仕事は山ほどあるのに心がぽっかり空いている

仕事は山ほどあるのに心がぽっかり空いている

仕事があるのに満たされない感情に気づいた朝

朝の通勤途中、ふとしたタイミングで自分の心が空っぽだと感じることがあります。スマホでニュースを眺めながら、目の前の風景がぼやけて見えて、身体だけが事務所に向かっているような感覚。司法書士として独立して十数年、忙しい毎日を送っているはずなのに、なぜこんなに虚しいのか。その答えが見つからないまま、また今日も依頼に追われている自分がいます。

「充実してるはずなのに」という違和感

案件はそれなりにあります。売上も大きく落ち込んでいるわけではない。なのに、どこか虚しさが拭えない。たとえるなら、満員電車に乗っているのに誰とも会話しない朝のような孤独感です。仕事の数や量で心が満たされるわけじゃないと気づいたのは、きっとこの違和感の積み重ねだったのでしょう。

毎日のルーティンに埋もれていく自分

朝起きて、メールを確認して、書類を作成して、電話対応。お昼も急ぎで済ませて、また登記の確認。終業後もデスクに残って、翌日の準備。こうしてルーティンが日々の大半を占めると、「自分」という存在がどこかに置き去りにされたような気になります。時間に流されているようで、自分の意志が置き去りにされている感覚がつらいのです。

忙しさが心の空虚さを隠してくれると信じていた

最初の頃は、忙しければ寂しさなんて感じないと思っていました。暇であるよりも、何かに追われている方が前向きに生きられると信じていました。でも、ある日ふと立ち止まってしまったんです。気づけば、何をしていても心が満たされない。慌ただしさの中で自分を見失っていたことに気づきました。

タスクに追われていれば寂しさを感じずに済むと思っていた

実際、誰かと会話をしたり、感謝されたりするときには一時的に心が動きます。でもそれも束の間。仕事が終わったあと、ふとした静寂の時間に押し寄せてくるのは空虚さでした。毎日予定が埋まっていることは、寂しさを隠すカモフラージュにはなるけれど、それが癒しにはならないと実感しました。

でも本当は「感じること」から逃げていただけ

昔から、しんどい感情を真正面から見るのが苦手でした。だから野球部時代も、ケガしても痛みを無視してグラウンドに出ていた。でも大人になってからは、心の痛みは見ないフリしても消えません。仕事で紛らわせても、感じるべきことを放置すると、どこかでツケが回ってくるんですよね。

やりがいと孤独は同居できるのか

登記が無事に終わって依頼者から「ありがとうございました」と言われた瞬間、やっててよかったなと思います。でもその感情と、仕事が終わった後の孤独は、まったく別の場所に存在しています。やりがいがあるのに孤独。充実しているのに寂しい。こういう気持ちって、誰にも話せなくて苦しくなります。

他人から見たら順調そうな生活の中で

「事務所もあって安定しててすごいですね」なんて言われることがあります。たしかに事業としてはなんとか続いている。でも、その裏には数え切れないくらいの孤独な夜や、ひとりで抱え込んだ不安があるんです。見えるものだけでは判断できない部分に、自分自身が一番振り回されているのかもしれません。

「仕事があっていいですね」に返す言葉が見つからない

飲み会や親戚の集まりなどで「順調そうだね」と言われるたびに、愛想笑いでごまかしてしまいます。本当は、今一番欲しいのは仕事じゃなくて「本音で話せる誰か」だったりします。でもそんなこと、なかなか口に出せませんよね。だから結局またひとりでこもってしまう。

成果と満足は別物だと知った瞬間

登記や相続がうまくいって、手続きもスムーズに進んだときの達成感。それとは別に、終わった後の虚しさが残る日もあります。頑張った結果が見えても、心の充実度とは比例しない。このズレがあると、努力そのものが虚しく思えてしまう。そんな気持ち、わかってくれる人いますかね。

誰かのために働くことと、自分のために生きること

司法書士という仕事は、人の人生の節目に立ち会える素晴らしい仕事です。でもふと、自分自身の人生はどうなんだろうと考えることがあります。誰かのために尽くすことと、自分のために生きること。そのバランスを見失ってはいけないと最近つくづく思います。

依頼人の笑顔に救われることもあるけれど

やっぱり「ありがとう」「助かりました」と言ってもらえると、心がほんの少し温まります。それだけで救われる日もあります。でもその感情が続かないのは、自分の中の「空白」を埋めきれていないからかもしれません。

感謝されても、どこか置いてきぼりの自分

相手は満足してくれても、自分が満たされたとは限らない。そんなとき、自分だけが取り残されたような気持ちになります。誰かの役に立ったのに、自分はどこにも向かっていない気がしてしまうんです。

自己肯定感の低さはどこから来るのか

もともと自分に自信があるタイプではありません。野球部時代もレギュラーになれず、ずっと補欠でした。今になっても、「自分なんかが」って思うことが多い。そんな自分でも、この仕事を続けていいのかと不安になります。

心の空白を受け入れて、また前に進む

最近は、無理に気持ちを上げようとせず、「空っぽな日もあっていい」と思うようになりました。ネガティブも大事な感情です。心がぽっかり空いている日もある。でも、それを認めることで、次の一歩を踏み出せる気がしています。

完璧じゃないからこそ共感される

司法書士って、堅いイメージを持たれがちですが、私たちも人間です。失敗もするし、不安もある。そういう姿を少しでも見せられたら、逆に信頼につながるかもしれません。そう思えるようになっただけでも、少し成長したのかもしれません。

今日もどこかの誰かが、自分の仕事を待っている

だから、今日も仕事をします。どれだけ虚しくても、誰かが自分の仕事を必要としてくれている。その事実だけが、自分を支えてくれるのです。心がぽっかり空いていても、それでも前を向いて進んでいけたら、それでいいんじゃないかと思います。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓