朝の電話と見慣れぬ依頼人
登記相談の裏に見えた微かな違和感
その朝、いつものようにコーヒーを淹れていると、事務所の電話が鳴った。受話器の向こうから聞こえてきたのは、年配の女性の声。「父が亡くなった土地の登記について相談したいのですが…」
そう切り出された話は、ごくありふれた相続登記のように思えた。しかし、何かが引っかかった。声に妙な焦りが混じっていたのだ。
シンドウは予定の合間を縫って、その依頼人に会うことにした。
サトウさんの冷静な観察眼
過去の謄本に潜む不自然な記載
応接スペースで女性から手渡されたのは、昭和時代の古びた登記簿謄本だった。そこには、亡父の名義と共に、見慣れぬ名がもう一人共有者として記載されていた。
「この“山田洋三”って方、親戚では?」と尋ねると、女性は即座に首を振った。「父の友人だったかもしれませんが…よく分かりません」
それを聞いたサトウさんは、静かに眉をひそめた。「これ、実は…」と、何かを感じ取った様子で謄本を見つめていた。
亡き父の名義が語る物語
共有名義とされた謎の第三者
昭和の終わり頃に設定された共有登記。だが、それ以降、移転も持分譲渡も一切なし。登記簿はまるで“時が止まった”かのようだった。
「不自然すぎるな」とシンドウは呟いた。共有持分を放置して数十年。しかも当事者の一方はすでに死亡、他方は消息不明。
普通なら売却や遺産分割の動きがある。なぜ、完全に止まったのか?それが事件の始まりだった。
やれやれ、、、また面倒な案件か
司法書士としての違和感と矛盾
「面倒なだけの放置案件だと思えば楽なのにな」と呟いて、シンドウは謄本をじっと見つめた。
しかし、登記の作成日、申請人の代理人欄に、ある司法書士の名前を見つけてしまう。それは、すでに当時引退していたはずの人物だった。
「え、これ記載ミスか…?」いや、違う。偽造か、あるいは何かをごまかすための虚偽申請だとしたら…。
そう思った時、彼の中で“司法書士としての直感”が騒ぎ出した。
権利証の影に潜む罠
真実を告げぬ古い登記簿の沈黙
依頼人に念のため確認した。「この登記のとき、何か父が言ってたことは?」すると彼女は困ったように笑って答えた。
「父は『昔の仲間に頼まれて土地を貸しただけだ』って。でも何ももらってないとも言ってました」
それが、シンドウの確信を裏打ちした。名義を“貸した”のだ。そしてその“貸し”が、登記として固定化され、今も罪を隠していたのだ。
サザエさん式推理術
「磯野家だったらどうするか」で読み解く嘘
「仮に磯野家の波平さんが、ノリスケに土地の名義貸したらどうなる?」
突拍子もない問いに、サトウさんは呆れた顔をした。「磯野家はきっと家族会議してます。波平さんは黙って名義貸したりしませんよ」
「だろ?この人の父親は“言えない理由”があったってことだよ」
サザエさん理論――いや、家庭内倫理感を逆手に取った推理。そこから、一つの闇が見えてきた。
名義人の死とその時効
空白の10年間を埋める調査
山田洋三の死亡届を調べると、10年前に死亡していたことが判明。しかし、その事実は登記に反映されていなかった。
「これは、持分放棄を避けるためだな」とシンドウは呟く。もし登記されれば相続が発生し、不都合な真実が明らかになる。
つまり、意図的に“登記されない死”として黙殺されていたのだ。死人が今も名義人として“生きている”奇妙な土地だった。
追い詰められる依頼人の表情
告白された罪とその動機
「すみません…父は、名義貸しをしていたんです。知っていました。でも、どうしても処分したくて…」
女性の目には涙が浮かんでいた。
「父の過ちを隠すために、この土地を売ってお金に換えようとしていたのかもしれませんね」とシンドウは言った。
その言葉に、彼女はゆっくりとうなずいた。
不動産登記法が導く結論
登記簿は語る 裏切りと贖罪の記録
法の記録は、決して嘘をつかない。ただし、それをどう使うかは人次第だ。登記簿は、嘘も真実も静かに記録するだけ。
虚偽の登記、それを利用した隠ぺい。そこに“罪”があるかどうかは、時代と共に変わるものかもしれない。
だが少なくとも、司法書士として見過ごしていい記録ではなかった。シンドウは、静かに登記の是正を進める準備に入った。
サトウさんの一言と静かな決着
無言の正義が記録された日
「やっぱり、紙の正義って重たいですね」
書類整理をしながら、サトウさんが呟いた。その表情は、少しだけ柔らかかった。
「やれやれ、、、ほんとにこっちは胃が痛いよ」
シンドウはため息をつきながらも、机の上に一通の報告書を置いた。そこには、訂正登記の申請日が記されていた。