名義人は二度死ぬ

名義人は二度死ぬ

名義人は二度死ぬ

午前10時。いつものように事務所のドアがきしむ音を立てて開いた。エアコンの効きも悪いし、電話は鳴らないし、コーヒーはぬるい。今日も今日とて、平和なのか平和じゃないのか分からない午前中だ。

そんな空気を一変させたのは、一本の電話だった。僕は相変わらずの姿勢で椅子にもたれていたが、その声に少しだけ背筋を伸ばした。

登記簿の片隅に違和感

「名義人が、変なんですよ」と電話の主は言った。土地家屋調査士のタカギさんだ。彼は寡黙な男だが、観察眼は鋭い。昭和の刑事ドラマで言えば、“捜査一課の名物係長”って感じだ。

登記簿を確認してほしいと言われたその不動産は、十年前に名義人が亡くなっているはずだった。だが、なぜか表示変更がごく最近行われていた。

土地家屋調査士からの一本の電話

「旧住所と新住所が、妙にかみ合わないんです」とタカギさんは続けた。確かに、登記簿に記された変更後の住所は、最近整備された新興住宅地のものだった。

「こんな場所に昔の人が住んでたわけないでしょう」とサトウさんが、パソコンをパチパチと操作しながら言った。そう、これが最初の違和感だった。

旧住所と新住所が指し示す謎

不動産の名義人は、鈴木フミエという女性。彼女は10年前に亡くなっていると相続人が言っていた。だが、そのフミエの名で出された表示変更申請が、つい1ヶ月前の日付になっている。

提出された住民票には、しっかりと「現住所」として新住所が記載されていた。どういうことだ? 死者が引っ越しでもしたのか?

サトウさんの冷たい推理

「死んだ人が名義変更の申請をするって、マンガの中だけだと思ってましたけど」とサトウさんは呆れ顔。いや、実際サザエさんの世界なら波平さんあたりが大騒ぎしてる案件だ。

「登記簿の幽霊じゃないですか」と僕が言うと、彼女は冷ややかに「幽霊でもちゃんと書類を整えてるのがえらいですね」と返した。皮肉が効きすぎて耳が痛い。

生きているはずの名義人

フミエの死亡届は出ていないことが判明した。相続人が勝手に“亡くなったことにした”ということだろうか。だが、行政は彼女を生きていると認識していた。

「どこかに“もう一人のフミエ”がいるのかもしれません」と僕が言うと、サトウさんが「“影武者”ですか?戦国時代みたいですね」と鼻で笑った。

登記名義人表示変更の申請人

実際に法務局で確認したところ、表示変更申請の添付書類には、フミエ本人の自署があった。しかも、印鑑証明も有効だ。まるで本人が生きているかのように。

「生きてる人間が本人か、それとも誰かになりすましたのか。問題はそこですね」とサトウさんがボソッとつぶやいた。

死亡届を巡る矛盾

市役所に確認すると、10年前に「死亡の旨を告げた人」は、なんとフミエの妹だった。だが正式な手続きはなされず、戸籍も除籍されていない。

つまり、法律上はフミエは生きている。だが実際には行方不明。妹が勝手に「亡くなったことにした」だけだった。なんとも乱暴な処理だ。

法務局職員の記憶違い

「見たことある顔だったんですよ」と法務局の窓口職員が言った。写真付きの住基カードが添付されていたが、その写真と本人が一致していたと記憶しているらしい。

けれどその職員は「細かい顔の造りまでは覚えていない」と濁した。記憶は、いつだって曖昧な証拠でしかない。

名義変更に潜む動機

この土地には、再開発の話があった。地価は急騰中。仮にフミエが生きているなら、その名義を利用することで大金を手にすることも可能だった。

「死人を利用した不動産ビジネスですか。悪趣味ですね」とサトウさんは肩をすくめた。僕はその肩越しに、誰かが意図的にフミエの名義を“再生”させた気配を感じていた。

サザエさん的日常と非日常の交差

夕方の事務所に、急ぎの訪問者がやってきた。フミエの妹、ヨシコだった。彼女は開口一番「姉は10年前に死んだんです」と言った。では、なぜ死亡届を出さなかったのか。

「死んだことを公にしたら、姉名義の土地を売れなくなると思ったんです」ヨシコの告白は、あまりに身勝手だった。

偽造の痕跡はどこにある

だが、申請書類は完璧だった。住民票も印鑑証明も“正規”のもの。つまり、行政の誰かが関与していた可能性がある。

「協力者がいる。でなきゃ住民票の発行は無理です」とサトウさんが呟いた。内部犯行。サスペンスドラマではお約束の展開が、ここにきて現実になってきた。

被相続人を名乗る人物の正体

地元のスーパーの監視カメラに、申請時期に役所に通う女性の姿が映っていた。彼女は――まったくの別人だった。

「やれやれ、、、。ここまで手の込んだ芝居を打つとはね」と僕はため息をついた。結局、“フミエ”を演じた女は、土地ブローカーとグルだった。

元野球部の勘が冴える

提出書類の筆跡を確認するため、昔野球部で鍛えた観察眼を発揮する。投手のクセを見抜くように、僕は細かな筆圧の違いに気づいた。

決定的だったのは、“く”の字の跳ね方。本人とされる古い書類とはまるで違ったのだ。これで“別人”であることが裏付けられた。

サトウさんの容赦ない一言

「やっぱり司法書士って便利ですね。本人確認しちゃえば詐欺がバレるんですから」とサトウさん。いや、ちょっとくらい褒めてくれてもいいじゃないか。

でも彼女はクールに電話を取り始めた。次の依頼が舞い込んでいた。どうやら平和な午後にはまだなりそうもない。

真犯人の狙いと司法書士の矜持

結果的に、ヨシコとブローカーは書類送検された。フミエの名義は正式に相続人へと移転されたが、その過程は苦く、後味の悪いものだった。

だが、それでも僕たちの仕事は終わった。名義とは、名前だけのものじゃない。そこに込められた人生ごと、きちんと扱わなきゃならない。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓