嘘を刻んだ登記簿
朝から雨がしとしと降り続いていた。外の空気は冷たく、どこか重苦しい。そんな日に限って、妙な依頼がやってくるものだ。依頼人は細身の初老の男で、くたびれたスーツを着ていた。
「この土地の登記を調べてほしいんです」と差し出された登記簿謄本に、俺はすぐ違和感を覚えた。何かが、合わない。
登記簿の違和感
依頼人が持参した謄本
受け取ったのは、一見普通の土地の登記簿謄本だった。だが、所有者の住所が妙に古い形式で記されていた。しかも、名義人の名前も聞き覚えのあるような、ないような。
「この土地、最近になって相続したばかりでして」と依頼人は目をそらした。俺の中で、警鐘が鳴る。こいつ、何かを隠しているな。
地番が語る奇妙な歴史
謄本の記録をよく見ると、この土地は数十年前に一度だけ登記が動いている。その前後で不自然に空白の期間がある。地番の移動もなく、所有者名義だけが変わっていた。
「この頃に何が?」サトウさんがぽつりと漏らした。こういう時の彼女の一言は、だいたい核心に触れている。
未登記建物の謎
サトウさんの冷静な視点
事務所に戻って、サトウさんが資料を整理しながら言った。「この土地、昭和の終わり頃に火災があったみたいですよ。建物は全焼、再建されてないようです」
「なるほど、それで登記が動かないのか」と俺はうなずいたが、それにしても奇妙だ。なぜ今さらこの土地の登記を動かす?
地図と現地の矛盾
現地調査をしてみると、地番は確かに存在しているが、現場には古い石碑のようなものしかなかった。建物跡もなく、まるで何も存在しなかったかのような空白。
「これは…誰かが意図的に消した跡ですね」とサトウさんが言った。俺も同意する。地面にも、歴史にも、確かに嘘が刻まれていた。
嘘から始まる依頼
「売買」と「相続」の食い違い
依頼人は「相続」と言ったが、登記簿上の最終原因は「売買」になっていた。しかも、その売買の登記は平成初期。だが名義変更の手続きは令和に入ってから。
「相続人のはずなのに、売主名義で登記が移ってるってのは変ですね」サトウさんが指摘する。俺の背中に、ひやりとした汗が流れた。
所有権移転の見えない動機
売買であれば金の流れがあるはずだが、そうした記録は一切出てこない。契約書も領収書も存在しない。つまり、書類上だけの取引。
そうして浮かび上がってきたのは、「売主」も実は既に故人であるという事実だった。つまり、生きていない人が土地を売ったことになっていたのだ。
登記官の小さなヒント
昔の申請書に残された筆跡
法務局に出向き、旧い申請書を閲覧させてもらった。そこにあった署名は、最近提出された書類と酷似していた。同一人物が筆跡を真似た可能性が高い。
「似ているようで、少しだけ違いますね。意図的にズラしてます」と登記官がつぶやいた。偽装の香りが濃くなる。
役所の記憶は裏切らない
古い登記官の記憶が思いがけず役に立った。「ああ、この名義人は当時問題を抱えてたよ。借金が膨らんでた」とのことだった。
つまり売買は、実体のない名義移転の隠れ蓑だった。目的は、おそらく借金の回避だ。だがその計画は未遂に終わっていた。
やれやれ、、、またこのパターンか
不正な登記を利用して、資産隠しや相続トラブルの処理をしようとする。そんな話は珍しくない。だが、それが司法書士の名前で行われていたとしたら——話は別だ。
俺の頭の中には、ある一人の司法書士の顔が浮かんでいた。そう、今は引退して郊外に隠居している、俺の元上司だ。
一通の委任状
差出人不明の封筒
事務所に戻ると、茶封筒が届いていた。差出人の記載はない。中身は一通の委任状だった。そこには、あの土地の名義変更に関する詳細な指示が書かれていた。
しかも署名は、既に亡くなっているはずの名義人によるもの。すぐに気づいた。これは——生きていたころの筆跡をトレースした偽造だ。
封印された真実
封筒には、もう一通の手紙が添えられていた。「私は、かつてこの土地を不正に動かした。だがもう限界だ」と書かれていた。
そしてその文末には、かつて俺が尊敬した司法書士の名があった。あの人が、最後に残した嘘だった。
偽りの司法書士
過去の登記に潜む別人の名前
もう一度、登記簿を洗った。すると、平成初期に一度だけ申請人欄に別の司法書士の名前が記載されていた。だがその司法書士は、当時まだ登録されていなかったはずだ。
つまり、偽名で申請された可能性が高い。そしてその書類を裏で整えたのが、俺の元上司である。
旧姓で隠された意図
さらに追っていくと、かつて女性だった旧姓を使っていたことがわかった。つまり偽名と偽登記、二重の仮面で真実を隠していたのだ。
登記簿は嘘を許さない。だが、誰かがその嘘を読まなければ、何も暴かれない。
すれ違う正義
依頼人の告白
「すべて、あの先生の指示でした」と依頼人は泣きながら話した。金のためでも名誉のためでもなかった。元上司は、誰かを守ろうとしていたのだ。
その“誰か”は、かつて火災で亡くなった女性。旧姓の持ち主だった。
消えた真実と残された登記簿
結局、今回の登記は却下された。不正は明るみに出なかったが、真実は俺たちの中に残った。登記簿には、何も変わらず名義が刻まれている。
だがその裏には、ひとつの愛と、そしてひとつの嘘があった。
登記簿は語る
名前だけが残った嘘
嘘は紙の上では消えない。誰かが指をさし、声に出し、ようやく意味を持つ。それが司法書士の仕事だとしたら、俺は今日、少しだけそれに近づけたかもしれない。
やれやれ、、、また明日も登記簿とにらめっこだ。
シンドウのひとりごと
サトウさんはいつものように「お疲れさまでした」とだけ言って帰っていった。俺は一人、書類の山を見ながら缶コーヒーを開けた。
「嘘を読める人間なんて、いない方がいいのかもな」と呟いて、俺は電気を消した。
事件は終わったのか
サトウさんの皮肉な一言
翌朝、サトウさんはファイルを開きながら言った。「結局、先生って正義より情に弱いタイプですよね」
それを聞いて、俺は返す言葉もなかった。
夕暮れの事務所に残る謎
事務所には静かな時間が戻っていた。依頼人からの連絡もない。ただ、机の隅に置かれた古い登記簿だけが、嘘を刻んだまま、俺たちを見ていた。
終わったようで終わらない。司法書士の世界には、そんな話がまだまだ転がっている。