独身ですと口にするたび何かが欠けていく気がする

独身ですと口にするたび何かが欠けていく気がする

独身ですと口にするたび何かが欠けていく気がする

独身であることを笑い話にできない夜もある

「先生、まだ独身なんですか?」。軽い冗談のように笑って言われたその一言が、なぜか胸に小さな穴を開けることがある。もちろん悪意はないのだろう。だけどこちらの気持ちは、もうとっくに笑い話として消化できるような柔らかい心じゃない。そんな夜が続くと、ふと、自分の人生に対して「これでよかったのか」と立ち止まってしまう。

「ご結婚は?」と聞かれる日常の中で

業界の会合や新年会、法務局の窓口での雑談、あるいはクライアントとの何気ない会話の中で、一定の年齢になると必ず出てくるのが「ご結婚は?」という質問だ。毎回、「あ、いえ、まだ独身でして」と答えるたび、自分の答えに小さな棘が刺さるような感覚がある。まるで、自分自身が何かを怠けてきたかのように感じさせられてしまう瞬間だ。

独り身の言い訳を並べながら本音に触れる瞬間

「仕事が忙しくて」「この仕事、なかなか時間取れないんですよね」。そんな言い訳を繰り返している自分がいる。実際、嘘じゃない。朝から晩まで依頼と書類に追われて、余裕なんてない。でも本音は、誰かと暮らすことをどこかで諦めてしまっている自分がいて、そんな自分をごまかすために“忙しい”を隠れ蓑にしてきただけかもしれない。

仕事が忙しいという盾の裏にある空白

司法書士として独立して10年以上。仕事には慣れたし、クライアントからの信頼も得てきた。でも、家に帰ってからの時間はいつも空白だ。テレビをつけても、スマホをいじっても、その空白は埋まらない。忙しさを盾にしてきたが、それはただの逃げ道だったのではないかと、ふと夜中に思うことがある。

登記の締切には強いが、心の締切は破られっぱなし

法務局の提出期限は守れる。登記の内容は細かくチェックする。でも、自分の気持ちの締切、人生の節目には鈍感で、気づいたときにはいつも手遅れになっている。誰かを好きになる余裕もなければ、誰かに好きになってもらうための努力もしてこなかった。そのツケが、じわじわと生活の中に広がっている。

土日も埋まるスケジュール帳と空いた食卓

平日は当然として、土日も相談や立ち会いでスケジュールが埋まっていく。クライアントの都合に合わせることが最優先で、自分の生活リズムは常に後回し。気づけば、一緒にご飯を食べる人も、食卓を囲む相手もいない。空いた食卓を見て、ようやく自分の生活の空虚さに気づく。

事務員と交わすたわいない会話が沁みる日

唯一、毎日会話を交わす相手が事務員の女性だ。年齢はだいぶ下だが、気遣いのある優しい人で、彼女との雑談が最近の楽しみになっている。とはいえ、彼女にとって私は「先生」であり、気を使って会話してくれているのもわかる。たわいない話が、時に救いになり、時に孤独を浮き彫りにする。

「先生は一人の方が気楽でしょ」に返せない理由

ある日、彼女が何気なく言った。「先生は一人の方が気楽でしょ?」と。その一言に返す言葉が見つからなかった。確かに気楽かもしれない。でも、それは“気楽”を選んだからじゃない。“仕方なく気楽”な人生を歩んでしまっただけだ。

気を使わせていると気づいてしまう自分が苦しい

彼女が話しかけてくれるのはありがたい。でも、どこかで“独身の先生に気を使っている”という雰囲気も感じてしまい、そのたびに自分の存在がやけに痛くなる。誰にも悪気がないからこそ、自分が余計なことを考えているのかもしれない。そんなふうに感じてしまう自分が、何より情けない。

「ひとり」を選んだわけじゃないと気づいてしまう午後

午後の静かな時間、コーヒーを飲みながら窓の外を見る。ふと、「自分は“ひとり”を選んだんじゃなく、選ばれなかっただけじゃないか」と思ってしまう。そう考えると、たまらなく悲しくなる。仕事は充実しているはずなのに、それだけじゃ足りないと気づいてしまった自分がいる。

元野球部が恋しくなる静かな帰り道

夜遅く、事務所を閉めて車を走らせながら、ふと思い出すのは高校時代の野球部。あの頃は仲間がいて、声を出して笑いあえて、孤独なんて感じなかった。今は静かな帰り道に、カーラジオの音がやけに寂しい。野球部のような仲間がいれば、こんな気持ちにはならなかったのかもしれない。

声を出して笑いあえる場が恋しい

書類のやりとりや業務連絡ばかりの日常の中で、「本気で笑う」機会がほとんどない。誰かの失敗を笑うのではなく、自分も一緒に大笑いするような時間。それがこの数年でいくつあっただろう。たぶん、ほとんどない。そんな自分を思うと、笑顔ってこんなにも尊いものだったのかと、あらためて感じる。

キャッチボール相手すらいないという現実

体を動かすことも少なくなった。最近は運動不足を痛感していて、せめてキャッチボールでもしたいと思うことがある。でも、相手がいない。休日、誰かとボールを投げ合うだけでもいいのに、それができない。気軽に連絡できる友人も減った。この孤独が、じわじわと体にしみ込んでいく。

同じ気持ちを抱えるあなたへ

もし、この記事を読んで「自分もそうだ」と思った人がいたら、それだけで書いた意味がある。独身であることをどうこう言うつもりはないけれど、誰かに見てほしい、寄り添ってほしい、そう思う気持ちを否定しないでほしい。司法書士だって、立派に見えても心の中では同じように揺れているのだから。

司法書士としてでなく、人として共感したい

私は司法書士だけど、その前にひとりの人間だ。だからこのコラムでは、仕事の成功談ではなく、弱さや愚痴、孤独を正直に書いていきたい。同業者の誰かが、「自分だけじゃないんだ」と思えたら、それが一番嬉しい。共感こそが、誰かの救いになると信じている。

ひとりの時間に負けそうなあなたへ届けたい

毎日をただこなすだけになってしまったあなたへ、届けたい言葉がある。「頑張らなくても、ひとりで耐えなくてもいい」。私自身がそう言われたかった。もしまた「独身です」と言わなければならない場面があったら、少しでも胸を張って言えるように、お互いに生きていこう。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓