権利書が語る沈黙

権利書が語る沈黙

朝一番の来客と消えた書類

朝9時前、まだ机にコーヒーを置く暇もないうちに、事務所のチャイムが鳴った。
「相続のことで……」と、声を震わせて入ってきたのは70代と思しき女性。
その手には古びた茶封筒が握られていたが、中身は空だった。

疲れた目をこする前に鳴ったインターホン

前の晩、眠れずに深夜まで過去の登記簿を眺めていたせいで目の奥がズーンと重い。
「まったく……朝からトラブルの香りしかしないな」とつぶやきながら玄関へ向かう。
サザエさんのように朝からバタバタだが、こちらはタラちゃんすらいない独り身である。

年配女性の不安げな訴え

「金庫に入れていたはずの権利書が見つからないんです」
相続の登記をお願いしたいという依頼だったが、肝心の書類がないという。
話の端々から、どうも家族間での緊張感がにじんでいた。

権利書があったはずの金庫

問題の金庫は二階の仏間に置かれており、鍵は依頼人が保管していたという。
だが、昨夜ふと確認しようと開けてみたら、そこにあるはずの封筒だけが空だった。
印鑑やほかの書類はそのままだったのが、また妙だった。

開いていた扉と鍵の謎

「開けっ放しにした覚えはないんです」
彼女の言葉に偽りは感じなかった。
ならば誰かが暗証番号を知っていて、開けたということになる。

家族にも黙っていたはずの暗証番号

「誰にも教えていないはず……」と彼女は言ったが、何かに気づいて口を閉ざした。
その仕草に、長年の家族関係の複雑さがにじんでいた。
そして“誰にも”という言葉ほど、あてにならないものはない。

依頼人の長男と次男の奇妙な温度差

午後に呼び寄せたという二人の息子が事務所にやってきた。
長男は終始緊張気味で、次男は妙にラフな態度だった。
同じ家族でも、何かを知っている者と知らない者の温度差は明白だ。

「そんなの最初からなかった」と言う次男

「母さんの勘違いじゃないの?」
次男が放った言葉は、まるで記憶を上書きしようとするかのようだった。
彼の眼はどこか宙を漂っていて、権利書が存在していたという事実を曖昧にしようとしていた。

兄弟の間にある沈黙の壁

長男は黙ったまま、弟を横目で見ていた。
その視線には怒りというより、諦めの色が濃かった。
「やれやれ、、、」思わず心の中でつぶやいた。登記の話が、家族の闇を暴く。

固定資産税台帳と謎の記録

サトウさんが机に静かに台帳を置いた。
「先生、この土地、実はお父様の名義から一度も変わってません」
え? 亡くなったのは20年前のはずだが……。

「亡くなった人の名前がなぜ今?」

権利書がないどころか、相続登記すらされていない土地だった。
それなのに、依頼人は権利書を「持っていた」と言っている。
となると、その紙が“本物”かどうかさえ、怪しい。

記録から浮かび上がる名義変更の抜け道

税務署には届け出があり、名義変更がされたように処理されていた。
だが、法務局のデータにはその反映はない。
どうやら“見せかけ”の変更が誰かによって行われたらしい。

市役所職員の記憶と出入り業者の名前

十年前、家のリフォームに関する補助金申請で市役所を訪れていたことが分かった。
そのとき、一枚だけ「父の名義から母へ変更済」と書かれた紙が添付されていたという。
だがそれは、権利書ではなかった。

過去の登記情報に残る筆跡

サトウさんが拡大印刷したコピーを見せた。
「これ、全部同じ人の筆跡です」
見れば見るほど、次男の字に似ている気がしてきた。

そこにいたはずの“第三の男”

さらに調査すると、工事業者の記録に次男が発注者として名を連ねていた。
そしてリフォームの見積もりに紛れて、「家屋の名義確認」という項目も。
不自然な名義変更は、彼の手で仕組まれていたのだ。

防犯カメラが映していた一枚の手帳

決め手は、仏間に設置されていた防犯カメラの映像だった。
そこには手帳を持ち込んだ次男の姿と、金庫の暗証番号を入力する場面が映っていた。
「……詰めが甘いんだよな」とサトウさんがぼそっと言った。

鍵を持っていたのは本当に一人か

依頼人は自分しか知らないと思っていたが、実はメモを残していたらしい。
次男はそれを発見し、悪用した。
だが、本物の権利書は、そもそも存在していなかったのだ。

サトウさんの一言が状況を一変させる

「だから、最初から“偽物を隠した”って話なんですよ」
サトウさんの鋭い指摘で、全てのつじつまが合った。
彼は権利を得るために“権利書が存在していたこと”を演出していたのだ。

シンドウの閃きと過去の似た事件

「そういえば、あの田んぼの時も似たような騒動があったな」
過去の事例がふと頭をよぎり、細部の違いに気づく。
そして今回もまた、書類の“あるなし”よりも、“誰が信じていたか”が問題だった。

「昔の顧問先でも似たようなことが、、、」

一度でも誰かが「ある」と信じると、存在しない書類が“現実”になってしまう。
そしてそれを利用する者が、巧妙に罪の影に隠れるのだ。
今回はそれが、身内による偽装というだけだった。

土地を狙った巧妙な偽装

土地の評価額は年々上昇しており、売れば数百万にはなる。
次男はそれを狙い、母と兄を出し抜こうとした。
だが最後には、法の網が彼を捉えた。

事件の終息とひとつの溜息

警察への届け出と家族会議で、事件はひとまず収束した。
母は深くため息をつき、長男はただ静かにうなずいた。
そして私は――

やれやれ、、、また一日が終わる

書類を整理しながら、私は一息ついた。
「登記ってのは、紙の向こうに人間がいるってことを忘れちゃいけませんね」
机の端に置いたコーヒーは、すっかり冷めていた。

「今日の帰り、焼き鳥でもどうです?」

不意にサトウさんがそう言った。
塩対応の彼女からの誘いは、何よりの“ご褒美”かもしれない。
やれやれ、、、悪くない一日だった。

しがない司法書士
shindo

地方の中規模都市で、こぢんまりと司法書士事務所を営んでいます。
日々、相続登記や不動産登記、会社設立手続きなど、
誰かの人生の節目にそっと関わる仕事をしています。

世間的には「先生」と呼ばれたりしますが、現実は書類と電話とプレッシャーに追われ、あっという間に終わる日々の連続。





私が独立の時からお世話になっている会社さんです↓