鍵が開いていた借金部屋
依頼人の訪問は雨音と共に
午後三時。事務所のガラス戸を叩く音がした。外は梅雨空、雨脚が強まる中、男が一人濡れた傘を閉じて入ってきた。 「すみません、ちょっと相談があって……」そう言った男の目の奥には、妙な焦りと諦めが滲んでいた。
債務整理の相談かと思いきや
聞けば、自己破産を考えているという。ありがちな話だが、提出された資料の中に妙なものが混じっていた。 「この借用書、どうして相手の住所欄が空白なんですか?」と尋ねると、男は目を逸らした。 その瞬間、背筋に何か嫌なものが走った。これは、普通の案件じゃない。
開きっぱなしの玄関が気にかかる
男の話によれば、昨日から借りていたアパートの玄関がずっと開いたままだという。 「鍵はかけたつもりなんですけど……」というが、どこかしら歯切れが悪い。 妙な感覚がした。債務者が鍵をかけ忘れた部屋——そこに何があったというのか。
サトウさんの冷静な指摘
「その部屋、調べてみた方がいいですね。今朝、近くで不審火があったってニュースで言ってましたよ」 塩対応のサトウさんが、淡々と情報を添える。 さすがだ。私がもたもた考えている間に、彼女は既にニュースまでチェックしている。
不動産登記の謎とつながる
管轄法務局で調べたところ、そのアパートの所有者が二か月前に変更されていた。 ところが、移転登記の理由が贈与。しかも受贈者が、あの依頼人と同姓同名。 「やれやれ、、、こりゃまた一波乱ありそうだ」と思わず漏らした。
近隣住民が見た奇妙な深夜の訪問者
現地調査に向かうと、近隣の住人が話しかけてきた。「昨日の深夜、スーツ姿の男が二人、部屋に入っていったよ」 依頼人は「知らない」と言っていたが、その反応はやはり怪しかった。 まるで自分が何かを隠しているかのように。
ドアの鍵と借用書の奇妙な共通点
現場に入ってすぐ気づいた。ドアには傷一つなく、鍵も壊されていない。つまり——中から開けた? そして、落ちていた一通の封筒。中にはもう一枚の借用書が入っていた。 名前は違うが、筆跡は明らかに依頼人のものだ。
元野球部の勘が冴えるとき
ふと、高校時代のノック練習を思い出した。送球のクセや軌道、細かい動きの癖——そういう「違和感」に気づく癖。 この依頼人、「破産」する気なんてさらさらない。誰かになりすまし、財産を逃がしてる。 ピンと来た。これは名義貸しを逆手に取った、脱法的な財産移転のスキームだ。
犯人が置いていったたったひとつの証拠
封筒に貼られた切手。差出人の名前は偽名だが、消印は隣町。 その町のコンビニの防犯カメラに、依頼人らしき人物が映っていた。 しかも、彼が手にしていたのは「司法書士の印鑑証明」——自作自演が濃厚だ。
調査報告書と登記簿が語る真実
登記簿の変更、借用書のねつ造、鍵の不在。全てが依頼人の意図的な偽装だった。 これらの事実をまとめ、関係各所に報告書を提出。彼の意図は潰された。 しかし、すぐに逃げたらしく、既に所在は不明。
サトウさんの一言が全てを結ぶ
「結局、最初から鍵なんてどうでもよかったんですね」 淡々としたサトウさんの言葉が、真実をすべて浮かび上がらせる。 あの男は、自分自身の良心に鍵をかけたまま、逃げ出したのだ。
そして債務者は再び姿を消す
数日後、依頼人の車が港で見つかった。中は空っぽ、鍵は運転席に置いてあった。 まるで「探せるものなら探してみろ」とでも言いたげだ。 その潔さに、ほんの少しだけ哀れさを覚えた。
司法書士としての一線と良心
我々は、法律の枠内でしか動けない。けれど、それが「正義」かはまた別の話だ。 依頼人の嘘を暴いたところで、救われる誰かがいるわけでもない。 それでも、線を引かねばならないのが、司法書士という立場だ。
鍵は閉めても心は開いていたのか
結局、依頼人は罪に問われることもなく姿を消した。 彼の心の鍵は、いったい誰が閉め、誰が開けたのだろう。 自分にも、その答えはまだ出ていない。
次の依頼はもう目の前に
「先生、次の予約の方がいらしてます」 サトウさんの声に振り向くと、また違う人生のドラマがドアの向こうに立っていた。 やれやれ、、、休む暇もなさそうだ。