謄本の空白が招いた訪問者
不在者所有の奇妙な土地
午前10時。事務所のドアが開き、杖を突いた老人が入ってきた。顔色は悪く、何かに怯えるような目つきだった。
「土地のことで……ちょっと不安なことがありましてね」そう言って彼が差し出した謄本には、肝心の所有者欄が空白になっていた。
通常、そんなことはありえない。登記がされている限り、必ず所有者は明記されているはずなのだ。
所有者欄の空白という違和感
登記簿の記載ミスではない
「まさか、こんなミスが?」と、僕は思わず眉をひそめた。が、いくら見直しても、やはりそこには誰の名も記されていない。
「登記官が居眠りでもしてたんでしょうか」と軽口を叩いたが、サトウさんは冷たい目で「それならあなたのほうが可能性高いですね」と一言。
やれやれ、、、この塩対応にも慣れたとはいえ、地味に胸にくる。
証明書類に潜む謎の痕跡
もう一人の“所有者”の影
調査のために預かった書類一式を見直していると、不思議なものが目に入った。
売買契約書の日付と、登記申請書の日付が微妙にずれている。しかも、その間に1年近い空白期間があったのだ。
そこに挟まれていた一通のメモ書き。「代理申請保留中につき要確認」——その文字に、僕の背筋が冷たくなった。
かつての依頼人と失われた記憶
10年前の登記と今日の来訪者
調べていくうちに、その土地の過去の依頼者が、10年前に事務所を訪れていたことがわかった。
だが僕はその記憶がまったくない。代わりに、サトウさんが「たしか、そのとき登記識別情報が見つからず中断になったはずです」と教えてくれた。
その時の記録には「一時保留」と書かれているだけで、処理は宙に浮いたままになっていた。
法務局の記録から消えた足跡
閉鎖謄本に封じられた秘密
法務局で閉鎖謄本を閲覧する。そこで出てきたのは、かつて一度だけなされた登記申請が却下されていたという記録。
理由は「本人確認書類の不備」とだけあった。しかし、その却下された直後に、なぜかその土地は“未登記状態”で今日に至っている。
本来ありえない。これは書類のミスというより、意図的な「抹消」ではないのか。
やれやれ、、、な書庫探し
筆界未定地の罠
疲れ切った僕は事務所の奥にある書庫へと向かった。10年分のファイルをひっくり返す。
「どうして俺ばっかりこういう役目を……」とぼやきながらも、ようやく一枚の手書きメモにたどり着いた。
そこには「代理人申請中止 本人失踪 確認不能」と赤字で記されていた。
元野球部の嗅覚が見つけたもの
野球のスコアブックと登記簿の共通点
ふと高校時代の野球部でのスコアブックを思い出した。記録を残すという意味では登記簿と似ている。
数字の空白やスラッシュ、マル印。その意味がわかる者にとって、そこに隠された動きは明白だ。
この空欄の謄本も、同じように「見れば分かる」人にしか解けない謎が隠されていた。
サトウさんの推理と最後の一手
空白が意味していたもの
「シンドウさん、この土地、相続登記がされていないだけです。前の名義人が死亡しているのに、手続きされてない」
サトウさんが手元のノートPCで閲覧していた住民票コード付の戸籍で、その事実を突き止めていた。
つまり“空欄”とは、正式には「相続未了」を意味していたのだ。
登記完了通知と一枚の遺言書
依頼人の言葉が遺した真実
老人が持ってきた封筒の中に、一枚の遺言書があった。そこには「息子に土地を譲る」と書かれていた。
だが、その息子の所在が分からない。「父が死んでも、俺には関係ない」と言って家を出たきりだったという。
空欄の謎は、人の心の断絶を映す鏡でもあった。
謄本に名前が刻まれたとき
空欄はもう存在しない
登記手続きを終え、所有者欄に息子の名が記された新しい謄本が届いた。
老人はそれをじっと見つめ、やがて静かに「ありがとう」と言った。
やれやれ、、、僕は疲れた背中を椅子に預け、サトウさんの冷たいお茶をすするしかなかった。