朝の郵便受けに差された一通の封筒
午前7時。まだコーヒーも淹れていない時間に、ポストに刺さっていたのは、封の甘い簡易書留だった。差出人の欄は空白で、宛名には僕の名前と事務所の住所。妙な予感がして、開封する手がわずかに震えた。
中にはコピー用紙数枚と、手書きのメモ。内容は成年後見に関する相談らしかったが、依頼者の名前も電話番号も書かれていない。妙に丁寧な文章がかえって気味が悪い。
差出人不明の簡易書留
メモの端には「真実を知ってください」という一文が添えられていた。差出人がわからない以上、無視してもよかった。けれど、僕の司法書士としての性分が、それを許さなかった。
封筒には古い消印が押されており、投函から数日が経っているようだった。どこか急かされるような気がして、僕は事務所の椅子に腰を下ろした。
宛名は僕だけれど依頼人の名前はない
ファイルの一枚目には、ある被後見人の名前と住所が書かれていた。死亡年月日と、成年後見人の名前。そして、「後見人はすべてを知っている」という一文が、太字で囲まれていた。
不自然な文体。いや、文体というより、書いた人物の焦りがにじみ出ている気がした。まるで、何かから逃げるように書いたような。
亡くなった被後見人の名前
その名に見覚えがあった。いや、正式な登記では見たことがあるが、実際に会った記憶はない。死亡届の日付はつい先月で、既に火葬も終わっていた。
手元の資料を確認すると、その方の後見開始申立書に目が止まった。代理人の欄にあったのは、僕が数年前に業務上やり取りしたことのある人物の名。今は行方不明と聞いていた。
火葬と同時に閉じた口
「これって、死ぬまで誰にも相談できなかったってことですよね」
サトウさんの口調は淡々としていたが、その目は確実に何かを見抜こうとしていた。手元の死亡届には、死亡者の欄のほかに、気になる項目が一つあった。
成年後見制度のしくみを知るほどに
後見制度は善意で動いている。しかし、悪意の温床にもなり得る。それは僕がこれまでに扱ってきた案件で、いやというほど思い知らされていた。
今回の案件も、その類なのだろうか。少し背筋に冷たいものが走るのを感じながら、僕はパソコンに向かって登記情報を検索した。
サトウさんの冷たい視線と鋭い指摘
「これ、添付書類と内容が微妙に違いますね」
サトウさんが指で指し示したのは、後見人の就任届と、直近の財産目録。日付が微妙に食い違っている上、押印された印鑑の印影が若干ずれていた。
「やれやれ、、、また面倒な匂いがするぞ」僕は思わず口にしていた。
登記事項証明書の余白に潜む違和感
登記情報の備考欄には、削除されたはずの一文がうっすらとコピーに残っていた。まるで誰かが消し忘れたか、あるいはわざと残したような感じだ。
それは「報酬支払いについては別途協議済」と読めた。通常、そんな記載は残らない。
後見人の就任日と被後見人の入院日
二つの日時を照らし合わせたとき、思わず椅子から腰が浮いた。後見人が就任した翌日、被後見人は精神病院に強制入院されていた。まるで段取りを整えていたかのように。
僕はぞっとしながら、さらなる資料の洗い出しに取り掛かった。
あの通帳に記録された奇妙な入金
裁判所に保管されていた報告書のコピーに添付された通帳。そこには、月に一度だけ、同じ金額が引き出される履歴が残されていた。
十万円ちょうど。その理由は記載されておらず、支払先も不明。しかも、その日は毎回土曜日。銀行は休業日のはずだ。
月に一度だけ繰り返される十万円
これは定額の報酬か、それとも口止め料か。曖昧な仮説ばかりが浮かび、核心に迫る確証は何もない。ただ、どこかで何かが動いていたのは間違いなかった。
何かが、おかしい。そう思ったとき、背後でサトウさんが小さく呟いた。
金融機関の担当者が漏らした一言
「ああ、その人なら、毎月“息子さん”って言って十万円出金されてましたよ」
それを聞いた瞬間、背筋が凍った。被後見人に息子はいなかったはず。申立書にも、親族欄は空白だったはずだ。
後見人の事務所に忍ぶ夜
表向きは閉鎖された事務所の鍵は、なぜか郵便受けに入っていた。まるで、誰かが僕らに調べさせたかったかのように。
内部はほこりにまみれ、明らかに長く人が入っていない様子だった。しかし、机の引き出しには未整理の書類と、手帳が残されていた。
ロッカーに残された古びた手帳
レザーの表紙が破けかけたその手帳には、びっしりと手書きの文字が綴られていた。中でも何度も出てくる名前が一つ。
それは「イシダ タカユキ」。僕の記憶の中から、過去の後見申立書にあった親族欄の名前がよみがえった。
開かれたページに記されたただ一つの名前
その名前の横には、「毎月の手当分 感謝されて当然」と書かれていた。まるで、自分の行動を正当化するような文字だった。
僕はそっと手帳を閉じ、深くため息をついた。
やれやれ、、、間違いなくこの名前が鍵だ
この名前を元に戸籍を辿れば、きっと何かが出てくる。だが、それが希望になるか、絶望になるかはわからない。
サトウさんはすでにパソコンに向かい、住民票コード照会の準備を始めていた。頼もしいにもほどがある。
サザエさんの波平を思い出す古臭い字
イシダという文字は、波平の眉毛のように怒った字だった。怒りを押し殺しながら、自分の都合だけで人を囲い込んだ男の顔が、なんとなく想像できた。
「ちゃんと最後まで掘り返しましょう」サトウさんがボソッとつぶやいた。
誰もが見逃したあの申立書の住所欄
後見申立書の控えを取り寄せて確認すると、住所欄に不自然な修正跡があった。修正液ではなく、なぜか印刷された後に上からラベルが貼られていた。
ラベルを剥がした原本が裁判所にあるのだろう。僕は改めて、法務局と家庭裁判所に照会を出す決意を固めた。
ついに語られた後見人の真意
イシダは、被後見人の実子だった。そして、彼が後見人にすべてを委ねたのは、仕事を続けるため、という建前だった。
だが実際には、金銭の一部を私的に流用していた。被後見人は気づいていたが、何も言わずに亡くなった。
守るための嘘か奪うための嘘か
嘘は時に誰かを守るが、同時に誰かを傷つける。後見人が本当に悪人だったのか、それは誰にもわからない。ただ、事実として金が動いていた。それがすべてだ。
「正義って、案外地味ですね」サトウさんが言った。
孤独だった被後見人の本当の願い
イシダ宛ての遺書が見つかった。それは、彼に何も責めず、「自分の代わりに生きてくれ」と書かれていた。
やるせなさだけが残る事件だった。けれど、少なくとも真実は記録された。
サトウさんの最後の言葉が胸に刺さる
「情けは人の為ならずって知ってます?」
サトウさんの言葉に、僕は曖昧に笑ってうなずくしかなかった。本当に優しい人は、優しさを悟らせない。
塩対応の裏にある優しさに気づかされる
サトウさんの背中を見ながら、僕は今日も登記簿と向き合う。彼女がいなければ、たぶん僕はここまで掘り下げられなかっただろう。
やれやれ、、、それでも人生は続く。
後見制度の隙間に落ちた真実
制度そのものは正しい。だが、それを運用するのは人間だ。どんな制度も、その中にいる人間次第で白にも黒にもなる。
だからこそ、僕は見続ける。制度の隙間に、また誰かが落ちていないかどうかを。
今後もこの制度で苦しむ誰かのために
また封筒が届くかもしれない。また誰かが助けを求めるかもしれない。そのとき、僕はきっと「やれやれ、、、」と言いながら椅子から立ち上がる。
そしてまた、僕とサトウさんの一日が始まる。