静かな午後の来客
事務所のエアコンが、いつもより気怠く唸っていた。午後3時、そろそろアイスコーヒーでも淹れようかと思った矢先、サトウさんがドアを開けた。 「シンドウ先生、お客です。ちょっと変わった人」 変わった人、の中にはたいてい厄介な依頼が含まれている。俺の肩が自然と重くなるのも当然だった。
サトウさんが差し出した謎の登記簿
男は黒のスーツに赤いネクタイ。暑さなんて無縁のように涼しい顔だった。差し出されたのは登記簿謄本のコピー。 「この代表取締役、私ですが……こちらの“もう一人”は誰なんでしょう?」 見ればたしかに、同じ会社に代表取締役が二人。役職欄が重なって記載されている。そんなはずはない。
取締役が二人存在する矛盾
俺の眉間に自然と皺が寄った。登記簿上の情報は正式な公的記録、しかしそれが食い違っている。 この会社、株式会社ルネソル。前に役員変更登記を請けた記憶があるが、そのときの代表は確か……。 「やれやれ、、、記憶の引き出しが重いな」思わずつぶやきながらファイル棚を漁る俺に、サトウさんが呆れ顔を向けていた。
代表取締役欄に記載された二人の名前
片方は依頼人の名前、もう一方は「工藤シゲル」。ルパン三世に出てきそうな名前だが、現実は笑えない。 しかも登記の日付がわずか1週間違い。提出されたのはどちらも正規の書式、印鑑証明も添付されている。 二人が同時に社長を名乗っている。これはもう、怪盗どころか書類の戦場だ。
押印された印鑑証明書の違和感
書類を精査するうちに、妙な違和感が指先を伝う。押された実印が、微妙に傾いているのだ。 この“微妙”が厄介で、機械的に処理されたコピーでは見抜けないレベル。でも俺は知ってる。 過去に何度も、「ちょっと傾いた偽造」に騙されてきたからだ。
過去の登記記録との微妙なズレ
前回の役員変更登記、俺が処理した控えと比較してみると、書式が同じようで一部が異なる。 特に工藤シゲルの登記申請書は、雛形が古すぎる。現在の法務省が推奨していない様式が使われていた。 これはつまり、誰かが昔のデータを流用した可能性が高いということだ。
やれやれ、、、また妙な依頼か
コナンくんでもいれば即解決だろうが、あいにく俺は冴えない司法書士だ。 でもまあ、地道にいくしかない。サトウさんが既に市役所に電話して、印鑑証明書の提出日を照会してくれていた。 「二通の証明書、どちらも当日発行。ただし時間が5分違い」これは決定的な矛盾だった。
疑惑の新社長が語る就任の経緯
再度、依頼人に事情を聴くと驚きの事実が明かされた。「私は会社の株を父から譲られただけです。 その後、登記手続きは前社長の顧問司法書士に一任したと聞いていました」 どうやらこの“顧問司法書士”が胡散臭い。自分を代表に据えて登記した、というわけか。
監査役が沈黙する理由
監査役に電話をかけたが、歯切れが悪い。どうにも腑に落ちない。「私はその時、入院していまして…」 つまり、会議に出席していない者の承認を偽造した可能性がある。 俺の頭の中でピースが一つ、また一つはまっていく。
不自然に失われた取締役会議事録
議事録は「紛失した」との一点張りだった。だが、サトウさんは机の上の写真立てに目を留める。 「先生、これ……日付が問題の日の会議室ですよ。工藤さん、いませんよね?」 写真には依頼人と他の役員だけ。つまりこの日、工藤シゲルは社内にいなかったという証拠になる。
かつての同級生が犯人候補
工藤シゲルの名前に、どこか既視感があった。調べてみると、俺の高校時代の同級生と同姓同名だった。 確か、当時からずる賢い奴で、文化祭の売上金をこっそり懐に入れたこともあったな。 まさかまたこんな形で出会うとは……司法書士冥利に尽きる、のか?
「お前は正義を信じているか」
直接電話をかけてみた。「ああ、シンドウか。俺のこと、止めるのか?」 「止めるというより、書類で潰すよ」俺は淡々と答えた。正義なんて重い言葉は似合わないけど、 せめて不正な登記が世に出ないように、それだけを考えていた。
背後に見えた買収劇の影
ルネソル社は再生エネルギー関連の新興企業。業界では注目されていた。 つまり、誰かが株を買い占めるために登記を利用しようとしていたわけだ。 その“誰か”が工藤だったとしたら、納得はいく。
会社を乗っ取るための巧妙な手口
登記簿を使った乗っ取り。怪盗キッドもびっくりなトリックだが、 現実では印鑑一つで会社の命運が変わるのだから笑えない。 俺は法務局に対して、錯誤による登記抹消の申請準備を進めた。
代表印のすり替えトリック
結局、印鑑自体は正規品。しかし持ち出されたのは1か月前、依頼人の父親が亡くなる直前。 「父は入院中、工藤さんによく相談してたんです」つまりその隙に印鑑を預かり、偽造の準備をしていたのだ。 俺たちは裏を取るため、葬儀の日に出入りしていた証人を集めた。
印鑑登録の盲点に潜む罠
印鑑登録は簡単にできるが、解除には本人の意思が要る。 それを逆手に取って、前代表の印鑑証明をギリギリで発行したわけだ。 一つ間違えば、この会社の命運がそのまま奪われていた。
サトウさんの一言で全てがつながる
「印鑑を“誰が”持ってたか、そこが重要なんです」サトウさんの目が鋭く光る。 そう、それがすべての鍵だった。俺は登記の修正とともに、告発状も作成する。 司法書士には限界がある。でも、やれることはある。
「誰が“それ”を持っていたのか思い出して」
依頼人は数秒黙り込んでから、はっと顔を上げた。「あの時……確かに父の部屋にいたのは工藤さんだけだった」 この証言が決定打となり、俺たちは真実への道を踏み出す。 それでも、まだまだ戦いは続くだろう。
印鑑証明に封じられた真実
数週間後、登記は訂正され、工藤シゲルの名は正式に削除された。 彼には私文書偽造等の容疑で刑事告発もされたという。 会社は依頼人のもとに戻った。俺たちは、また一つ書類で勝ったのだ。
うっかり者の逆転劇
サトウさんがぽつりと言う。「先生、珍しく今回は決めましたね」 「ま、たまにはな」そう言いながら、自販機のボタンを押し間違えてミルクティーを買ってしまった。 やれやれ、、、やっぱり俺は俺だ。
最後に笑う者
登記簿はすべてを記録する。虚偽も、真実も。 でもそれを見抜けるかどうかは、読む人間次第。 次もきっと、どこかで誰かが間違える。そのときまた、俺の出番だ。