古びた謄本との再会
事務所の片隅、埃をかぶった箱の中にそれはあった。地元の旧家に関する謄本、昭和の名残を感じさせる紙質とインクの匂い。依頼人の訪問がなければ、日の目を見ることはなかったであろう。
「父が亡くなりまして」と静かに切り出した女性は、淡々とした表情で書類を差し出した。その中にあったのがこの謄本だった。
紙の端はほつれ、登記の文字はかすれながらも力強さを保っていた。
棚の奥に眠っていた一冊
この謄本、どこかで見覚えがあった。以前、別の依頼で目にした記憶が微かに蘇る。サトウさんに確認すると、数年前に関与した相続登記と一致する物件だった。
つまり、何らかの理由で再登記されていない、あるいは意図的に放置されていた可能性がある。
「まさか、またこの案件か」と思わず独り言が出た。
依頼人の言葉に違和感
「父が最後に『あれだけは処分しておけ』と言っていたんです」。依頼人の言葉には、ある種の切迫感があった。しかし、処分とは何を意味しているのか。
登記簿を読み込むにつれ、手続きの進行がある時点で止まっていることがわかった。
不動産の名義は途中まで変更されておらず、さらに複数の相続人の記載が曖昧なままだ。
心の整理ができない依頼
「感情の整理がついていなくて」と依頼人はポツリと漏らした。それはまるで、家族の歴史そのものが謄本に閉じ込められていたかのようだった。
心の整理と謄本の整理。どちらが先か、どちらが重いか、司法書士として考えさせられる。
この案件は、単なる登記の更新では済まされない気がした。
亡き父の登記と向き合う娘
父が残した不動産。そこには多くの思い出と確執が積み重なっていたという。生前は口うるさく、家族に強く当たった父。
娘はその父の所有だった家をどうするか、決めかねていた。謄本を手にしても、決意が揺れているのが伝わる。
「登記って、心の整理なんですね」と漏らした言葉が、胸に刺さった。
姉妹間の微妙な温度差
依頼人には姉がいた。姉はすでに家を出て遠方に嫁ぎ、父との関係も希薄だったという。
だが、名義変更には姉の同意が必要になる。書類の送付、委任状のやりとり、そのどれもが感情を逆撫でする工程となる。
「姉は、もう関わりたくないって言ってます」。依頼人の声が沈んだ。
謄本に隠された矛盾
登記情報を追っていると、明らかにおかしな点に気づいた。ある相続人の記載が、実際の家族構成と合わないのだ。
「これはおかしい」と呟いた瞬間、背後から「やっと気づきましたか」とサトウさんの声。彼女の目は既に資料の核心を突いていた。
やれやれ、、、こちらが主役のはずなんだけどな。
年月日の不自然な重なり
登記簿の記録は、一見整っていた。しかし、ある相続人の出生年月日と死亡年月日が矛盾していた。
まるで、存在しない誰かが書類上で存在していたかのようだった。
これは故意の記載ミスか、それとも何かを隠すための虚構なのか。
筆跡に潜む違和感
申請書の写しを確認すると、一部の署名が他と明らかに異なる筆跡で記されていた。
過去に別件で関与した行政書士の名前が記載されていることもわかった。
この違和感の正体を突き止めなければならない。
過去と向き合う決意
依頼人は次第に語り始めた。父と母の離婚、その後の確執、姉との断絶、そして最後に交わした言葉。
「全部、わたしの手で終わらせます」。その目には涙と覚悟が宿っていた。
司法書士として、その背中を支えるのが自分の仕事だと、初めて心から思った。
依頼人が語り始めた真実
実は、相続の際に父がもう一人の子の存在を認めようとしなかった過去があったという。
その子は認知もされず、戸籍にも現れていないが、父は遺言で言及していたらしい。
それを知った依頼人は、書類を整えようと決意したのだった。
家庭裁判所の調停記録にヒント
家庭裁判所の調停記録を取り寄せると、そこには実名は伏せられていたものの、もう一人の存在が明らかになっていた。
それに基づいて登記の修正をするには、相当な証拠と覚悟が必要だった。
「いいんです、父の嘘を終わらせたいんです」。依頼人は強く言った。
サトウさんの冷静な指摘
「この案件、感情の整理が先ですね」。サトウさんは紅茶を片手に静かに言った。
書類の整合性よりも、人の気持ちが優先されることもある。それが司法書士として、難しいところでもある。
やれやれ、、、言いたいことはわかるけど、少しはこっちの苦労もわかってほしい。
登記簿の順番が語る心理
登記簿の記載順は時に、依頼人の心理状態を映す鏡になる。意図的に順番を入れ替えることで、誰を重要と捉えているかが見える。
今回も、名義の優先順から依頼人の心の揺れが浮かび上がっていた。
サトウさんはそれを指摘し、登記より先にやるべきことを提案した。
これは感情で整えた謄本ですね
「法的には整っていないけど、依頼人の気持ちは整ってきたんでしょうね」。
サトウさんの言葉に、私は静かに頷いた。形式より本質、今はそれでいい。
後は、こちらが粛々と実務を整えていけばいい。
事件が去った後の静けさ
結局、相続登記は完了し、依頼人は静かに頭を下げて帰っていった。
「これで、やっと心の整理ができました」。その言葉が印象的だった。
私は謄本をそっと閉じ、棚に戻した。
新たな登記と決意のハンコ
提出書類に押された印鑑。それはまるで、新しい家族関係を刻むような印象だった。
この仕事に正解はない。ただ、毎回少しずつ誰かの人生を整える手伝いをしている。
やれやれ、、、また少しだけ、自分の心も整理できた気がした。
サトウさんの小言とコーヒーの香り
「また勝手に引き受けてましたね」とサトウさん。私の机には冷めかけたコーヒーが置かれていた。
こうして今日も、事件という名の人生のひとかけらと向き合いながら、私は机に向かう。
明日も、誰かの心と謄本を整える日が始まる。