境界点に現れた男
朝一番の電話
その朝、事務所の電話が鳴ったのは、ちょうどコーヒーを淹れようとした瞬間だった。受話器越しの声は不自然に興奮していて、測量立ち会いの現場で妙な男がうろついているという。地主の依頼で司法書士として立ち会う予定だったが、何やら様子がおかしい。
「また厄介事か……」とつぶやきつつ、僕は急いで上着を羽織った。
こういう時、コナン君がいてくれたらなあ、と妄想しても現実はサトウさんと二人三脚。現地へと車を走らせた。
測量図に映る違和感
測量士が持っていた図面には、明らかに「何か」が写っていた。境界点のひとつ、通常では人が立つには不自然な位置に、細く伸びた人影のようなものが印刷されている。これはドローンによる空撮から自動生成された画像の一部だ。
「これは影…ですかね」と僕が言うと、サトウさんは「そんなに長く伸びますかね、その影」と冷たく返した。
影にしては存在感が強すぎた。まるで、そこに誰かが確かにいたかのようだった。
現場に立つ不審な男
図面と一致する地点に立つと、先に着いていた地主と測量士がやや離れた場所を見ていた。その先に、作業着のような服を着た初老の男がぽつんと立っていた。帽子を深く被り、こちらには一瞥もくれない。
「彼、ここの人じゃないですよ」と地主がぼそっと言う。誰も知らない、誰も呼んでいない男だった。
やれやれ、、、また妙な話に巻き込まれる予感がした。
やたらと詳しい隣地の人
その男は隣地の人間を装っていた。「うちの土地はずっとここまでだ」と、堂々と主張し、境界石の正当性まで語り出す。しかし、登記簿を見れば、その土地の所有者はずっと別人のままだった。
「地主じゃないのに、なぜそこまで…?」僕がつぶやくと、サトウさんは「嘘をついてる時って、人は余計な情報を付け足すんですよね」と冷たく分析した。
話が妙に具体的なほど、どこかで作られたもののような気配があった。
調査開始と図面の歴史
僕たちは急ぎ過去の図面を調べ始めた。旧土地台帳、公図、さらに古い測量資料まで。すると、昭和50年代の筆界特定資料に、今と微妙に違う境界線が記されていたことが分かった。
現地にある境界石は移動している可能性が高い。だが、それを誰が、なぜ行ったのかが見えない。
「まるで、時を超えて現れた犯人だな」と僕が言うと、サトウさんは「それサザエさんでも言ってましたよ」とまた塩対応だった。
古い筆界特定の痕跡
昔の測量士のメモが残されていた。それによると、今回の土地と隣地の間で所有権争いがあり、境界確定が持ち越されたまま宙ぶらりんになっていたという。つまり、今ある境界は“仮”のものであった可能性が高い。
しかも、その当時「証人」として記録に残っていた名前が、現場の男と一致していた。
それは「川端庄一」――図面の影に映っていた、まさにその名だった。
土地家屋調査士の証言
後日、同じ地区を長年担当している調査士から話を聞いた。「川端庄一?ああ、あの人ね…昔、自分の土地だって言い張ってたけど、証拠がなかったから黙ったまま行方知れずになってたよ」
「亡くなってるはずじゃ…」と僕が口にすると、「それが最近戻ってきたって聞いてさ」と苦笑いされた。
図面に写っていたのは、幽霊なんかじゃなかった。執念と未練で動いている、生きた人間の影だったのだ。
サトウさんの鋭い視線
サトウさんは冷静に言った。「この人、きっと本当に自分の土地だと思ってるんでしょうね。だからこそ、昔の境界に戻そうとしている」
でも、それはただの思い込みかもしれない。法的には、時効取得が成立しており、すでに彼の権利は消えている。
それでも彼は、その一点に立ち続けるのだ。まるで、そこに帰るべき“家”があると信じるように。
過去の名義に潜む意外な名前
調べを進めると、昭和30年頃にこの土地の一部が「川端ミツ」という女性に所有されていた記録が見つかった。庄一の母親である可能性が高かった。
つまり、川端庄一は「昔、母の土地だった場所」を自分のものと信じ続けていた。だが、その登記はとっくに売却され、何度も名義が変わっていた。
法的には何の意味もない。しかし、彼の中の境界線は、母の記憶と共にそこで止まっていた。
やれやれ、、、隠れていた真相
男は最後まで主張を曲げなかった。「母が、あそこに花を植えていたんだ。だから、そこまでがウチの土地なんだ」と。現実を受け入れられない目だった。
やれやれ、、、まるで刑事ドラマで過去に囚われた犯人の回想シーンを見せられているようだった。
説得を重ね、地主の厚意もあって、境界確認書に「当事者の一方の承諾のみによる標示」として落ち着いた。男は、ほんの少しだけ笑って、帰っていった。
境界と人の線引き
法律の境界は明快だ。しかし、人の心の中の境界は、ずっと曖昧でぼやけている。特に相続や思い出が絡むと、境界線は見えにくくなる。
今回は“法”が勝った。しかし“情”も捨てられなかった。僕は司法書士という立場でそれを受け止める。
そして今日もまた、境界線を巡る小さな人間模様の中に立ち会っていく。
測量図面が導いた結末
すべては、一枚の図面から始まった。何気なく映った影が、人の記憶と過去を呼び起こし、真相を浮かび上がらせた。
「やっぱり測量って、すごいですね」と言った僕に、サトウさんが「それ、10年前のNHKスペシャルでも言ってましたよ」と言い放ち、事務所は静かに笑いに包まれた。
測量図は静かに正確な線を引く。だが、そこに映る影は、時に人の想いまでも映してしまうのだ。