この道でよかったと思えない日がある

この道でよかったと思えない日がある

自分の選んだ道に確信が持てない日もある

司法書士という仕事を選んで、十数年が経ちました。開業当初のことを思い出すと、ただがむしゃらでした。あの頃は夢と不安が入り混じりながらも、前に進むしかなかった。でも今、ふとした瞬間に「このままでいいのだろうか」と問いかけてしまう日があります。報酬のこと、時間のこと、体力のこと、そして何より心の持ちよう。頑張っても報われている実感が持てない時、自分の選択に自信がなくなってしまうのです。

司法書士になって十数年経った今思うこと

「いい仕事ですね」と言われることがあります。でも、実際にはそんなにカッコいい仕事でもありません。書類と格闘し、締切に追われ、法務局の窓口で軽くあしらわれることもあります。地味で孤独で、派手な達成感なんてほとんどありません。もちろん感謝されることもあるけど、それだけでは心が満たされるわけではないのが正直なところ。こんな日々の繰り返しに、ふと「これが本当にやりたかったことなんだっけ」と、我に返ることがあるんです。

若かった頃の情熱と今の疲労感

若いころは、熱意と体力だけで乗り切れていました。書類づくりも夜通しでやれたし、朝イチで法務局に並んでも平気でした。でも今は違います。朝起きて、今日もまた登記とにらめっこかと思うと、足取りが重くなる。やるべきことは山ほどあるのに、気力が追いつかない。「この道を極めてやる」と息巻いていた自分が、今や少しの業務でも消耗してしまう。情熱と現実のギャップが、じわじわと心に響いてきます。

目指した理由すら思い出せなくなる瞬間

どうしてこの仕事を選んだんだっけ――そう自問することが増えました。資格を取った時の達成感や、初めて報酬を得た時の喜びは確かにあったはず。でも、いま目の前にあるのは、終わらない業務と積み上がる請求書、そして誰からのねぎらいもない日常。目標だったはずの「人の役に立つ仕事」が、今はただの生活の手段に見えてしまう。そんな虚しさに襲われる日もあります。

朝目覚めたときからどこか重い気持ち

いつからか、朝が苦手になりました。アラームが鳴っても布団の中でぐずぐずしてしまい、「あと5分…」が30分になる。眠いというより、起きて現実と向き合うのが億劫なんです。今日もまた似たような依頼、似たような問い合わせ、似たような法務局とのやり取り。それらを思うと、気分がどんよりしてしまう。大きなトラブルがあるわけじゃない。でも心が少しずつすり減っている、そんな感じです。

やる気が出ないまま机に向かう日

事務所に入ってPCを立ち上げても、しばらく何もする気が起きません。書類作成のテンプレートは準備されていて、やれば済むことは分かっているのに、手が動かない。事務員も気を遣って話しかけてくれない。コーヒーを飲んでみても、気分は変わらない。こういう日は、無理に作業をしても効率が悪く、ミスも出やすい。かといって休めばそれだけ溜まる。このジレンマがまた心を重たくします。

それでもメールは止まらない

気持ちがついてこなくても、メールは届きます。「至急お願いします」「今週中に」「今日中に回答を」…それを読むたびにプレッシャーを感じ、また少しずつ心が締め付けられていく。返信しなければ、と思いながらも、どう返信すればいいか迷ってしまうこともあります。仕事はこなしているのに、誰にも評価されず、ただ要求だけが増えていく感覚。それがしんどいんです。

誰かに任せたいけど任せられない現実

事務員は一人しかいないし、業務の大半は結局自分でやるしかない。登記の内容を一つ間違えば責任は自分。だったら最初から自分でやった方が早い。そんな考えが染みついてしまって、結果として業務が集中し、負担も増える一方です。分業したい気持ちはあるけれど、信頼して任せる勇気も出ない。結局、自分が動き続けるしかないという現実が、余計に心を追い詰めてしまうのです。

他人の成功が眩しく見える日

SNSを開けば、司法書士に限らず周りの人たちが仕事で成功しているように見える。結婚して、子どもがいて、旅行に行って、仕事も順調で…。そんな投稿を見てしまうと、自分は何をしているんだろうと虚しくなる。見なきゃいいと分かっていても、つい比べてしまう。そしてまた、「この道でよかったのか」と心の中でつぶやいてしまうのです。

同年代の友人は家庭を持ち会社で地位もある

高校時代の野球部仲間とたまに連絡を取ると、みんな家庭を持ち、子どもの話題で盛り上がっています。家のローンの話や、昇進の話、自慢ではないけれどどこか誇らしげに話す彼らを見ていると、自分のことを話すのが億劫になる。独身で、恋愛もうまくいかず、ただ仕事をしているだけの自分。比べる必要はないと頭では分かっていても、心がついてこないんです。

なぜか焦る気持ちと劣等感が湧いてくる

普段は意識していなくても、こういう会話をすると急に焦りが出てくる。「自分も結婚すべきだったのか?」「もっと違う道があったのか?」と。司法書士としてそれなりにやってきたつもりだったけど、社会的な“標準”から外れている気がして、不安になる。誰かに見下されたわけでもないのに、自分で自分を小さく感じてしまうことがあるのです。

自分なりにやってきたのにという虚しさ

一生懸命やってきたし、手を抜いたこともない。信頼も得てきたし、依頼も絶えない。けれど、それが“幸福”とは限らないというのが現実です。努力の先にあったのは、疲労と孤独だけだったのかもしれない。そんな気持ちに支配されることがあります。「ここまでやってきたのに…」と、どこにもぶつけられない感情がふつふつと湧いてくるのです。

それでもやめられない理由がある

これだけ弱音を吐いても、やっぱり明日も事務所に行くんです。不思議なものです。心の奥底では、やっぱり誰かの役に立っているという実感があるからかもしれません。小さな「ありがとう」に救われてきた場面も、思い返せばたくさんあります。だから今日も、「この道でよかった」とまでは言えなくても、「このままでもいいかもしれない」と思える瞬間を探して歩いています。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓