自分の声がどこかに消えてしまった日

自分の声がどこかに消えてしまった日

忙しさにまぎれて聞こえなくなった心の声

日々の業務に追われているうちに、自分が本当に何を考えていたのか、何を感じていたのかがわからなくなる瞬間があります。朝から晩まで登記の書類や電話対応に追われ、食事の時間さえ意識しなくなってきた頃、ふと「あれ、自分って今どんな気持ちでこれやってるんだろう」と思うようになりました。誰かに強制されているわけでもないのに、なぜか選択肢がないような、そんな感覚が心を締めつけます。

いつからか独り言も出なくなった

以前は書類を書いていても「あれ、これはこっちだったか」とか、ちょっとした独り言をぽつりとこぼすことが多かったんです。でも最近は、頭の中で処理してしまっていて、声に出すことが減りました。気がつくと、まるで心に蓋をしているような感覚。声に出すという行為自体が、思考や感情の確認作業だったのかもしれないと今さらながら気づきます。

電話対応ばかりで自分の気持ちを押し殺す

一日中かかってくる電話に応対し続けていると、どうしても機械的なやり取りになってしまいます。声のトーンは明るく、言葉遣いは丁寧に。それが終わるころには、なぜかぐったり疲れていて、「なんであんなに気を遣ったんだろう」と自分でも呆れることがあります。本当はちょっとだけ愚痴を言いたかったり、言い返したかったりするのに、それを飲み込んでしまう癖がついてしまいました。

事務所の静けさが逆に心をかき乱す

電話が鳴らない時間は静かで落ち着くはずなのに、なぜかその静けさが怖いときがあります。自分の中のざわざわした感情が浮き彫りになって、逆に居心地が悪くなる。事務員さんも別室で作業しているので、誰とも言葉を交わさずに数時間が経つこともあります。そんな時、私は自分の存在感が薄くなっていくような感覚に襲われます。

声を失ったまま進む毎日のルーチン

朝起きて事務所に行って、机に座って書類を作る。お昼はコンビニ、午後も書類と電話、気づけば夜。こんな毎日を何年も繰り返していると、「これでいいんだっけ?」という疑問すら持たなくなります。ルーチンという名の安全地帯にいるはずなのに、なぜか安心できない。それはきっと、自分の声を聞かなくなったせいかもしれません。

書類と向き合う時間は長くても自分とは向き合えない

書類の不備はすぐにわかるのに、自分の不調や違和感には気づきにくい。そんな矛盾を感じます。業務においては正確さやスピードが求められるけれど、それに応えようとするあまり、自分の中の「つらい」とか「疲れた」といった感情にはフタをしてしまう。気づけば、「気合いで乗り切る」ことが当たり前になっていました。

一人事務所の沈黙に慣れてしまった感覚

人と話すことが苦ではなかったはずなのに、今では誰とも話さない日があっても「まあいいか」と思ってしまう自分がいます。慣れとは恐ろしいもので、最初は寂しかったはずの静けさが、今では当たり前になっている。けれどその沈黙の中で、自分の声すらも聞こえなくなっていたことに、ふとした瞬間に気づくんです。

気がつくと人の言葉をなぞってばかりいる

依頼者や役所とのやり取りで使う言葉は、ある程度決まった定型文ばかり。そういう言葉を何度も繰り返していると、自分の言葉で話す機会が減っていきます。最近、自分の語尾や表現がどんどん丸くなって、味気なくなっているのを感じることがあります。それはきっと、心の中で誰かに遠慮しているからかもしれません。

気づけば誰とも話していなかった一日

今日は誰ともまともに話していないな…そう気づくことが増えました。話す相手がいないわけではないのに、自分から話す気力が湧かない。メールと電話だけで業務は回るけれど、それで本当に大事なことまで伝えられているのかと疑問になります。言葉を省略しすぎて、自分の思いまで削ってしまっている気がします。

誰かと話しても本音は出せない

「忙しいですか?」と聞かれて、「まあ、ぼちぼちです」と返す。でも本当は、「正直、きついです」って言いたい。でもそんなことを言っても仕方がない、という思いが先に立って、つい無難な答えを選んでしまう。結果として、誰とも本音を交わすことなく一日が終わる。その繰り返しに、自分でも気づかないうちに疲れていきます。

元野球部の声量も今では控えめに

高校時代、野球部で声出しをしていた頃は、誰よりも大きな声で「よろしくお願いします!」と叫んでいました。それが今では、電話でも「もしもし…」と控えめな声しか出せなくなった。声の大きさがすべてではないけれど、自分の存在を外に向けて表現する力が、少しずつ薄れている気がしてなりません。

感情よりも丁寧さを求められる職業のつらさ

司法書士という仕事は、とにかく丁寧であることが大切。感情的にならず、正確に、穏やかに話すことが求められます。でもそれが続くと、感情を抑えることに慣れてしまって、自分の気持ちを伝えることすら難しくなる。丁寧さの裏側にある「本音を言えないつらさ」を、もっと誰かと共有できたらと思うことがあります。

自分の声を取り戻すためにできること

だからこそ、最近は「自分の声を聞く」努力を意識的にしています。大げさなことじゃなくてもいい。朝起きたときに、「今日は少し気が重いな」と思ったら、それを自分に認めてあげる。そんな小さな積み重ねが、自分を取り戻すきっかけになるんじゃないかと思っています。

あえて独り言を言ってみる習慣

意識的に独り言を言ってみることにしました。「あー、面倒だな」とか、「よし、やるか」とか。それだけで、なんとなく心が軽くなる。誰かに聞かせるためじゃなく、自分のために言葉を発するということ。それが意外と、自分の感情を整理するのに役立つんです。声に出すって、こんなに大事だったんだと実感しています。

紙に書き出すことで本音が見えてくる

最近では、ノートに自分の気持ちをメモするようにもなりました。「今日は腹が立った」とか、「ちょっと悲しかった」とか。言葉にするだけで、モヤモヤが形になる感じがします。心の中だけで抱えていたものが、文字になることで少し客観視できる。それがまた、自分の声を思い出すきっかけになっています。

誰かに今日はどうだったと聞かれたい願望

たまには誰かに「今日はどうだった?」と聞いてほしい。そんな願望があるのに、それを自分から言い出すことができない。人は誰かに関心を持たれることで、自分の存在を実感できるのかもしれません。だから私は、まずは自分自身に「今日はどうだった?」と問いかけてみようと思います。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓