守ってほしいと思った瞬間がある
普段は「一人でも平気だ」と思い込んで過ごしているが、ふとした瞬間に「誰かに守ってほしい」と感じることがある。そんな感情を抱いた自分に驚きつつも、それが人間らしさなのかもしれないと最近は少しだけ受け入れられるようになってきた。司法書士という仕事柄、依頼者の悩みを受け止めることはあっても、自分の内面をさらけ出す場面は少ない。誰かに弱さを見せるのは苦手で、つい肩に力を入れてしまう。でも、本音を言えば、ほんの少しでいいから、「そばにいるよ」と言ってくれる人がいたら…そう思う日もあるのだ。
強がりで塗り固めた日々の裏側
昔から、弱音を吐くのが下手だった。中学の野球部ではキャプテンを任され、ケガをしても黙って練習に出ていた。「大丈夫?」と聞かれても、「全然平気」と笑ってごまかす癖は、いまだに抜けない。司法書士という職業でも、信頼を得るには「しっかりしている人間」でいることが求められる。だからこそ、しんどいときでも笑顔で乗り越えようとしてしまう。でも、誰にも言えないまま心が擦り減っていくのを感じることがある。強がりは防御でもあるけれど、誰かに気づいてほしいという無言のサインでもあるのかもしれない。
「ひとりで大丈夫」と言い聞かせた帰り道
忙しい一日が終わり、事務所の鍵を閉めるとき。ふと、空を見上げたくなる瞬間がある。星が出ていればいいなと思いながら、何もない夜空にため息をつく。仕事のことで悩んでいた日、同業の知り合いに連絡しようか迷って、でも「こんなこと言ってもしょうがないか」と諦めたことがあった。帰り道、ふと歩道橋の下に座ってスマホを見つめている高校生の姿が目に入った。あの子も何かに悩んでいたのかもしれない。年齢も立場も違えど、「誰かに話を聞いてほしい」と思う気持ちは、案外みんな同じなのかもしれない。
コンビニの灯りが妙にやさしく感じる夜
いつも通りの帰り道、やけにコンビニの光が暖かく見えた夜があった。中に入って温かい缶コーヒーを買って、駐車場の端に立ってぼーっとしていた。なんでもないはずの缶コーヒーが、まるで誰かが「お疲れさま」と言ってくれたような気がして、目頭が熱くなった。きっと、自分の中で張り詰めていたものが少しだけ緩んだのだろう。人って、何かに守られていると感じたときに、初めて「もう少しがんばってみよう」と思えるのかもしれない。その夜は、少しだけ歩く速度がゆっくりになっていた。
人に頼るのが苦手な性格の副作用
「何かあったら言ってね」と言われても、「ありがとう、大丈夫です」とつい答えてしまう。それは、気を遣わせたくないという気持ちもあるけれど、本当は「迷惑をかけたくない」「嫌われたくない」という不安が根っこにある。司法書士という立場は、どこか「頼られる側」であることが前提になっているような気がして、弱音を吐くことが許されないように感じてしまう。でも、だからといって何もかも一人で抱えるのはやっぱりしんどい。最近になってようやく「助けて」と言えることも強さなんだと、少しずつ思えるようになってきた。
野球部時代に覚えた無言の我慢
中学も高校も野球部だった。「声を出せ」「走れ」「耐えろ」と、指導は常に根性論だった。水が欲しいと思っても我慢、足が痛くても走る。そんな経験が、「我慢こそ美徳」という価値観を自分の中に染み込ませた。でも、大人になって思うのは、我慢が必ずしも正解ではないということだ。無理を続ければ、壊れてしまうこともある。司法書士という仕事においても、「限界を迎える前に休む」「誰かに任せる」ことの大切さを、ようやく理解し始めた。無言の我慢は、誰にも届かない。それよりも、一言「つらい」と言える勇気を持ちたい。
司法書士という孤独な仕事の現実
毎日誰かと会って、話して、書類を作って。見た目には賑やかに見えるかもしれないが、実際はとても孤独な仕事だ。特に地方では、同業者も少なく、相談できる相手も限られてくる。事務所を出たあとの帰り道は、妙に静かだ。テレビから流れるバラエティ番組の笑い声が、どこか自分には関係のない世界のように思えてくる。そんな夜に、「守ってほしい」とまではいかなくても、せめて誰かと気持ちを分かち合えたら…と思うことがある。孤独は仕事そのものではなく、自分の内面からじわじわと染み出すものなのかもしれない。
相談されるけど、相談できる人がいない
依頼者からは、「先生に聞けば安心」と言われることが多い。それはとてもありがたい反面、プレッシャーにもなる。誰かの不安を引き受けているうちに、自分の不安は置き去りにされていく。何かトラブルが起きたとき、一瞬「これどうすれば…」と頭が真っ白になることがある。でも、そんなときでも「大丈夫です」と笑ってしまう癖が抜けない。本当は、「俺もどうしたらいいかわからない」と言ってみたいときもあるのだ。相談できる人がいないというのは、責任感だけでは片づけられない、深い孤独につながっている。
事務所に戻って誰もいないデスクの寂しさ
外出先から戻ってきたとき、誰もいない事務所の空気に、どっと疲れが押し寄せることがある。事務員はもう帰宅していて、自分だけが蛍光灯の下でパソコンに向かう。人の気配がない空間で、キーボードを打つ音だけが響く。そんなとき、ふと「誰か、ここにいてくれたら」と思うことがある。別に会話をしなくてもいい。ただ、そばに誰かがいてくれるだけで、心の負担は少し軽くなる気がする。孤独は仕事の効率には関係ないかもしれないが、心のバランスには確実に影響しているのだ。
それでも今日も依頼者のために向き合う
守ってほしいと思う瞬間は確かにある。でも、それでも仕事は待ってくれないし、目の前の人を支えることに自分の存在意義を感じているのも事実だ。依頼者の悩みが少しでも軽くなるように、自分の力が必要とされている限り、まだやれる気がする。たまに、心の中で誰かに「がんばったね」と言ってほしくなる夜もあるけれど、それも含めて自分なのだろう。強がりでも、愚痴っぽくても、頼りにされる限りは、また明日も笑顔で事務所のドアを開けようと思う。
「誰かの役に立てている」というかすかな救い
最近、相続の相談に来た年配のご夫婦が「先生にお願いして本当に良かった」と言ってくれた。たった一言だったが、その言葉にどれだけ救われたか分からない。誰かの役に立っている、という実感は、どんな高価な報酬よりも心を温めてくれる。自分が守られる立場でないとしても、誰かを支えることで、自分も少しだけ癒されているのかもしれない。そう考えると、孤独の中にも微かな光が差すような気がする。その光がある限り、今日も前を向いて歩いていける。