朝一番の依頼人
静かな月曜日と違和感のある男
ドアのベルが鳴ったのは、まだ事務所の空気が寝ぼけているような朝九時すぎだった。背広の襟を正しながら入ってきた中年男は、妙に視線が泳いでいた。名を名乗ると、彼は所有権移転登記の相談に来たという。
「叔父の家を譲り受けたんです」と語るその言葉には、どこか用意された台本のような整いすぎた響きがあった。経験上、こういう依頼人は何かを隠している。
僕の朝のコーヒーは、すっかり冷めてしまっていた。
不動産登記の相談内容
名義変更と旧家の影
彼が差し出した登記事項証明書には、確かに叔父名義の古家が記載されていた。昭和初期の建築らしいが、今は空き家で、電気も水道も止まっているという。
「贈与なんです。叔父が高齢で、施設に入って…」と、男は言葉を濁した。贈与契約書はコピーで、署名は達筆すぎるほど綺麗だった。こういう場合、逆に怪しい。
「印鑑証明書は?」と尋ねると、「それは……また後日」と男は曖昧に笑った。
男の言葉と登記簿の矛盾
書類は真実を語らない
過去の登記履歴を辿ると、そこには不思議なブランクがあった。十年前の相続登記が不自然なほど空白だったのだ。しかも叔父は、当時すでに痴呆の診断を受けていたらしい。
「施設の名前を教えてもらえますか?」という僕の質問には答えず、男は急に「急いでいる」と言い出した。うーん、どこかで聞いたセリフだな、と思った。
そう、名探偵コナンで犯人がよく言う。「時間がないんだ」ってやつだ。
サトウさんの一言
塩対応が放つ核心の指摘
「この人、嘘ついてますね」と、サトウさんが淡々と呟いた。僕がちらりと見ると、彼女は印鑑証明の印影と、過去の別登記の筆跡とを並べて比較していた。
「これ、叔父さんじゃないですよ。字が全然違う。むしろ、この依頼人が書いたんじゃないですか?」
まるでキャッツアイの瞳のように、サトウさんの眼光は鋭かった。僕が気づかなかった細部まで、彼女は見抜いていた。
名義人の過去
十五年前の相続と消えた兄
調査を進めると、依頼人の兄が十五年前に突然失踪していることがわかった。その兄が、実は叔父の真の相続人であり、今回の登記対象である土地にも関わっていた。
ところが、兄の失踪後、なぜか登記が叔父単独名義で済まされていた。これは司法書士としても見過ごせない不自然さだ。
やれやれ、、、これは単なる登記の話じゃなさそうだ。
調査開始
古い謄本と新しい殺意
僕は市役所と法務局を回り、過去の地番変更、合筆記録、家族構成に至るまで古い資料を漁った。まるでルパン三世が盗みの下調べをするかのように、手を抜かず確認した。
そして出てきたのは、兄の失踪届けと同日に提出された「遺産分割協議書」だった。それは叔父の筆跡とは異なるもので、さらに証人欄には依頼人自身の名前が。
まさか、と思ったが、ピースは揃いつつあった。
現地確認という名の遠足
空き家に残された意外な痕跡
依頼人の去ったあと、僕とサトウさんは例の家を訪ねてみた。外観はボロボロだが、玄関の鍵は不自然に新しく、室内には埃の少ない部屋が一つだけあった。
その部屋には、最近まで人が暮らしていた形跡があり、冷蔵庫には新しいペットボトルが残っていた。そしてなにより、壁に釘で打ち付けられた封筒。
中には一通の手紙と、古い登記識別情報通知書が入っていた。
やれやれ名義だけで殺すかね
元野球部の直感が光る
「この兄さん、殺されてるか、生きて逃げたか、どっちかですね」と僕が言うと、サトウさんは「いや、死んでるでしょ」と即答した。
たしかに、封筒の手紙には「もう兄を探さないでほしい」と書かれていた。筆跡は震えており、感情が抑えきれないようだった。
やれやれ、、、登記名義を欲しがる人間ってのは、時に命より重いものを求めるらしい。
真実の名義人
封印された公正証書遺言
後日、施設の職員から一本の電話があった。「その方、亡くなられてます。ですが、生前に公正証書遺言を作っていました」とのこと。
そこには、兄への名義変更の意思が明確に書かれていた。つまり、依頼人はその事実を隠して、自分が相続したように装っていたのだ。
その動機は金か、恨みか、あるいは単なる欲か。
事件の終わりとその代償
塀の中で語られた動機
依頼人は詐欺未遂と公正証書偽造の疑いで逮捕された。供述によれば、「兄ばかりが褒められて悔しかった」とのことだった。
司法書士としては、こうした事件に関与するたび、自分の職責の重さを痛感する。名義はただの文字列ではなく、人生そのものなのだ。
サトウさんは「ま、珍しくちゃんと活躍しましたね」とぼそり。くぅ、地味に効く。
エピローグ
司法書士の名の重み
静まり返った事務所に戻り、再び冷めたコーヒーを口に含む。苦い。だが、それが仕事というものだ。
窓の外ではセミが鳴いていた。夏はまだ終わらない。登記簿の一行一行が、誰かの物語の断片である限り。
今日もまた、僕たちは書類の裏に隠された真実と向き合うのだ。