辞任届は夜に書かれた
「辞任届ってのはな、朝じゃなくて夜に書かれるんだよ」
自分でも何を言ってるのか分からないまま、ぼそっと口に出していた。
朝イチから訪ねてきた依頼人の顔を見た瞬間、そんな予感がしたのだ。
朝イチの依頼は妙に静かだった
その男は、朝の9時きっかりに俺の事務所に現れた。背広は皺だらけ、目の下にはクマ。
「社長が失踪しまして…」と、小さな声で言ったとき、サトウさんがコーヒーを置きながら眉をしかめた。
いきなりのトラブル相談、しかも法人登記関連ときた。俺の出番ってわけだ。
「社長がいなくなったんです」と言う男
依頼人は取締役の一人で、残された書類一式を鞄から取り出した。
そこには辞任届とされる文書、印鑑証明書、そして代表者変更のための委任状。
サトウさんがすかさずファイルを受け取り、目を通していた。
取締役辞任届に滲む黒い影
「この署名、書いたの深夜ですよね」
俺の横でサトウさんが淡々と言った。まるで『サザエさん』のカツオがまた宿題を忘れた時の波平のように、静かな怒りを湛えていた。
字に走り書きのクセが出ていた。誰かが急いで書かせたか、あるいは偽造だ。
やれやれ、、、俺の出番か
「こういう話、年に三回はあるな…」
やれやれ、、、俺はため息をつきながら、社長の筆跡を過去の登記書類と照合し始めた。
司法書士ってのは地味な職業だが、こういう時だけヒーロー扱いされる。もっとも、後で責任をなすりつけられるのも俺だが。
社長室に残された登記識別情報
翌日、俺は依頼人と一緒に会社の事務所を訪ねた。
社長室には誰もいなかったが、引き出しには未提出の登記識別情報通知書が残されていた。
なぜそれが未提出だったのか? 一枚の紙切れが意味するものは大きい。
代表印が語るもう一つの真実
「この代表印、本物ですか?」
俺の問いに、依頼人は一瞬言葉に詰まった。
「…正確には、先週までは社長が持ってました。でも今は…たぶん、誰かが…」
監査役の証言とサトウさんの推理
「辞任届の日付、監査役の署名が翌日なの、変ですね」
サトウさんの一言に、俺は思わず机を叩いた。
名探偵コナンならここで「そうか、わかったぞ!」って言う場面だ。
会社法第351条の落とし穴
代表取締役の選任や辞任には、登記の義務がある。
だが、今回のように辞任届を出されたタイミングが操作されると、誰が代表なのか一瞬分からなくなる。
その混乱の隙に、何が行われたのか。
隠された資産譲渡と定款の改定日
登記簿を読み直していると、なぜか定款の改定が同日に行われていたことに気づいた。
しかも内容は、会社資産の譲渡権限に関する部分。
「これは…代表者が変わったその日に?」俺の頭の中で何かがつながった。
その辞任届は本物か
筆跡、捺印、日付、状況証拠。どれも整っているようで、どこかが不自然。
サトウさんは机に肘をついて、じっと書面を見ていた。
「社長自身が書いたとは限りませんよね?」その声は氷のように冷たかった。
印鑑証明書の発行日が示すタイムライン
法務局で確認した印鑑証明書の発行日は、辞任届の日付の翌日だった。
つまり、辞任したはずの社長がその翌日に証明書を発行している。
タイムラインが壊れている。辻褄が合わない。
逃げたのか消されたのか
「社長は…今どこに?」
「…わかりません。最後に連絡が取れたのは三日前です」
逃げたのか。それとも、誰かがいなくさせたのか。どちらにせよ、この辞任は偽装の可能性が高い。
サトウさんの冷たい視線と鋭い一言
「辞任届の紙、フォントが微妙に違います。プリンターが違うんですよ」
俺は内心ゾッとした。あんな細かいところまでよく見ている。
「やっぱり怪盗キッドじゃないですか、犯人」俺が茶化すと、サトウさんは本気でため息をついた。
司法書士が解いた登記の嘘
結論として、その辞任届は偽造。印鑑もスキャンされたもので、本物ではなかった。
登記申請は無効、代表者変更は認められず、すべて白紙に戻った。
結局、社長は資産を持って国外に逃亡していた。空港の監視カメラにその姿があった。
結末と、夜に交わされたもう一通の書類
「この写し、何ですか?」
サトウさんが最後に見つけたのは、夜間にFAX送信されたもう一通の辞任届。
その日付はさらに前。どうやらこの事件、最初から仕組まれていたらしい。
今日もまた誰にも感謝されず俺は帰る
依頼人は感謝の言葉ひとつもなく帰っていった。
俺は机に突っ伏していたら、サトウさんがコーヒーを置いた。
「…まあまあの推理でしたね」その一言が、今日一日の中でいちばん沁みた。