独身を笑えるようになる日は来るのか

独身を笑えるようになる日は来るのか

ひとりで笑ってひとりでため息をつく日々

朝から晩まで仕事に追われて、気づけば今日も誰とも会話をしなかった。そんな日が珍しくない。事務所には事務員が一人いて、業務連絡こそあるものの、退勤後は完全な孤独。かといって寂しさで涙が出るわけでもない。なんとなく、息を吐くように日々が過ぎていく。「まあこんなもんか」と呟いて、冷蔵庫にある昨日の残り物を温める。気づけばテレビの音だけが部屋に響いていて、自分の笑い声すら空虚に感じる。そんな中でふと思うのだ、「これって普通なのか?」と。

仕事終わりに誰とも話さない静かな夜

繁忙期ともなれば、登記の準備や裁判所対応で夜遅くなることも多い。ようやく帰宅しても、待っているのは薄暗い部屋と洗ってない皿。元野球部時代の仲間とは疎遠になり、飲みに行く誘いも来ない。そもそも誰かと話す体力が残っていないのが現実だ。テレビをつけて、ビールを開けて、それで一日が終わる。LINEの通知もなく、スマホが静かすぎて逆に落ち着かない。「誰かと話したい」と思うことすら忘れていく。

話しかける相手が郵便物だけのとき

ポストに入ったチラシを見て、思わず「また広告かよ」と声が漏れたとき、自分で驚いた。久しぶりに出た声がそんな一言だったことに、笑うに笑えなかった。宅配便が来たとき、配達員さんとのやりとりが妙に長くなるのも、自分の中に渇いた何かがある証拠かもしれない。話しかける相手が郵便物、なんて冗談にしておきたいけど、実情はリアルすぎて笑えない。

帰宅後のルーティンが無言のまま進む

玄関を開け、靴を脱ぎ、洗面所に行き、夕食を温めて、テレビをつける。これらの一連の動作を、誰とも一言も交わさずに進めている日常に、ふと恐ろしくなる瞬間がある。「俺、今日しゃべってないな」と気づいたときのあの虚無感。毎日同じルートを通って、同じような登記の相談を受けて、ただ帰ってくる。それだけで精一杯の毎日。でも、どこかで誰かに「おつかれさま」と言ってほしいのかもしれない。

独身をネタにするしかない飲み会トーク

たまに参加する同業者の集まりや地元の会合。自己紹介がてら話をふられたとき、「あ、まだ独身なんですよ~」と自虐気味に返す。すると場は笑いに包まれる。「自由でいいよな」とか「まだ間に合うよ」とか、慰めとも冷やかしともつかない言葉が飛ぶ。こっちもそれに慣れてしまって、リアクションもテンプレート化。笑いが取れればいいか、と思いながらも、帰り道の足取りは重い。

独身であることがなぜか笑いになる現場

別に恥じているわけではないが、なぜか独身であることが“笑える”こととして扱われる場面が多い。テレビでもバラエティでも、「結婚してない=いじられキャラ」という構図が根強い。自分のことを大げさに話せば笑いが取れると知っているだけに、それをネタにするクセがついてしまった。でも、笑いを取った後に来る空気の重さには、誰も気づいていない。

誰も悪意はないけれど刺さるひと言

「ひとりは気楽でいいよね」と言われたとき、たしかにそうだと思う反面、その“気楽”は“孤独”と紙一重なんだと感じる。「家帰っても誰もいないでしょ?」と笑いながら言われたとき、冗談として受け流すが、胸のどこかに残る。悪気がないからこそ、余計に響いてくる。自分でもそれが分かってるから、黙って笑うしかないのだ。

笑って流すけれど帰り道で反芻する

飲み会の席では笑顔を絶やさず、誰かの話に合わせては冗談を言う。でも帰り道、ひとり歩きながら、さっきの会話を何度も思い返してしまう。「本当に俺、このままでいいのか?」と夜風に問いかけることもある。酔いが覚めるとともに、虚しさだけが残る。それでも次にまた同じような場に呼ばれたら、同じように笑ってしまうんだろうな。

婚姻欄の空白がいつも目につく瞬間

仕事柄、住民票や戸籍を目にする機会が多い。だからこそ、自分の書類を見るときに感じる“空欄”の存在感がやたら大きい。「配偶者なし」の文字が妙に強調されて見えるのは気のせいか。日常的に扱っているものだから慣れたつもりだったが、自分のことになると話は別。空欄が、何かを欠いているように感じさせるから不思議だ。

役所の書類に自分の人生が映し出される

登記手続きで住民票や戸籍を取り寄せることは日常茶飯事。その中でふと、自分の分も確認することがある。「ああ、まだこのままだな」と確認しては書類をファイルに戻す。何も書かれていない欄に、未来が書かれる日は来るのかと思いながら、今はまだ空白を受け入れるしかない。

住民票ひとつで感じる孤独感

一枚の紙が、こんなに胸を締め付けるとは思わなかった。住民票に書かれた「単身」の文字。それが、現実を突きつけてくる。「家族構成:本人のみ」。誰に見せるわけでもないが、目を背けたくなることもある。たかが紙、されど紙。仕事で他人の書類を見慣れているからこそ、自分のそれが余計に重く感じる。

戸籍に誰かの名前があったらと妄想する夜

ふとした夜、戸籍に知らない誰かの名前が並んでいる妄想をしてしまうことがある。「配偶者:○○」「子:△△」そんな記載がされていたら、どんな気持ちになるのだろう。実際はひとりなのに、勝手に脳内で家族構成を作っている自分に苦笑する。そしてそっと妄想を閉じて、布団に潜り込むのだ。

笑い飛ばせる日は自分で決める

独身であることを笑えるようになる日は、誰かに与えられるものじゃない。自分で「もういいや」と思えたときに訪れるのだと思う。世間がどう言おうと、自分が納得していれば、それでいい。寂しさと付き合いながら、それでも自分なりに人生を組み立てていく。誰かと比べるのではなく、自分の物差しで笑えるようになれたら、それが一番いい。

独身でいることを肯定する力

「独身=不幸」という図式はもう古い。でも、自分でそれを肯定できなければ、やはり苦しくなる。周囲の声に惑わされず、自分の生き方に自信を持てるようになりたい。そのためには、小さな幸せを積み重ねるしかない。朝のコーヒー、静かな読書、好きな野球中継。そんな時間が「悪くない」と思える日々こそが、自分を救ってくれる。

独り身でも満たされる時間の積み重ね

ひとりの時間は、寂しさと向き合う時間でもある。でもそれは、自分を見つめ直す貴重なチャンスでもある。料理をしてみたり、散歩に出かけてみたり、誰かとじゃないとできないと思っていたことを、自分だけでやってみる。それが案外楽しかったりするのだ。そんな日々の積み重ねが、独身を「笑えるもの」に変えてくれるのかもしれない。

そしてたまに訪れる寂しさとも共存する

どれだけ強がっても、ふとした瞬間に寂しさはやってくる。でもそれを「悪いもの」と決めつける必要もない。寂しさがあるから、温もりのありがたさが分かる。誰かに出会ったとき、その価値をちゃんと理解できるように。そんなふうに、今はひとりで笑いながら、でもちゃんと涙も流せる日々を過ごしていこうと思う。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓