書類と向き合う時間の方が長い
朝から晩までパソコンの前で登記申請のチェック。気づけば1日、誰ともろくに会話せずに終わっていることもある。そんな日々が積み重なり、いつの間にか書類とだけは気心が知れた仲になった。文字のミスも減り、添付書類の順番にまでこだわるようになったが、その一方で「人との関わり」はどんどん苦手になっていった気がする。特に、恋愛となると一体どこから話しかければいいのか、もうさっぱりわからない。
誰よりもフォーマットには詳しくなった
所有権移転の申請書や会社設立の定款、毎日のようにテンプレートを使いこなし、依頼者ごとに柔軟に対応している。それだけに、どんなパターンにも即座に対応できる自信はある。けれども、恋愛となると「テンプレート」の存在しない世界。どう始めればいいのか、何を話せばいいのか、正解が見えない。そういう意味では、恋愛はいつもアドリブ。書類作業のように一度確認して、誤字脱字を直してから出したいのに、それができない。
記載ミスは許されないのに気持ちは書けない
登記申請で1文字間違えれば補正通知が来る。でも、自分の感情は誤字だらけで出す勇気がない。昔、一度だけ食事に誘おうとした女性がいた。メールを書いては消し、書いては消し、結局送信できなかった。事務所に戻って「この書類は完璧だ」と自信満々にチェックする自分と、誰かに気持ちを伝えることができない自分。どちらが本当の自分なのか、たまにわからなくなる。
恋文のテンプレートがあったらいいのにと思う
「拝啓、あなたの笑顔に心を奪われました。つきましてはお時間いただけますでしょうか。」…そんな定型文があれば、もっと気軽に恋が始められる気がする。けれど現実には、気の利いた一言すら浮かばず、ただ時間ばかりが過ぎていく。どんなに書類に強くても、気持ちを伝える文章は下手なままだ。
仕事では冷静恋では迷走
仕事では理論的で、リスクを想定し、順を追って対応する。それが司法書士の本能みたいなもので、自分にとっては日常の戦場だ。でも恋愛となると話は別だ。冷静に見えて、心の中は毎回パニック。意中の人と話すだけで、頭が真っ白になる。書類作業ではこんなことは一度もないのに、だ。
登記はスムーズでも気持ちの整理はグダグダ
登記申請書の処理は完璧だ。必要書類を事前に確認し、漏れがないよう慎重に進める。でも、恋愛においてはまるで準備不足のまま本番を迎えているような状態だ。思いを伝える場面になると、何をどう話せばいいのかわからなくなるし、結果として話しかけることもできずに終わる。自分の気持ちにすら、整理がついていないのかもしれない。
スケジュールには強いのにデートは空欄
Googleカレンダーには、登記の締切、相談予約、研修日程…予定がびっしりと詰まっている。けれど、そこに「デート」の2文字は存在しない。いつからこうなったのか。ふと予定表を見て、あまりの空虚さに苦笑することもある。誰かと過ごす時間を記入できる日が来るのだろうか。
予定表を見てため息をつくのは休日前
土曜日の予定が「事務作業」だけだったとき、心底虚しくなる。恋人がいれば、温泉でもドライブでも予定が入っているはずなのに。いや、もしかしたら、そういう期待をすることすら諦めていたのかもしれない。事務所の片隅で、ため息をつきながら缶コーヒーを飲むのが、いつの間にか自分の定番になってしまった。
そもそも出会いが足りていない
地方で事務所を運営していると、そもそも出会いの数が圧倒的に少ない。お客さんは高齢者が多く、異性との自然な出会いなど、ほとんど皆無だ。法務局、郵便局、コンビニ…この三角形の移動だけで1日が終わることもしばしば。新しい人間関係が生まれる可能性は、もはやゼロに等しい。
法務局とコンビニと事務所の往復
平日は基本このルートだ。法務局で証明書を取り、コンビニでコピーし、事務所に戻って書類を仕上げる。この生活を5年、10年と続けていると、同じ顔ばかり見るようになる。法務局の窓口の女性には名前を覚えられ、逆に少し気まずい。でもそれ以上の関係になることは決してない。
顔を合わせるのは郵便局の人ばかり
郵便局の配達員とは、もはや挨拶を超えて軽い世間話まで交わすようになった。「今日も多いですね」とか「暑いですね」とか。でもそれはただの業務上のやり取り。出会いなんて呼べるものじゃない。こちらの心の中がどうあれ、相手は書類を届けに来ただけだ。
年賀状しか出せないまま年が明ける
昔は誰かに年賀状を出すのが楽しみだった。今は、仕事関係以外の宛名がほとんどない。それでも、もしかしたらと思って1枚だけ宛名を書かずに残している。だけど、それが出されることはなく、毎年のように白紙のまま捨てている。今年もきっとそうなるんだろうな、と思いながら。