山積みの封筒と静かな夕方
仕事が終わる頃には、机の端にそびえ立つ封筒の山ができている。書類の確認、署名、押印、投函準備。ひとつひとつ丁寧に処理した結果なのだが、誰かに評価されることもなく、褒められることもない。それでも、これが「日常」になっているのが悲しいやら可笑しいやら。昔、野球部でノックを延々と受けた日のことを思い出す。泥だらけになっても、監督から「ナイスキャッチ」と言われた一言が嬉しくて頑張れた。でも今は、誰も言ってくれない。仕事の山に囲まれても、聞こえるのは事務所の時計の音だけだ。
郵便物に追われる一日
朝一番に届く郵便物の束。それを見ただけで、今日の忙しさが想像できてしまう。速達、内容証明、登記関係、相続案件…。それぞれに期限があり、手を抜けるものはない。事務員さんと分担しながらも、気を抜くとすぐに机が埋もれていく。夕方になっても終わらない処理に、思わずため息が漏れる。郵便の仕分け作業が、もはや一日の始まりと終わりの儀式のように感じる。
封を切る作業にも意味があると信じたい
封筒を開ける。たったそれだけの行為にも、受け取る側にとっては人生の分岐点が隠されていることがある。相手が期待している内容かもしれないし、不安のもとになっている通知かもしれない。そう思えば、このルーティンにも多少の使命感はある。でも現実には、流れ作業のようになっていて、「気持ちを込める」余裕などほとんどない。
でもやっぱりただのルーティンに思えてくる
気持ちを込めたいと思いつつも、封筒は次から次へとやってくる。目の前の山が減らない現実に、やがて心は無感覚になっていく。朝のうちは「今日こそは早く終わらせよう」と思っていても、夜になればいつものように疲れ果て、椅子に沈み込む自分がいるだけだ。
事務員さんは今日も無言で片付けている
うちの事務員さんは実に淡々と仕事をこなす人だ。特に文句も言わず、無駄話も少ない。たまに何か話しかけようかと思うけれど、僕自身が疲れていて会話が続かないことが多い。そうして今日も、互いに無言のまま一日が終わる。別に険悪というわけじゃない。ただ、お互い「疲れ」が染み込んでいるのだ。
互いに気を遣いながら淡々と
事務所の中は静かで、キーボードの音やコピー機の稼働音が響くだけ。気まずいわけではないのだけど、必要以上の会話はしない。それがこの事務所の空気なのかもしれない。野球部の頃のように、「声出していこう!」なんて言えたら楽だろうが、現実にはそんなテンションは続かない。
気軽に愚痴も言えない静かな空気
本当は、「今日はしんどいですね」とか「これ、面倒ですよね」なんて、少しだけ愚痴をこぼし合えたら救われる気がする。でも、相手も気を遣っているのがわかるから、僕もつい口をつぐんでしまう。結果、気づけば胸の中で愚痴を反芻して一日が終わる。
でも誰かがいないともっとしんどい
たとえ会話が少なくても、誰かがそばで一緒に働いているというのは、それだけで心の支えになる。一人だったらもっと気が滅入っていたはずだ。気配を感じながら、それでも孤独を感じるというのは、なんとも妙な感覚だ。
一通の手紙に人生が詰まっていることもある
司法書士の仕事をしていると、ときおり思いもよらぬ手紙が舞い込む。それはある人の人生の終わりを意味していたり、あるいは新たなスタートの一歩だったりする。書面一枚に込められたドラマに、僕らはなかなか気づかない。だけど、確かにそこには人の営みがある。
相続の通知で涙を流す人もいる
数年前、あるお年寄りが事務所に来て、封筒を開いたとたんに涙を流したことがあった。「この通知で、やっと兄の死を実感できました」と。その一言が胸に刺さった。僕らにとってはただの相続手続きでも、当事者にとっては感情の起爆剤になることもある。
それでも僕らは機械のように処理する
感情に流されていては仕事にならない。冷静さが求められる職業だとわかってはいるけれど、心がついてこない日もある。機械のように処理してしまったあとで、「もう少し丁寧にできたのでは」と後悔することもある。
感情を出せない仕事だからこそ苦しい
泣いてはいけない。怒ってもいけない。喜びすぎてもいけない。感情をコントロールすることが、いつしか感情を出さないことと同義になってしまった。それが、この仕事の一番の孤独なのかもしれない。
成果が見えにくいから余計にしんどい
建物が完成するわけでもなく、拍手が起きるような成果が出るわけでもない。書類を作って終わり。登記が通って終わり。評価されにくい仕事であることはわかっている。それでも、せめて「おつかれさま」と言ってくれる人がいれば救われる。
書類が山になっても誰も気づかない
封筒の山を前にして、「これは誰が処理したの?」と感心されることなどない。それが当たり前の仕事だから。でも、たまには「頑張ってますね」の一言がほしいと思ってしまう。人間だもの、褒められたい気持ちはある。
評価はされなくても仕事は溜まる
褒められなくても、仕事は次々やってくる。「それはすごいですね」なんて誰かが言ってくれる日を夢見ていたが、現実はどれだけ封筒を片付けても、誰の記憶にも残らない。だからせめて、自分だけは自分を認めてやらなければ、心がすり減っていく。
自己肯定感を保つのが難しい
誰からも褒められず、誰にも見られず、黙々と作業を続ける。そんな日々の中で、「自分は意味のある仕事をしている」と信じ続けることは、簡単なようで難しい。孤独との付き合い方を、自分なりに見つけなければならない。
それでも明日もまた封筒は届く
明日も変わらず郵便は届くだろう。そしてまた、封筒の山と向き合う日が始まる。それでも、やめようとは思わない。なぜか。それは、きっとどこかで誰かの助けになっていることを、微かに信じているからだ。
やめたいとは思わない不思議
この仕事に喜びを感じているのかと問われれば、正直わからない。でも、辞めるという選択肢はなぜか浮かばない。気づけばもう何年も、同じように封筒の山を相手にしている。それが「向いている」ということなのかもしれない。
どこかで誰かの役には立っているはず
直接「ありがとう」と言われなくても、この仕事が人の暮らしに関わっているのは確かだ。相続や登記、会社設立。小さな書類の山が、誰かの人生の転機につながっていると思えば、ほんの少しだけ報われる気がする。
それだけでなんとか持ちこたえている
褒められなくても、感謝されなくても、続けられる理由。それは、「誰かの役に立っている」と信じられるかどうかだ。封筒の山の向こうにある、見えない誰かの笑顔を思い浮かべながら、今日もまた仕事を終える。