には必要かもしれない。司法書士という枠の中で、もっとできることはないのか、自分なりの「心の動かし方」を模索してみたい。誰かと深く話してみるとか、新しい分野の相談を受けてみるとか。小さなことでいいから、ぬるま湯の外に一歩出てみる。そんな勇気を持てたら、少しは心も変わる気がしています。