相談を受ける立場の重み
司法書士という仕事は、誰かの悩みや不安を受け止める立場です。登記の相談や相続の話、時には家庭内のもめごとまで…毎日のように人の「困った」が持ち込まれます。そうやって頼られるのはありがたいことです。でも正直なところ、自分の心の容量が限界に達していても、「今は無理です」と言えないのが現実。人の話を聞きすぎて、自分の声がどこにあるのかわからなくなる瞬間もあります。
毎日誰かの悩みを聞いている
「ちょっといいですか?」と電話が鳴るたび、無意識に姿勢を正してしまいます。相談内容は多岐にわたりますが、多くは人生の節目に関わること。だからこそ真剣に向き合わざるを得ません。お客様の言葉の端々に、家族関係の事情や不安がにじみ出てくると、ただ書類を作るだけでは済まされないと感じてしまうんです。気づけば1日何人分もの「人生の一部」を抱えて、夜にはぐったりしてしまう。そんな日が続いています。
こちらが疲れていても時間は待ってくれない
体調がすぐれなくても、天気が悪くても、登記の期限は待ってくれません。「急いでるんです」と言われれば、断れない自分がいます。もちろんプロとして当然なのかもしれませんが、それでも「今日はもう限界」という日もあるのです。朝から何件も相談が続いて、ようやくお昼を…と思ったら、また電話。誰かの「不安を減らすため」にこちらが削られていく感覚に、虚しさすら覚えます。
心のバケツが溢れる音は誰にも聞こえない
疲れが限界を超えたとき、ふと「誰か、俺の話を聞いてくれないかな」と思うことがあります。でも、その誰かがいないんです。事務員には言えないし、友人はこの仕事の重さを理解してくれるわけじゃない。元野球部時代の仲間に飲みに誘われても、心の中は満たされません。静かに溢れたバケツの水が、じわじわと床を濡らしていくように、見えない心の負担が広がっていくのを感じます。
自分の悩みはどこに出せばいいのか
人の悩みを聞くのが日常になると、自分の悩みを「小さいもの」と思い込んでしまいます。「この程度で弱音を吐くのはみっともない」と自分を押し殺す癖がついてしまっているのかもしれません。けれど、そうやって無理を重ねていくと、やがて心がひび割れてくる。その小さなひびがある日突然、大きな崩壊を引き起こすことだってあるのです。
吐き出す場所が見つからない
かつては居酒屋で友人に軽く愚痴ることもできました。でも、今はどうでしょう。独身で一人暮らし、仕事終わりに飲みに行く気力も残っていません。そもそもこの仕事の「あるある」を理解してくれる人が近くにいないのです。SNSに書けば炎上しかねない。日記に書いたところでスッキリするわけでもない。吐き出す場所を探しているうちに、心が重たく沈んでいくばかりです。
「強くあれ」という無言の圧力
司法書士という職業には、「信頼される存在でなければ」という無言のプレッシャーがあります。たとえば、相談者の前で不安そうな顔をしてはいけない。間違っても「最近しんどくて…」なんて言えない雰囲気があります。だからこそ、どんなにつらくても平気なふりをしてしまう。その裏で、誰にも見せない弱音がどんどん積もっていくのです。
弱音を許さない自分が一番厄介
結局、一番自分に厳しいのは自分自身なのかもしれません。「こんなことで落ち込むな」「もっと頑張れ」と、自分を責めてしまう。弱さを見せることに対して、過剰に恐れてしまうのです。元野球部の体育会系気質が抜けていないのかもしれません。もっと自分に優しくなれたら…そう思っても、その方法がわからないのです。
事務所経営と孤独のはざまで
事務員を一人雇っているとはいえ、事務所の責任はすべて自分にかかっています。経営、対応、ミスのリスク管理…。背負うものが多すぎて、ふと「なんでこんなに一人なんだろう」と感じることがあります。小さなミスでも夜中に何度も目が覚めるようになったのは、いつからだったでしょうか。孤独という言葉が、妙にしっくりくる日々です。
雇う側のプレッシャー
「お給料はきちんと払えているか」「仕事をうまく振り分けられているか」そんなことを考えると、毎月末の締めが近づくたびに胃が痛くなります。事務員さんに申し訳ない気持ちがあるからこそ、気を使いすぎて逆に自分が潰れそうになる。経営者って、思っていたよりずっと孤独で神経をすり減らす仕事なんだなと、最近つくづく感じています。
愚痴すら吐けない日常
「愚痴っぽい人だと思われたくない」そんな思いから、結局どこにも本音を出せずにいます。誰かに話すとしても、表面をなぞるようなことしか言えない。つい「まあ、なんとかなりますよ」と笑ってしまう。でも本当は、その言葉の裏に「助けてほしい」が隠れていることもあるんです。
野球部時代はチームがあったのに
昔、野球部だったころは、エラーすれば誰かがカバーしてくれたし、悔しければ一緒に泣いてくれる仲間がいました。チームで戦うという安心感が、今となってはとても恋しい。今の仕事は、どれだけ疲れても誰かが代わってくれるわけじゃない。そんな現実に、時々無性に寂しさを感じてしまいます。
それでも相談される意味を考える
ここまで愚痴ばかり書いてきましたが、それでもやっぱり「相談してもらえる」こと自体は、ありがたいことだと心から思っています。誰かの人生の大事な瞬間に立ち会えること、頼りにしてもらえること。苦しいながらも、それがこの仕事のやりがいであることは間違いないのです。
「頼られる」は誇りか呪いか
「あなたしか頼れる人がいない」と言われることがあります。そんなとき、誇らしい気持ちと同時に、「また一つ責任が増えたな…」という重さも感じる。頼られることが嬉しくないわけではないのですが、時にそれが自分を追い詰める呪いのように感じることもあるのです。この二面性に、いつも心が揺れています。
自分を支える言葉を探して
最近は、心が折れそうなときに読み返す言葉を探すようになりました。本でもいいし、誰かのブログでもいい。たった一行の文章に救われることもあるんです。だからこそ、こうして自分も文章を書くことで、誰かの「支え」になれたらいいなと思い始めています。自分の弱さを認めることで、誰かが自分を大切に思えるようになったら、それは少し救いです。
たまには誰かに「どうしたの?」って言ってほしい
相談される側として日々頑張っているけれど、心のどこかで「誰か、俺に気づいてくれないかな」と思ってしまうことがあります。何もいらない。ただ「元気?」と聞いてくれるだけでいい。そういう小さな言葉が、自分を救ってくれる気がするんです。だから今この記事を読んでくれたあなたが、もし誰かの相談を聞く側なら、たまにはその人にも「大丈夫?」と声をかけてあげてください。