返事を期待した自分が恥ずかしくなる瞬間
気づけば、誰にともなく「よし終わった」とつぶやいていた。けれども、事務所には自分しかいない。事務員は外回り中で、返事が返ってくるはずもない。なのに、どこかで「うん」くらいは返ってくるのではないかと期待していた自分に気づき、ふと恥ずかしくなる。司法書士の仕事は静かで、ひとりで完結することが多い。だからこそ、独り言の癖が抜けない。いや、むしろ悪化している気がする。誰かに認めてもらいたい気持ちが、ふとした声になって出てしまうのだろう。
ひとり言に気づかれない空気の重さ
昔は、独り言なんて恥ずかしくて絶対に言えなかった。だけど今は、誰もいない静まり返った事務所で、思わず声が出る。今日も不動産の登記申請を終えた瞬間、「これで一件落着だな」と自分に言っていた。なのに、返ってくるのはただの沈黙。昔の自分なら黙って心の中で済ませていただろうに、いつからこんなになったのか。日々の業務の中で、会話をする相手が減っていく。登記も契約書も、黙って従ってくれるだけだ。
音のない事務所で反響する自分の声
昼下がり、エアコンの微かな音だけが鳴っている。ふと気づけば、書類を閉じる音さえも響いて聞こえるほどに、静寂が支配している。この空間で、自分の声だけがやけに大きく感じるのは、誰も反応しないからだ。昔はこの静けさが落ち着くと思っていた。でも今は違う。会話のキャッチボールがないと、日々が薄くなっていく。まるで一人でキャッチボールしているような、投げても返ってこない感覚がある。
事務員も気づかないくらいの存在感のなさ
先日、事務員が戻ってきたのに気づかず、ぼそっと「やっと終わった」と言ったら、「あ、いらっしゃったんですね」と言われた。どうやら、声は聞こえても人としての存在は意識されてなかったらしい。別に嫌われているわけではないと思う。でも、ここまで空気のような扱いを受けると、逆に面白くなってくる。司法書士という仕事は、華やかさとは無縁で、黙々と積み上げる作業の連続。それが自分の存在感を薄くしているのかもしれない。
会話が成立しないときに思い出す昔の部活
ふと、昔の野球部時代を思い出す。声を出すのが当たり前だったあの頃。ベンチからでも、守備位置からでも、常に誰かが「声出せー!」と叫んでいた。声が届けば、誰かが応えてくれた。たとえ内容がなくても、そこに“つながり”があった。でも今は、声を出しても無反応。書類もパソコンも人間じゃない。返事をもらえることのありがたさに、今さらながら気づいてしまう。
ベンチで飛ばしてた声は誰かに届いていた
あの頃は、声を出せば「ナイス!」とか「ドンマイ!」とか、すぐに返ってきた。声がチームの一部だった。別に言葉の意味なんてどうでもよくて、「そこに誰かがいる」っていう確認作業みたいなもんだった。社会人になって、ましてや一人事務所で司法書士をしていると、その「確認作業」ができない。声を出しても、誰も振り返ってくれない。それが、こんなに寂しいことだったとは思わなかった。
今は誰に向かってしゃべっているのか
今、自分が出している独り言は、誰に向かってのものなのか。事務員? クライアント? それとも自分自身? たぶん、自分の存在を確かめるためなんだと思う。誰かに話しかけてるんじゃなくて、「ここに俺はいるぞ」と、自分自身に言ってるんだ。だから返事がなくても、つい口をついて出てしまう。そんなことを考えながら、また一人、机に向かう午後だ。
誰もいないのに話しかける癖がついた理由
最初はただの癖だった。でも今では、独り言がないと落ち着かないこともある。朝、「今日も一日頑張ろう」と言いながらドアを開ける。誰も聞いてないのに、言わずにはいられない。もしかしたら、無音の孤独に耐えられないのかもしれない。静けさが続くと、不安になる。人は誰かに認識されることで安心するっていうけど、それがまさに今の自分だ。
孤独の中に習慣として根づいた独り言
たとえば朝一番に「おはようございます」と言ってみる。返事はない。でも、言わないと始まらない気がする。独り言は、ある意味で自分に対する儀式なんだと思う。何も言わないと、ただ時間が流れるだけになるから、せめて声を出して、自分の存在を音で確かめている。もはや「会話」ではなく「確認」だ。
書類とだけ向き合う仕事の副作用
司法書士の仕事は、基本的に人より紙と向き合う時間の方が長い。書類作成、登記申請、謄本取得。全部黙って完結する。打ち合わせもメールか電話で済んでしまうし、対面で話すこと自体が減ってきた。すると自然と、自分の声をどこで使えばいいのかわからなくなってくる。そして気づいたら、書類に向かって「よし完了」と話しかけている。これはもう職業病だろうか。
わかってもらうことより出すことに意味がある
返事を求めているわけじゃない。ただ、声に出したいだけなんだと思う。どこかで区切りをつけたい、完了を実感したい、そんな気持ちが、独り言という形で現れている。誰にもわかってもらえなくても、自分の中で納得できる瞬間が必要だ。声を出すことで、気持ちが落ち着く。誰かに伝えたいわけじゃない、ただ、自分に言い聞かせているだけなのかもしれない。