仕事には来ているのに気持ちがどこかへ行ったまま
朝、玄関のドアを閉めて事務所に向かう足取りは重くない。電車も乗り過ごさないし、スーツもちゃんと着ている。だけど、なぜか心がここにない。そんな日が、年を重ねるごとに少しずつ増えてきた。机に座っても、手は動いているのに「今日、何がしたかったんだっけ」と思考がふわっと漂う。司法書士という仕事柄、淡々と手続きをこなす場面は多いが、その「淡々」が今日はなぜか異様に虚しい。これは体だけ出勤していて、心がまだ布団の中にいる、そんな感覚だ。
朝のルーティンはこなせてもなぜか心が晴れない
毎朝決まった時間に目覚め、決まったコーヒーを飲み、決まった道を歩く。そうやって生活を「安定」させているつもりなのに、心がついてこない日がある。コーヒーの苦味が口に残るだけで、「よし、今日も頑張ろう」という気持ちはどこかへ置き忘れてきた感じがする。昔はルーティンに救われたこともあった。だが最近はそのルーティンが、逆に「機械のように動いているだけ」に感じる時があるのだ。
コーヒーを飲んでも頭が切り替わらない日のこと
一口飲んで、「ああ、今日はダメな日かもな」とわかる日がある。自分の中にあるスイッチのようなものが、どうにも押せない。事務員が「おはようございます」と声をかけてくれても、その声の明るさに自分がついていけない。返事はしているけれど、心がついていない。こんな朝は、もう少し眠っていたい自分を無理やり引きずってきた代償かもしれない。
体はデスクに向かっていても心は空回り
依頼人との約束を確認し、書類の山を前にして、「何から始めようか」と思考が止まる。頭の中で優先順位をつけようとするのだが、なぜかうまくいかない。昨日までできていたことが、今日は異様に重たく感じる。指はタイピングしているのに、心のどこかで「これ、意味あるのかな」とすら思ってしまう。何か大きな問題があるわけじゃない。だからこそ余計に、この無気力さが厄介なのだ。
こういう朝が続くとどうなるかというと
一日一日がただ過ぎていくだけになる。目標も、やりがいも、どこかに置いてきたままのように。そうなると、今度は「自分は何をやっているんだろう」と自問自答のループが始まる。司法書士という仕事は、目立たないけれど責任は重い。だからこそ、自分の心がどこかに行ったままだと、仕事にすら罪悪感を感じるようになる。そんな状態で続けていけるのか、不安になることもある。
書類の処理スピードが落ちる
やる気がないと、どうしてもペースは落ちる。確認作業が雑にならないよう気をつけるが、心がどこかに行っていると、集中力の持続が難しい。結果、通常より時間がかかる。事務員の視線を気にして「今日はゆっくりだな」と思われているんじゃないかと被害妄想まで始まる。無駄に神経をすり減らす。
事務員の一言が妙にしみる
「先生、今日はちょっと元気ないですね」。そう言われて、逆に「そんなに見えてるのか」と驚く。普段、強がって見せているつもりでも、案外、態度や表情に出ているらしい。その言葉に救われる一方で、自分の弱さを突きつけられたようで、ほんの少し落ち込む。でも、気づいてもらえることがありがたい日もある。
気持ちが乗らないまま始めた一日をどう立て直すか
こんな日こそ、意識的に「戻る」きっかけを作らなければならない。心が追いついてくるのを待っていても、仕事は始まってしまう。何もしないでいたら、ずっとこのまま一日が終わってしまう。だからこそ、自分なりの「立て直し術」が必要なのだ。
自分ルールの再確認が意外と効く
私には、心がふわふわしているときに戻ってくる言葉がある。「今日は無理せず、まず1件だけ」。たったそれだけ。でも、1件終われば、自然と2件目に手が伸びる。それを繰り返しているうちに、あれほど重たかった朝の空気が、少しずつ軽くなる。小さな達成感が、自分を戻してくれるのだ。
ひとまず一通だけ手紙を出してみる
簡単な通知書一通。それだけでいい。内容が複雑じゃない案件を選ぶのがコツだ。手を動かして、「完了」まで持っていく。すると、仕事の回路が戻ってくる。これはまるで、ストーブの最初の火つけ作業のようなもの。最初のひと仕事が、心のエンジンを回し始める。
誰のための仕事かを思い出す
書類の向こうに「人」がいることを意識する。困って相談してきた人、悩んで夜眠れなかった人。その人の力になれるのが自分の仕事だと思い出すと、少しずつ気持ちが動き出す。体だけじゃなく、心も「今ここにいる」と思える瞬間が戻ってくる。
頭ではわかってるのに動けない朝に共通すること
気持ちが乗らない日は、決して怠けているわけではない。むしろ、責任感が強いからこそ、自分に失望してしまうのだ。頭では「やらなきゃいけない」とわかっている。でも、心がついてこない。そんな自分に嫌気がさして、また心が遠のく。悪循環だ。
忙しさの中にある小さな感情の置き去り
日々の業務に追われる中で、「今日は頑張った」とか「この人にありがとうと言われた」などの小さな感情を無視して過ごしていると、気づかないうちに心が疲弊する。それが続くと、ある朝突然、心が出社拒否を起こすのだ。何気ない感情の積み重ねは、案外重要だ。
「やるべきこと」だけで一日を終える日々
やりたいことではなく、やらなきゃいけないことに追われる毎日。「あの件、まだ連絡してない」「この書類、明日までだ」そんな思考ばかりが脳内を支配する。気づけば、日報の「所感」欄にも何も書けない自分がいる。自分の気持ちを置き去りにしすぎた結果かもしれない。
感情を置いてきたまま帰宅してしまう
仕事を終えて帰宅しても、なぜかスッキリしない。疲れているのに眠れない、そんな夜がある。きっと、日中に置いてきた感情たちが、夜になって一気に押し寄せてくるからだろう。感情の処理をサボると、どこかでツケが回ってくる。身にしみる経験だ。
同業者からの共感の声に救われたこともある
ある日ふと、SNSでつぶやかれていた同業者の一言。「今日は体は動いたけど、心がどこか行ったままだった」。まさにそれだ、と思った。自分だけじゃなかったという安心感。言葉にできなかった気持ちを、誰かが代弁してくれているようで、少しだけ楽になった。
似たようなことを呟いていた司法書士のブログ
ブログを読んでいると、まるで自分のことのような文章が並んでいた。「今日は書類に向かっても手が止まった」「お客さんと話していても、気持ちがどこかにあった」。そんな正直な声に触れると、「この業界、みんな頑張ってるんだな」と思える。孤独感が少しやわらぐ瞬間だった。
「みんなそうか」と思えただけでちょっと救われる
同じように感じている人がいる。それがわかるだけで、明日は少し違う気持ちで出勤できる。完璧でなくてもいい、自分なりにやれていればいい。そう思えるだけで、心の負担が軽くなる。同じ道を歩いている誰かの言葉に、助けられる日があるのだ。
独りで抱える必要なんてないと知る瞬間
どうしてもこの仕事は、一人で抱えることが多くなる。でも、誰かの声に触れて、「あ、自分だけじゃない」と思えると、気が楽になる。相談することは甘えじゃない。共感は、立ち上がるための燃料になることを実感する。
心がついてこない朝との向き合い方
そんな朝が来たら、「またか」と思うかもしれない。でも、それでも一歩踏み出せる自分がいる限り、大丈夫。無理に奮い立たせなくてもいい。ただ、自分なりのやり方で、少しずつ戻ればいい。それが、長くこの仕事を続けていくための術なのかもしれない。
自分なりの回復ルーティンを持つ
人それぞれ、心を戻す方法がある。私の場合は、昔の野球部の練習メニューを思い出すこと。素振り100回、黙ってやってた日々。あの繰り返しが、今の「やるべきことを淡々とこなす」力になっている気がする。心が迷子になったときこそ、原点を思い出すのだ。
野球部時代の素振りを思い出す
バットを持って、ひたすら素振りしていたあの頃。無心でやっていたあの感覚を思い出すと、今の仕事にも通じる気がする。成果はすぐ出なくてもいい。ただ、毎日やる。それだけで少しずつ自分が戻ってくる。司法書士の仕事も、ある意味“素振り”のようなものだ。
「誰のために仕事してるか」メモを見る
デスクの端に貼ってあるメモ。「依頼者の不安を解消するのが仕事」。忙しさや無気力に飲まれそうなとき、それを見ると少しだけ気が引き締まる。誰かの役に立てる。それが、自分の心をもう一度現場に連れてきてくれる力になる。