今も心に刺さったままのあの一言が抜けない日

今も心に刺さったままのあの一言が抜けない日

誰かの一言に心がざわついた朝

司法書士として働いていると、日々いろんな人と接します。クライアント、法務局、同業者、そしてたまに地域の知人。その中には、何気なく放たれる一言がこちらの心に深く刺さることがあります。とくに疲れている日や、調子が上がらないときほど、なぜかそういう言葉に敏感になるのです。最近、ある朝に言われた一言が、ずっと頭から離れません。それは大した意味もなかったのでしょうが、こちらとしては心の奥にずしんと響いてしまいました。

何気ない言葉ほどなぜか深く残る

言葉というのは、力を持っています。強い言葉や意図的な悪意よりも、むしろ「何気ない」ものほど厄介です。先日、昔の知り合いとすれ違いざまに「まだ独身なん?」と軽く言われたんです。たぶん、深い意味はなかったんでしょう。でも、その瞬間、なんとも言えない気持ちになって、一日中心がモヤモヤしていました。相手に悪気がないのがわかっているからこそ、「なんでこんなに気になるんだろう」と自分でも不思議になるのです。

言われた瞬間は笑ってたけど

たしかに、その場では「まぁねー」と笑って流しました。相手もその場限りの軽口だったはずです。でも、事務所に戻って一人になると、ふとした瞬間にその言葉が頭の中でリフレインされるんです。「まだ独身なん?」——まるで今の自分が「まだ何も手にしていない人間」とでも言われたような気がして。被害妄想だとわかってます。けれど、疲れていたり、孤独を感じる日には、そのたった一言が心に重くのしかかることがあるんですよね。

忘れたふりが上手くなっただけかもしれない

大人になってからは、傷ついたふりをしなくなっただけで、実はうまく「感じないふり」をしているだけなのかもしれません。仕事中は集中して忘れているつもりでも、夜ふとコンビニ帰りの歩道で、思い出したようにズキッとすることがある。昔は「笑って流せばいい」と思っていたけれど、今は「心の奥で無理して流してる」ことに気づきました。だからこそ、刺さった言葉が抜けないまま、自分の中に残っているのかもしれません。

そんなに大変そうに見えないねって言葉

先日、同業者との飲み会の帰り道、ぽろっと言われた言葉がありました。「あんたの事務所って、なんか余裕ありそうで羨ましいよ」。そのときは笑ってごまかしましたが、内心では「何を見てそう思ったんだろう」とモヤモヤが止まりませんでした。たしかに、事務員さんが優秀で助かっていますし、事務所も地元でそこそこ続いています。でも、毎日の書類、登記のミスの恐怖、何より“自分が止まったら全部止まる”というプレッシャーが、常にのしかかっているのです。

人に弱音を見せない習慣が裏目に出た

司法書士という仕事は、信頼が命です。「この人に任せておけば大丈夫」と思ってもらわなければいけない。だからこそ、つらくても顔には出せないし、愚痴も控えるようにしてきました。でも、それが逆に「余裕そうに見える」と誤解を生む原因になっているのかもしれません。自分の中では必死に走っているつもりでも、外からはただ静かにこなしているようにしか見えない——そのギャップがまた、孤独感を強めてしまうのです。

元野球部の癖で無理して笑う自分

学生時代、野球部では「泣くな、笑え、歯を食いしばれ」と教わりました。そんな習慣がいまも身体に染み付いています。だから、どんなに疲れていても、「大丈夫です」と笑ってしまう。笑顔は時に強さの象徴かもしれませんが、誰かに心を開く機会を失う原因にもなっていると感じます。そんなふうに“平気なふり”を続けていると、気づけば誰にも本音をこぼせなくなっている。そこに気づいたとき、自分でも「そりゃ誤解されるよな…」と苦笑いしか出ませんでした。

頑張ってる人ほど誤解されやすい説

目立たないように努力する人ほど、「何もしていない」と思われがちです。これは、司法書士に限らず多くの仕事で言えることかもしれません。でも、それって結構つらいことですよね。努力の痕跡を見せないことがプロとしての矜持でもある。でもその矜持が、孤立や誤解のもとにもなる。だからといって、いちいち「こんなに頑張ってるんだ!」とは言えない。結果、「余裕そう」「暇そう」「モテなさそう」と勝手にイメージされて、何気ない一言に刺される日が来るのです。

事務員との距離感が救いになった日

正直に言って、事務員との関係は事務所運営の生命線です。気を遣いすぎても疲れるし、逆に距離を詰めすぎてもよくない。そんな中で、たまたま書類が山積みだった日に、事務員がぽつりと「先生って意外と繊細なんですね」と言ってきました。その言葉に救われた気がしました。「意外と」なんて言い方だけど、ちゃんと見てくれてる人がいた。それだけで、張り詰めていた糸が少しだけ緩んだ気がしたんです。

たった一言の「お疲れさま」に泣きそうになる

仕事を終えた夜、帰り際に「今日もお疲れさまでした」と言われただけで、泣きそうになることがあります。たぶん、誰かの優しさに触れた瞬間、張っていた心の防御が崩れるんでしょうね。普段は「大丈夫」を繰り返して強がっているぶん、ほんの一言に心が揺れる。それは、刺さる言葉とは正反対の“沁みる言葉”です。たとえば、それがなければ今日もきっと「もう嫌だ」と思ってたかもしれません。

司法書士という仕事に誇りはあるのに

どんなに愚痴があっても、この仕事が嫌いなわけではありません。むしろ、好きです。誰かの人生の節目に関われるという責任と信頼。それを重く感じるからこそ、時に心が疲れるんです。だからこそ、自分の心を守るためにも、誰かの一言に振り回されすぎないことも大切なのかもしれません。けれど、「刺さったままの一言」は、やっぱり無視できない。それが人間ってものなんでしょう。

でも誰にもわかってもらえないこともある

たとえば、登記ミスがどれだけ怖いか。依頼者の人生に直結する仕事だから、神経を張り詰めて対応している。でも、それは外からはわからない。だからこそ、「余裕そう」「ミスしなそう」と言われるのが逆にプレッシャーになることもある。わかってもらえない。でも、わかってもらおうともしない自分もいる。そのジレンマが、毎日の中でぐるぐる回り続けているのです。

登記のミスはゼロでも心のミスはある

「仕事ではミスしないね」と言われたとき、それは褒め言葉のはずなのに、どこか刺さります。なぜなら、心の中ではしょっちゅうミスしているから。言わなきゃよかった言葉、見逃したサイン、誰かにかけられなかった労いの言葉。そういう“心のミス”に、自分で気づいているからこそ、「完璧な人間」と思われるのが苦しいのです。

言葉のトゲに耐えてるのは自分だけじゃない

この記事をここまで読んでくれた誰かも、きっと似たような経験があるんじゃないでしょうか。誰かのたった一言で立ち止まってしまうこと。ふとした言葉に涙が出ること。弱いんじゃなくて、それだけ一生懸命生きてるからだと、今なら思います。司法書士として、男として、ひとりの人間として、ちゃんと悩みながら前に進んでるんです。

同業者の友人も似たような悩みを抱えていた

先週、同業の友人と久々に飲んだとき、彼も「たまに言葉って、殺しにくるよな」って言ってました。笑ったけど、たしかにそうなんですよね。わざとじゃないのに刺さる。何気ないのに痛い。だけど、「それな」と言い合える仲間がいることで救われるんだと思います。だからこそ、同じように頑張ってる人たちにこの記事を届けたいのです。

だからこそ言葉の優しさを大事にしたい

言葉の力を知っているからこそ、自分は誰かを傷つけないようにしたい。とくに、後輩や部下、依頼者に対して。何気ない一言が人を救うこともある。逆に、壊してしまうこともある。だから、せめて誰かの“抜けない言葉”が、優しさであってほしい。自分もそんな言葉を使えるようになりたい——そう思いながら、今日も事務所で仕事を続けています。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓