報酬に戸惑う依頼者の一言
「報酬、ちょっと高くないですか?」その一言が頭から離れない日があった。こちらとしては何も特別なことをしたつもりはない。ただ、いつもどおり誠実に業務をこなしただけ。それでも依頼者の表情とトーンが、まるでこちらが不当に利益を取ろうとしているような印象を与えた。地方ということもあり、価格に敏感な人が多いのはわかっている。けれども、こちらにも事情がある。時間、責任、知識、そして精神的な負荷。それらをすべて含めての報酬なのに、それが伝わらないと本当にやるせない。
ありがたいはずなのに気まずくなる瞬間
報酬をいただけるということは、本来ありがたいことだ。けれど、「ちょっと高い」と言われると、そのありがたさが一気に気まずさに変わってしまう。まるで自分が金額で評価されているような気がして、心の奥にザラっとしたものが残る。以前、ある依頼者に対して複雑な登記手続きを対応したことがあった。その案件では、かなり時間をかけて調査し、役所とのやり取りも丁寧に進めた。しかし、見積書を見た依頼者の反応は「こんなにかかるの?」の一言だった。その場の空気が冷えたのを今でも覚えている。
こちらの仕事の重みを説明しても伝わらない
専門職としての価値を伝えるのは、本当に難しい。例えば「調査に3時間かかりました」と言っても、依頼者からすればただの3時間。こちらが資料を読み解き、関連法令を照らし合わせて、トラブルにならないように神経をすり減らしていることまでは想像が及ばない。司法書士の仕事は「書類を出すだけでしょ」と思われがちで、それが報酬に対する認識のズレを生んでいる。口で説明しても、やっぱり伝わらない。むしろ、説明すればするほど「じゃあやっぱり高いんですね」と思われる始末だ。
お金の話はいつも空気が変わる
報酬の話になると、なぜこんなにも空気が変わるのだろう。さっきまで和やかだったのに、見積書を出した途端、依頼者の目の色が変わるのがわかる。こっちは何も悪いことはしていない。むしろ正当な金額だと自信を持っている。それでも、相手にとって「払う金額」である限り、納得できなければ不満が残るのだろう。人はお金に関して本音が出る。その本音と向き合うのがしんどい。特にこちらが独りで仕事をしている立場だと、誰に相談するでもなく一人で受け止めることになる。
自分の価値が疑われたようで落ち込む
たった一言でも、人の心は大きく揺れる。特に「報酬が高い」と言われたとき、自分の仕事そのものが否定されたような気持ちになる。数字は明確だからこそ、ストレートにダメージを受ける。「そんな価値があると思っていたのか」と言われているようで、心の奥にずっしりと重くのしかかる。自分の価値とは何か、努力とは何か、そんな哲学的な問いにまで心がさまよう。
報酬の額=自分の存在証明?
司法書士という職業にとって、報酬は単なるお金ではない。それは日々の積み重ね、経験、知識、信頼の象徴でもある。だからこそ、報酬が軽く扱われたり否定されたとき、まるで自分の存在が否定されたかのように感じてしまう。昔、同級生の税理士に言われた。「君の報酬設定、優しすぎる」と。それでも、自分ではこれが妥当だと思ってやってきた。だが現実には、「こんなに取るんですか?」という反応に怯えて、値引きをすることもしばしば。それは自分の存在価値を削っているようにも思える。
過剰にへこむのは癖か性格か
こういう時、自分がもう少し図太ければと思う。言われたことをスルーできるような性格なら、ここまで落ち込むこともなかったかもしれない。けれど、どうしても気にしてしまうのが自分の癖であり性格なのだ。元野球部のくせにメンタルは豆腐。小言を言われただけで、帰り道にずっと引きずってしまう。いっそ、相手にとって「ちょっと怖い先生」くらいの方が、報酬についても強く出られるのかもしれない。そう思う自分がまた少し情けない。
感情を切り離したいのに引きずってしまう
報酬はビジネスの話であって、感情を絡めるべきではない――頭ではそうわかっている。でも、感情が先に反応してしまうのが人間だ。ましてや、日々一人で仕事をしていると、誰かに話す機会もなく、すべてを自分の中で消化しなければならない。だからこそ、小さな一言が長く残る。「忘れればいい」と人は簡単に言うけれど、忘れられないものなのだ。特に、自分が一生懸命やった仕事に対してだった場合は。
地方でやっていくということ
この地域で司法書士として仕事を続けるということは、都市部とは違う難しさがある。たとえば報酬に対する価値観の違い。都市部ではある程度の相場感が通用するが、地方では「知り合い価格」や「値切り文化」が根強い。それに加えて、同業者同士の距離も近く、変に目立った報酬設定はしづらい。「高い」と言われることを恐れて、自分を守るために安くしてしまう。そんな日々が続くと、何のためにこの仕事をしているのか分からなくなってくる。
価格に対する意識のギャップ
地方に住む人たちは、サービスに対しての価格意識がとにかくシビアだ。スーパーでも10円安い方を選ぶ文化が根づいている。そんな中で「登記に5万円」と提示すると、まるで法外な金額をふっかけたような反応をされることもある。だが、そこには専門的知識、責任、対応の丁寧さ、すべてが含まれていることを伝えるのは至難の業だ。価格の背景を知ってもらえればと思うが、それを毎回説明するのは正直しんどい。
安くて当たり前の空気にどう向き合うか
「もっと安くできないの?」という言葉に慣れてしまってはいけない。だが、現実には「これ以上は厳しいです」と断る勇気もなかなか持てない。地域密着という言葉があるが、それは時に“自己犠牲”を強いるものでもある。サービスはタダではない。だけどそのことを丁寧に伝える気力がない日もある。気を抜くと、つい「わかりました」と言ってしまい、後で後悔するのだ。
値段より人柄で選ばれる幻想
「先生、人柄がいいから頼むのよ」と言われることがある。嬉しい言葉ではある。でも、それだけで生きていけるわけじゃない。報酬がなければ、事務所は回らないし、生活もできない。人柄だけで飯が食えるなら、世の中もっと優しい人で溢れているはずだ。幻想に縋らず、きちんと「対価」を受け取る。それを自分に許すことから、まず始めなければならないと最近思うようになった。