笑っただけで何かあったんですかと聞かれる日
司法書士という職業柄、どうしても顔が硬くなる。書類とにらめっこ、法務局と電話で格闘、時には相続で揉める家族の間に立つこともある。自然と笑顔なんてものは日常の中から消えていたのかもしれない。そんなある朝、いつものように事務所でPCに向かっていたら、ふとした拍子に笑ってしまった。そのとき、事務員の彼女がこちらを向いてぽつりと「先生、何かあったんですか?」と。本当に、ただ笑っただけなのに。その一言に、自分がどれほど無表情で過ごしていたのかを突きつけられた気がした。
久しぶりの笑顔に職員が硬直した朝
その日は朝から天気がよくて、珍しくテレビをつけたまま準備をしていた。そこで流れてきた、バラエティ番組のどうでもいい一言。普段ならスルーするのに、その日はなぜかツボに入ってしまった。口元が緩んだまま事務所に入り、何の気なしに「おはよう」と言っただけなのに、事務員の彼女が目を丸くして「先生、何かいいことでも?」と。こっちは驚いてしまった。え、そんなに俺って笑わない?なんか変なこと言った?と一瞬焦ったが、よくよく考えてみたら、彼女の反応の方が正しかったのかもしれない。
ふとしたきっかけでこぼれた微笑み
笑顔なんて意識して出すものじゃない。だけど、最近は笑う理由すら見つからなかったように思う。テレビのどうでもいいギャグに思わず吹いたのは、たぶん心のどこかで「何か」に飢えていたからだ。忙しさと孤独と、地味にたまっていく日常の疲れ。笑えるってことは、まだ余白があったという証かもしれない。ほんの小さな笑みが、自分にとってこんなにも稀少で特別なものになっていたとは、思いもよらなかった。
テレビのくだらない一言が妙にツボだった
あの朝見ていた番組で、芸人が「俺の遺産は貯めたレシートだけです」と言っていて、妙に笑ってしまった。そんな言葉、普段なら鼻で笑うだけだった。でもその日は違った。なぜかそれが、自分の生活とリンクしてしまったのだ。毎日領収書と請求書と契約書に囲まれて、俺も似たようなもんかもしれん…と、ツボに入ってしまった。笑ってる自分が可笑しくて、さらに笑ってしまう。でも、それくらいのことで、こんなに空気が変わるとは思わなかった。
事務員の一言が胸に刺さる瞬間
「先生、最近笑ってなかったですよね」と、彼女は続けた。何気ないその言葉が、胸にズシンと来た。たしかに、最近どころか、ずっと眉間にシワを寄せていた気がする。電話のトーンは低く、口癖は「今それやらないとダメ?」だったかもしれない。そんなふうに思い返してみれば、自分がどれだけ周囲に圧をかけていたのかがわかる。笑っただけで「どうしたんですか?」と聞かれるなんて、本来なら悲しいことなのに、それを指摘してくれる人がいることが、少しありがたかった。
先生笑うんですねその破壊力
この言葉、結構きますよ。「笑うんですね」って。まるで、氷河期を超えた動物が久しぶりに太陽を見たようなニュアンス。普段どれだけ鉄仮面だったのか、自覚がなかった。でも、そう言われた瞬間に、自分が“人として”何かを取り戻したような気がした。職業柄、感情を抑える癖がついているのは事実だ。だが、それが周囲との距離にもなっていたとは。彼女のその一言は、グサッときたけど、今となっては感謝している。
逆に普段どれだけ無表情だったのか
「笑ったことがニュースになる人」って、芸能人だけだと思ってた。けど、自分もその仲間入りを果たしていたらしい。人は無意識に周囲の空気を作る。笑わない人がひとりいるだけで、その場がピリッとするのは当然だ。気づかぬうちに、自分が場を冷やしていたのかもしれない。それが司法書士という立場のせいなら、ちょっと悲しい。でも、立場よりも人間としての温度を保っていたい。そんなことをふと思った。
笑顔が珍しいという日常の異常さ
「笑ったら心配される」って、完全に異常事態だ。でも、それが日常になっているからこそ怖い。誰かと話すときも、業務連絡のみ。お昼も一人でコンビニの弁当。感情のスイッチが切れっぱなしで、それを便利だと思っていた節もある。でも、本当にそれでいいのか。笑わないことが効率の証明になっていたら、それは働き方じゃなくて、ただの劣化じゃないのか。そう思ったとき、少し背筋が寒くなった。
忙しさに埋もれて感情を置いてきた
毎日押し寄せる業務に追われて、感情なんて置いてきぼりだった。登記、契約、相続、法人、成年後見…どれも重い。失敗できないからこそ、真剣に向き合う。でも、それが「顔が怖い」「笑わない」「話しかけづらい」という評価につながるのは、ちょっと損だ。忙しいのは仕事であって、人間関係まで無感情でいいわけじゃない。気づけば「効率」の名のもとに、人間らしさまで削っていた気がする。
人間関係より先にタスク処理が優先される日々
「それ、あとにして」このセリフ、何度言っただろう。書類作成の手が止まるのが嫌で、ちょっとした雑談すら後回しにしてきた。でも、その「あと」は永遠に来ない。結果的に事務員との距離もできていた。仕事は確かに進んだ。でも、それが本当に職場としての“前進”だったのかは怪しい。誰かと笑って過ごす時間を、単なる“効率の敵”と見なしていた自分が少し恥ずかしい。
元野球部の頃の自分と今の自分
高校時代、野球部でキャッチャーをやっていた。ピンチのときほど声を出して、チームを盛り上げていた。「お前が一番うるさい」と言われていたあの頃。今の自分に、その明るさの欠片は残っているだろうか。気づけば、声も小さくなり、表情も消えていた。あの頃の自分が今の自分を見たら、たぶん驚くだろう。「どうした?試合中なのに黙ってるのか」って。
声を出して笑っていたあの頃
野球部の仲間といるときは、些細なことで笑っていた。エラーをしても、怒られるのが自分じゃないときは、つい笑ってしまっていた。練習が終わった後のコンビニでの買い食い、部室でのくだらない話。どれも笑いが中心にあった。それが、今ではどうだ。書類とパソコンと判子の世界。誰かと笑う時間すら、もったいなく感じていたのかもしれない。いつからそんな人間になったんだろう。
ボールは追えても笑顔は逃していた
あの頃は、どんなに苦しくても声を出して走っていた。だけど、大人になったら、何も言わずに耐えるのが“かっこいい”と錯覚していた。結果、声も笑顔も減った。ボールを追うように、笑顔も追いかけなければいけなかったのに。今さら青春は戻らないけれど、笑顔だけは意識して取り戻してみようかと思う。せめて、笑ったときに「先生、いいことあったんですか?」じゃなくて、「楽しそうですね」って言われるくらいには。